2/2「木かげの径 - 小塩節」こころを言葉に(エッセイのたしなみ)-日本エッセイスト・クラブ編 から

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2/2「木かげの径 - 小塩節」こころを言葉に(エッセイのたしなみ)-日本エッセイスト・クラブ編 から

日本の神社は必ず大きくて堂々たる木々に囲まれ包まれている。鎮守の杜[もり]というように、森に包まれていると言っていいだろう。コンクリート砂漠になってしまった日本の町々の中に、濃い緑のオアシスを守っているのは神社の杜だ。仏教のお寺も日本では境内に木々が茂っている。
ところがヨーロッパのキリスト教会は、周囲に樹木があるのはほとんど例外中の例外である。山や岩頭や川べりに、そして中世以後は町々のド真ん中に、樹木のうるおいなしに石造りのきびしい姿を聳え立たせている。しかし教会堂に向かい合って立ち、しばらく見つめているとそんな人間精神がまるでむきだしの裸で建っているように見える石造りの教会が、実は森の木の姿をうつしているように思えてくることがある。
ロマネスクやゴシックの教会堂の、大地に足を踏みしめ、天を衝かんばかりに伸び上がる主塔や鐘楼を無数の小塔や鋭角の屋根が支えているさまは、森の王者オークの巨木を多数の小柄な木々の海が支え担っているのにそっくりだ。そして一歩聖堂の中に入ると、列柱は戸隠の老杉の並木とまったく同じような無限感を与えるし、窓からさしこむ光は森の木漏れ日。パイプオルガンの白銀色の管はブナの木々の肌と思える。ささやくように鳴るオルガンの練り絹ねような音は、木々の梢を渡る微風。次の瞬間、どよもすばかりにひびきわたる楽曲は、森をゆるがす嵐の音であり、それに抗して祈る人間の心の激しさそのものではあるまいか。つまりヨーロッパ人は、教会堂の外と内に、木々や森の姿を象徴的にうつしているのではあるまいか。私にはそのように思われてならない。ということは言いかえれば、洋の東西で表現の仕方には違いがあるにしても、人間が草や木によって生き、命を保っていることへの感謝の念が、信仰信心の場にあらわれているのではないだろうか。
高原の西のはずれ、奥社の左脇から背後の戸隠山頂、八方睨[にらみ]に登る細い道がある。修験者のためのものだ。ようやく頂上に辿りつくと、西のかた白馬連山までの広大な谷間は、見渡す限りの樹海である。西方からの登山道は、私の知る限りでは一本もない。二千メートル弱の山頂から西側は切り立った断崖になっている。
少年の日の私は幾度か山頂に立ち、空をゆく黒い鳥とともに樹海のかなたに飛んでいきたいと胸を焦がした。何年かしてドイツに留学し、ハイデルベルクの古城裏の山に登り、沈みゆく夕日の下に広がる樅[もみ]の樹海を見下ろしたとき、同じような思いにかられた。詩人ゲーテのドラマ『ファウスト』にもそんな場面がある。新聞連載の一回目にはハイデルベルクのことを書いたのであった。
信濃の大きな空の下の、広大な高原を奥社から中社に戻る径は萱の原と明るい林を抜けていく。つくづく思うに、草木はみなそうだが、これらの木々は光合成によって自ら生きていく養分と酸素をつくり出し、大地を壌成する。このような生産の営みは、人間にはけっして出来ない。人類を含む地上の生態系に対して木々は黙々と、かけがえのない大きな仕事をしている。それだけではない。木々は高木も低木も梢を高く天に挙げ、地に根を張って天と地を結ぶ。木々は光への志であり、天地の軸である。どの木も一回しかない地上の生を営み、与えられた地点から動くことなしに年輪を重ねる。そのような木々を、現代の私たちは不当に痛めつけていはしないだろうか。
木かげの径を歩きながら私は木々に済まないという想いにとらわれる。こうして木々を見、これは何々の木だと名を挙げるだけでわかったような気になっているが、実は暗い大地の中の根の張りようも知らないでいる。木によって浅くか深く垂直か、根の張り方の違いすら知らぬ。木々の生の、地上に出た上半分しか知らない。そんなことで木について偉そうなことがいったい言えるのか。
それどころか、地上の木々の何万分の一も知らずにいるのではないか。知らぬことがほとんど無限である。無限を前にして、何と卑小な自分だろう。私は次第に頭を垂れながら、三島さんのあとから、越水の原の木かげを歩いていた。