「犬と尊敬 - 田辺聖子」集英社 楽老抄 から

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「犬と尊敬 - 田辺聖子集英社 楽老抄 から

ちょっと前になるけど、飼い犬が死んだという投稿が、ある新聞の読者欄にあった。私は新聞の投稿欄の熱心な読者で、毎日新聞の「女の気持ち」なんか、長年愛読しておりますよ。
ところでその飼い犬の話だが、投稿者は五十年輩の主婦だったと思う。しみじみしていい文章だった。恐らく夫が死んだときより、いい文章ではないかと思われた。捨てられた雄の子犬を飼って十なん年、かしこくておとなしく、謙虚に分をわきまえ、決してでしゃばらず、見ばはあまりよくないが、ここぞというときは頼もしい犬だった、と。死にざまも従容[じゅうよう]として、その投稿夫人は、
「わが飼い犬ながら、私は尊敬していた」
と書かれており、私まで粛然として衿を正してしまった。
私もむかし犬を飼っていたが、これがわがままで手のつけられぬやんちゃ犬で、あたまが悪く犬がらが悪く、人前に出せないやつであった(それはそれなりに可愛く、死なれてお数珠を前肢にかけられ、動物霊園の人にお棺の蓋を閉じられたときは、私もわんわん泣いたけど)。 - それに比べ、人をして「尊敬」せしめるほどの犬とは、なんという雲泥のちがいであろうと思った。それゆえ、半日ほど私は〈犬〉について思いをめぐらせずにはいられなかった。
私の友人(女性)たちには犬好きが多いが、彼女らの好む話題の一つに、犬と男と、どっちがいいか  - というのがある。
いろいろ議論をつきつめていくと、どうも〈男〉の旗色が悪いから、このテーマは奥が深い。犬は食物のより好みをしない、犬はつないでおけば彷徨しない、犬は自分の稼ぎこそないが、夏冬同じ着物で不平をいわない。犬は相談相手になり、かつ、励ましてくれる、というのだ。犬は女が、〈どうしょうね、ジョン〉などと話しかけると、つぶらな眼をじっと女につけて、〈あんたの思ってるようにしたらいい、それがいちばんだよ〉と示唆してくれるという。〈つらいことばっかりなんだよ、ピコ〉と涙を流している女には、(元気出して)というように女の涙をなめてくれる、というのだ。
〈男がこんなことするかよっ〉
と女たちはいきまいていた。結局、犬は百パーセント情を返してくれるが、男は十パーセント位しか返さぬ、男は犬より劣る、という結論になった。しかし彼女らにいわせると、〈尊敬〉に値する犬は、これもちょっと困るナァ、ということであった。