「鉄道のキセル乗車と電子計算機使用詐欺罪の限界 ー 東京大学教授 和田俊憲」

刑法-

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法学教室 2020年9月号 判例セレクト から

名古屋地裁令和2年3月19日判決

【論点】
磁気定期券の入場記録を下車駅の自動改札機が読み取り対象としていない場合におけるキセル乗車と「虚偽の電磁的記録」の判断。
[参照条文]刑246条の2後段

【事件の概要】
警察の監視下にあった被告人は、2017年8月、近鉄名古屋駅で最低区間の乗車券(150円)を購入して入場した後、近鉄名古屋線・山田線に乗車して松阪駅で下車し、運賃を精算することなく、同駅を有効区間に含む磁気定期券を自動改札機に通して出場して、正規運賃(近鉄名古屋から、所持していた定期券の有効区間が始まる高田本山までの運賃940円)との差額(790円)を免れた。被告人が出場した松阪駅は、周囲に無人駅が多いことから、近鉄の乗降確認・不正乗車防止システムであるフェアシステムKの適用外であった。すなわち、同駅の自動改札機は、入場記録のない磁気定期券が投入されても、有効期間内、かつ、同駅が有効区間であれば開扉して出場を許す設定であった(松阪駅近鉄JR東海の共同利用駅であり、被告人が通過したのはJRの改札機だったが、出場許否の設定は近鉄と共通である)。

【判旨】
〈(一部)無罪〉
名古屋地裁は次のように述べて電子計算機使用詐欺罪(電算機詐欺罪)を否定した(なお、別訴因の道路交通法違反〔無免許運転罪〕2件については有罪〔懲役1年2月、執行猶予3年。求刑懲役2年〕。
(i) 「〔電算機詐欺罪にいう〕『財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録』とは、電子計算機を使用する当該事務処理システムにおいて予定されている事務処理の目的に照らし、その内容が真実に反する情報をいうものと解するのが相当である。」
(ii) 「松阪駅の自動改札機による磁気定期券の改札事務処理(具体的には、磁気定期券を投入した旅客の出場の許否の判定)の対象となっていたのは、①投入された磁気定期券が有効期間内であるか否か、②磁気定期券の有効区間内に出場駅である松阪駅が含まれるか否かの2点のみであり、入場情報(磁気定期券を投入した旅客の入場駅及び入場時刻)は、その対象となっていなかったとみるほかない。〔したがって、本件〕定期券につき、真実に反する情報が含まれていたとは認められない。」
(iii) 「磁気定期券を下車駅の自動改札機に投入した場合、自動改札機は、同磁気定期券の券面に記載された区間内から乗車したことを前提として出場の可否を判断する〔との検察官の主張は、〕個別具体的な事務処理の内容を捨象した解釈〔であり、同罪の〕外縁をおよそ不明確にし、処罰の範囲を不当に拡大するおそれがあるものというほかなく、採用し得ない。......電子計算機による事務処理において読み取りの対象とされておらず、財産権の得喪、変更の効果との間に何らの連関(因果関係)を有しない情報について、これを電子計算機による事務処理の対象とみることは許されないというべきである。」
(iv) 入場情報のない回数券を使用して出場したキセル乗車につき電算機詐欺罪を認めた東京高判平成24・10・30高刑速(平成24)号146頁の事案は「〔下車駅の自動改札機は、原則として入場情報を出場許否の判断対象とし、〕例外的に、回数券の有効区間内に自動改札機未設置駅がある場合に限り......入場情報のエンコードがないことが、有効区間内に自動改札機未設置駅における入場情報に代わるものとして扱われていた」というものであるから、「出場の許否の判定において入場情報をおよそ問題としていなかった」本件とは事案を異にする。

 

【解説】
1 本判決は、鉄道のキセル乗車につき電算機詐欺罪を否定したもので、まずは無罪という結論が目を引く。
2 キセル乗車に電算機詐欺罪の供用型(刑246条の2後段)を成立させるためには、出場時に自動改札機に投入される乗車券等の磁気記録を「虚偽」だとする必要がある。その法的構成は、さしあたり3つ考えられる。
第1は入場駅を偽ったという構成で、これは運賃債務の基礎となる乗車区間の偽りである。本判決はこの構成を検討し、虚偽性の定義(判旨(i))から、虚偽性の判断は当該システム事務処理の対象とされる情報についてのみ可能であると解し、本件では入場情報は事務処理の対象外だったとして、消極の結論を導いた (判旨(ii))。
もっとも、電算機に直接読み取られる情報でなくても、事務処理の文脈から意味として得られる情報については虚偽性を語れると従来解されてきた。典型は暗証番号の入力が本人性を意味すること(ただし同条前段)であるが、判旨(iv)の判例の事案も同じである。そうすると本件でも、出場時に読み取られた〈有効な定期券である〉との情報から、〈有効区間内のいずれかの駅からの入場である〉という情報が得られ、これが事務処理されるとも解しうる。 しかし、本判決は厳しい表現でこれを否定した (判旨(iii))。正しい情報が投入されても事務処理結果が異ならない場合は、結局「虚偽の電磁的記録」が事務処理対象だとはいえないというのである。本件では、〈近鉄名古屋からの乗車であり、運賃は高田本山-松阪間につき支払済みである〉という情報が投入されたとしても、松阪駅の自動改札システムは出場を許したと考えられる。
本判決は、同罪では「事務処理の判断の基準となる重要な事項」がシステム内在的に限定されるとするもので、本罪が電算機を利用した不法利得行為一般の処罰に墜するのを防ぐ点でも、詐欺罪との対比でも、評価できる。
3 もっとも、本判決の枠組みを越えるが、第2として運賃精算の要否を偽ったという構成もありうる。現実には精算が必要である場合、精算不要を示す記録は、投入が禁じられるが故に「虚偽」のものと解される。たとえば不正に入手した精算券で出場する行為である。乗車券(定期券)の機能も、券面の区間について運賃が支払済みであることを示すところにあるから、当該区間内での出場の場合では精算券に類似する。ここでは具体的な入場情報は無関係であるが、それ以外の点で定期券が精算券と区別できるかどうか、慎重な検討が必要である。
4 さらに第3として、乗車券の有効性を偽ったという構成もありうる。不正乗車に使用した乗車券は、旅客営業規則上、無効になるので(近鉄旅客営業規則105条6号〔定期券の場合〕参照)、それを有効なものとして出場に用いる点に虚偽性を肯定しうる。もっとも、出場に用いた乗車券の区間が無賃扱いとなり、それが直接の運賃免脱区間となるから、中間無札というキセル乗車の本質からは外れる。本件でもその構成は検討されていない。