1/2「木かげの径 - 小塩節」こころを言葉に(エッセイのたしなみ)-日本エッセイスト・クラブ編 から

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1/2「木かげの径 - 小塩節」こころを言葉に(エッセイのたしなみ)-日本エッセイスト・クラブ編 から

先ごろ、信州長野市に小さな旅をした。久しぶりのことだった。近頃は国内の幹線交通が便利になってしまって、北海道や九州でさえ私の住む東京から日帰りができる。仙台や名古屋、新潟や長野も新幹線での日帰りが何でもない。旅に出る、旅をたのしむ、などという感覚が私には無くなってしまった。
しかし今回は前後にさし迫った大きな用務がないので、思い切って行先に一泊することにしたら、小さくても旅に出たという実感を味わうことができた。それも友人の配慮のおかげなのだが、旅はどんなに近くへの小さなものでも、心をあらってぐれるものである。
宿に着くと、といっても近代的な純白の高層ホテルだが、玄関口に旧知の三島利徳さんが、いつも変らぬ丸い笑顔で待ちかまえていてくれた。長野市に本社のある信濃毎日新聞論説委員で、かつて文化部担当だったころに信州とドイツの自然について気楽なエッセイを何回か書くようにと依頼してこられた。丸々とした大きな字のお手紙がざっくばらんなのですぐお引き受けすることにした。ただ、山、川、空、雲、草木など何をテーマにしてもいいが、毎回自分で撮った写真を添えてくれという。小型の安カメラしか持たぬ私の素人写真で使いものになりそうなのは、樹木しかない。それ以外はとても無理だ。
もともと少年のころから木が好きだったから、気候がドイツに似ている信州の木々を毎回一種ずつ取り上げて書き出すと、段々おもしろくなってきて、「終り」という合図が来ないのをいいことに結局七年余続けた。悪筆の私の手書き原稿を三島さんは毎回自らワープロに打ち、素人写真をみごとなカラー印刷にしてくれた。正直に言えば、私は少年時代に今はもうない旧制松本高等学校の最終回生として、たった一年しか信州にいたことがなく、当時は空腹を抱えながら旧制高校生らしくドイツ語ばかり勉強していて、土地の木々をこまかに観察したことはない。ただ、留学や勤務で長くドイツにいるあいだに、彼の地の春の芽ぶきの激しさや、紅葉の鮮かさ、厳寒の冬に耐える木々の姿が信州と似ているのを感じていた。
のんびりした連載のテーマは三島さんの提案で「木々を渡る風」とした。途中、五年が経ったとき、毎回の記事をずっと読んでいたフランス文学者の小宮正弘さんが、「これは一冊の本にしなくてはなりません」と、それまでの分の切抜きを新潮社に届けてくださり、それがあっという間に単行本となり、そしてそれこそ思いもよらぬことに、日本エッセイスト・クラブ賞を受けることになった。

賞というものは国内外でいくつかいただいたけれども、いかにも単純で芸のない文章しか書けない私が、それでも毎回本音で木々へのいとおしみの思いを綴った文章に対してのこの賞は、本当にうれしかった。あちこちに書き散らしたものではなく、始めから終わりまで(実際はなおもずっと続いたのであるが)、ひたすら木のことについてだけ書いたのがよかったのだろう。
版を重ねたうえに、新潮文庫に入れられたのも有難いことだった。もとよりさほど売れず読まれぬたぐいのものだから、編集者には申しわけない思いがしているけれども、毎年のように全国の中学・高校・大学の入試問題などによく使われる。T大学の国語の入試問題に長文が引用されているのを偶然知って、自分でも解答に挑戦してみたが、問題が奇妙に難しくてテキストが自分の文章なのに答えられなかった。日本語は難しい。
さて、秋の夕暮は早く暗くなる。宿のホテルに軽い荷物を預け、三島さんのお招きを受けて夜道を小ぢんまりした川魚の料理屋に行った。千曲川はできるだけコンクリートを使わぬ自然堤防ですからね、魚がうまいです、と三島さんは得意げである。その通りだ。柳や、宮澤賢治が愛した榛[ハン]の木で土手を固めることができれば、川はずっと生きていく。千曲川が、いつまでもこのままでありますようにと二人して願い、盃を挙げた。
翌日、三島さんの案内で戸隠に登った。
長野市の北、山々に囲まれた戸隠高原はキャンプ場によく、北部は積雪が二メートルを超すスキー場としても人気が高いが、それは一九七〇年以降の開発によるもので、それ以前は神道の修験[しゆげん]の地であって、信心深い人びとを泊める坊が神社の近くにいくつもあった。学生時代に私もよく泊めてもらったことがある。
学生時代には長野駅前から日に数本出ていたバスには乗らず、リュックをかついで山道を歩いて行ったものだが、今回は三島さんと車で一気に高原に駆けあがった。途中の道々、リンゴが真っ赤に実っている。昔は気がつかなかったが、リンゴの木は樹冠の形が果実と同じように丸いなと思った。
越水[こしみず]の原と呼ばれる草原は幸い余り変ってはいなかった。さらに栃[とち]の木、ブナ、白樺の林を抜けると、戸隠で一番奥にあるので「奥社」と呼ばれるお社に通ずる参道の古杉並木は、昔とまったく変らぬたたずまいである。九世紀半ばから伝わる修験の気配に身もひきしまる思いがする。巨木や巨岩に昔の人が信仰心を抱いたのもうなずける。天をつく老杉は、どの木も巨大でおごそかだ。かつて少年時代の私は、参道の巨木の一本一本に手の平を当てて歩いたものだ。今思えば、根もとに茂る下草や笹をどう踏みわけたのだろうか、不思議な気がする。