「自虐のユーモア - 東海林さだお」文春文庫 青春の一冊 から

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「自虐のユーモア - 東海林さだお」文春文庫 青春の一冊 から

その昔、新宿の紀伊国屋書店は二階建てだった。
いまから、二十年以上前のことである。
紀伊国屋が二階建てで、ぼくが二十代で、昭和が三十年代だった。
当時の紀伊国屋は、いまのように通りに面しておらず、通りからちょっと奥まったところに建っていた。
紀伊国屋に至る露地の両側には、祭りの露店のような小店が並んでいた。
その中の一軒にブロマイド屋があって、女学生がいつも群れていた記憶がある。
そして、いまとなっては想像もできないことなのだが、新宿駅から紀伊国屋に至る一帯は、人通りが少なかった。
本を読みながら歩いていけるほど、人通りが少なかったのである。
(そんなバカな)
と、いまの人は思うにちがいない。
大学に入った年、ぼくは新宿の紀伊国屋書店で立ち読みをしていた。何気なくあれこれ立ち読みしていて、偶然太宰治という人を発見した。
それまで、日本にそういう人がいることを知らなかったのである。
いまのように、太宰治の作品が教科書にのるということはまだなかった。
まだ無頼派としての評価が高かったころだったと思う。
何気なく読んでいて、たちまちひきこまれた。
数ページ読みすすんで、なぜか急に、
(こうしてはおられぬ)
という気持ちになった。
とるものもとりあえず、という気持ちになってレジに向かい、金を払い、読みかけたところに目を落としたまま店を出、本を開いたまま、新宿駅にむかったのである。
そして列車に乗った。
そのまま旅に出た、というわけではない。
わが家は八王子にあった。
新宿を出た列車は立川、八王子に止まる。
だから、通学に列車を利用する、ということもときどきあったのである。
学校帰りの午後三時ごろの列車はガラ空きで、読書には最適であった。
列車の中で読み続け、家に帰って読み続け、たちまち一冊を読み終えてしまった。
それから紀伊国屋書店通いが始まった。
紀伊国屋で二冊目を買い、そのまま歩きながら読み、列車で読み、自宅で読む、というパターンができあがった。
歩きながら読んだのは、列車に乗るまでの時間が待ち遠しかったからである。
買ったら一刻も早く、ページを開きたかった。
こうして、筑摩書房版『太宰治全集』十一巻をたちまち読み終えてしまった。
十二巻目の書翰集さえ読んでしまった。
本の中にはさみこまれている「月報」という折り込みも、隅から隅まで読んだ。
全部読み終えると、こんどは評伝や評論にまで手を出した。
小山清奥野健男、桂英澄、壇一雄坂口安吾といった人たちが、太宰について書いた本を片っぱしから読んだ。
のちには、太宰治の奥さんが書いた本まで読んだ。
奥さんにまで、手を出してしまったのである。
太宰治の何に惹かれたのかというと、ユーモアに惹かれたのである。
太宰の書く道化や自虐から、ぼくはユーモアをくみとっていた。
太宰治の“ユーモア小説”はきわめて少ない。
『黄村先生言行録』『不審庵』『畜犬談』『禁酒の心』『花吹雪』『酒の追憶』などは、明らかにユーモアをねらって書かれたと思われる。
太宰治のユーモアは“自虐のユーモア”である。
お伽草紙』の中の「カチカチ山」などには、それが強く感じられる。
そういう目で見ていくと、他の作品にも、“ユーモアを感じさせてしまう自虐”を随所に発見することができる。
むろん最初のうちは、『斜陽』や『人間失格』などの“苦悩もの”に惹かれて入っていったのだが、すぐにこっちの“自虐のユーモアもの”に強く惹かれるようになっていった。
日本にはユーモア文学というジャンルはないに等しいといっていい。
太宰治は、ぼくが初めてであった唯一のユーモア作家だった。