「梓川 - 浦松佐美太郎」文春文庫 教科書でおぼえた名文 から

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上高地へ入る少し手前、焼岳の煙を背にするあたり、林の中の道を幾曲り、川瀬の音が急に高くなって来る。
梓川は、ここのところで急にくびれて、力強い流れとなる。岩の上を乗り越えて、落ちてゆく水は、滑かに早い。目にも止まらない早さで落ちてゆく水を眺めていると、自分の頭の中までが、強い力で洗われてゆく。街の中から、ここまで運び上げて来た一切の雑念が、暫[しば]しの間に洗い去られてゆく。
岩の上を滑[すべ]ってゆく水は、よれて、もつれて、また戻って、同じことを繰り返しつつ、少しも休まずに流れている。流れのひと所を見つめていれば、水の姿の変化は、ただこれだけだ。
ふれれば切れそうに冷たい水だ。底の底まで透きとおった水には色がない。あれば、山の上に拡がる、飽[あ]くまで青い空の色を映しているに過ぎない。しかし、流れの底に、きらりと飜[ひるがえ]る光は、空のものではない。梓川の流れが、岸に佇[たたず]む自分の魂を打つのは、この水を走る光のためだ。
夏八月、雪を頂く山々は、直ぐそこからそそり[難漢字]立っている。谷を登りつめた槍沢[やりさわ]は、深い残雪の雪渓に埋められている。雪の下から、走り出た水は、山懐の雪の神秘をまだ大事に、じっと抱いているのだ。凍るような水の冷たさは、山の雪がどんなに近いかを思わせるものだ。水の光は、山の雪が、まだ消えやらぬ姿を、そこに止めているからだ。光を追って水が、水を追って光が、岩を乗り越え乗り越え、梓の谷を、落ちてゆく。
止まろうとする生活も、こだわろうとする考えも、この流れの岸に、腰を下ろすことによって洗いさられるのだ。この流れに見入る暫しの間は、愉しい時間であり、山の生活の序曲でもある。煩[わずら]い多い街の生活は、ここで一切の絆を断ち切られる。山の日が、ここから始まるのだ。
流れをやや遡った所で、谷は一度開けて、大きな川瀬となる。その川瀬となろうとする所に、丸木橋が掛けられてある。橋を渡れば、上高地の温泉だ。
笹を分けて、川沿いの道は、河童橋まで続いている。谷の流れは、河原の丸石の間を縫って白い泡を立てて、瀬の音高く流れている。河原のそここに、樺の木、楊の木が瀟洒[しようしや]な点景を作っている。
振り返れば、焼岳の煙が、静かな山々の間に、ただ一筋、山の情熱を表示するかのように、白くたなびいている。
上高地の谷が、穂高に当って曲がるところに、河童橋がある。山の谷あいに掛けられた、小さな吊橋にしか過ぎない。しかし、河童橋の名は、山が開けて以来、広くいい伝えられて来た橋の名だ。雪に彩[いろど]られた穂高の影を映す急湍[きゆうたん]が、橋の下を渦巻いて流れる、それゆえに、橋を渡った人々に懐かしい印象を与えているのだろう。
河童橋から見た山の景色は、晴れた日、山が目に近々と迫って見える時よりも、雨の日、岳が雨に霧に包まれて、遠く霞んだ時の方が遥かに優れている。濃くなり薄くなり、山をかすめてゆく霧が、木々の緑を、奥深く染め出す時、山は一段と活きて来る。最も東洋的な風景だが、鬱陶[うつとう]しいくらい木の生い茂った、日本の山には、最もふさわしい眺めなのだ。

雨が幾時間か続けば、山の窪みは、一時に真白な滝が懸り出す。透き通っていた梓の流れは、見る見るうちに、流れを増して濁り出す。流れの底を転がってゆく岩と岩との打ち合う音が、陰惨に響く。しかし、雨が上がれば、谷の濁りは長くは続かない。晴れてゆく空のように、流れは輝きを増して来る。そして又、清冽[せいれつ]な流れが、白い泡を立てて、山を映して流れてゆく。
徳本[とくごう]の峠の麓を越せば、梓川の姿は、また変って来る。明神岳の裾を大きく、ぐるりと廻ってから、穂高は、その大きな山容を、谷一面に張り出して来る。崖[がけ]沿いの道が一度高く登った所、目の下に、谷は大きく開けている。
幅の広い大きな空を挟んで、谷は明るく開けている。ごろた石の河原を縫って、水は幾筋にも流れている。山奥深く、これだけ広い河原を見出すことは、心をはるばると明るくする。
梓川の左岸、柵で仕切って牧場としたところは、徳沢[とくさわ]と名づけられている。山を屏風のようにめぐらして広い平地が青々と拡がっている。周囲の林には、ただ古いといっただけでは物足りないほどの大木が、暗いまでに茂っている。木々の下には、羊歯[しだ]が大きく葉を拡げて、すくすくと生い立っている。
谷は一ノ俣で曲がってから、山に押し挟まれて、急に登ってゆく。滝も幾つか懸って、谷はいよいよ急になる。梓川は、ここへ来れば、名を改めて、槍沢[やりさわ]と呼ばれている。なぜなら槍ヶ岳がもう直ぐそこに聳えているのだから。槍ヶ岳が青空を指して、ただ黒々と聳[そそ]り立つのが望まれる頃、谷は水を消して、一面の雪に埋められている。槍の雪渓が、谷から槍の肩まで、磨き上げたように、真白に登りつめている。肩を越えて来る風が、雪の冷気を孕[はら]んで、谷を下へと駈け下って来る。
梓の谷は、登りつめてここに終わるのだ。山の夢を固く凍らして眠る雪は、日の光を、青空を、眩[まばゆ]いばかりに照り返している。この山深く岩の間に凍った冷たさは、触れるものを切るほどの鋭さを持っている。空の青さを、深く吸って輝く雪は、色があってないのだ。月の夜、闇に眠る一切の中に、ただ一筋白く冴え返る雪渓は、眠られぬままに立つ人の心に、解き得ない謎を与える。
滴々と、雪に浸[し]みて落ちる水は、岩をくぐって谷に集まる。上高地のはずれ、丸木橋のほとり、人の心を捉[とら]えてゆく水は、この夢を、この光を、放ちもせずに、身内に固く抱いているのだ。