2/3「日記 - 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から

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2/3「日記 - 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から



こんにちの日本では、じつに多くの人びとが日記をつける習慣をもっている。いまある「当用日記」ふうのものは、明治十五年ごろつくられた形式らしいが、毎年、暮れになると本屋さんの店頭に日記帳が山積され、そしてそれが、結構売れてゆく。日記帳を買って、三日坊主でおわる例もすくなくはないだろうが、それを勘定にいれても、全国で数十万の日本人が規則的に日記をつけているはずなのだ。後世の史家にとって二十世紀の日本人の生活を再構成するための材料は、ふんだんにつくられているのである。
しかし、そもそも、なぜひとは日記というものをつけるのだろう。べつに後世のためにつけているわけではあるまい。後世のひとが、現代人の日記を利用することはあろうが、それはかれらの勝手というものであって、現在のわれわれは、かれらのために日記をつけているわけではない!いったいなにが人間に日記をつけさせるのか。
ひとことでいえば、それは、たぶん変化の感覚、とでも名づけるべき特殊なものである。今日は昨日とちがい、また明日も今日とちがうであろう、という日々の経験の変化の感覚 - その感覚が今日という日に特殊な意味があたえられた瞬間、今日を記録しておこうという欲求がうまれる。いいかえれば、日記というのは、日々が変化としてとらえられたときにはじめて成立するのだ。
「私日記」の成立が比較的あたらしいこともたぶんその点と関係する。多くの人びとにとって毎日は、かなり同質的なものであった。たとえば多くの農民にとって、今日は昨日のごとくであり、明日も今日のごときものであるだろう、という予想のもとに存在しつづけた。毎日がおなじようなことのくりかえしである以上、べつに、この一日が特殊だ、などという感覚の入りこむ余地はない。人間がそういう同質的時間のなかに生きているかぎり、日記をつけようという気分なんかでてこないのである。日記は、個人の人生が変化にとみ、可能性にとんだものとしてとらえられたときにはじまるのであった。
じっさい、歴史的にみても、西洋のばあいルネッサンス期、日本でも、おなじくルネッサンス的な室町時代に日記の傑作がつくられはじめている。それは、社会と人生がゆれうごきはじめた時代であり、今日という日が、まったく特殊な意味をもちはじめた時代であった。そこでは人間は、貪欲にこの「特殊」を記録しないではいられなくなっていたのである。
はなしはべつだん歴史的考察にかぎらない。こんにちのわれわれの生活のなかでも、日記への衝動がつねに変化の感覚と関係しあっていることを、われわれじしんがよく知っている。多くのひとは、少年時代から青年時代にかけて日記をつける。それは、青春が変化と可能性にみちているからだ。今日は昨日とちがう、そして明日は今日とちがうだろう、と青年たちは考える。かれらにとって、日々の成長を実感によってとらえることのできる性質のものなのだ。かれらは、日記をつくる衝動をおさえることができない。しかし、青年時代がおわり、ある程度まで人生のゆれはばがせばまってくると、ひとは日記をつけなくなる。単調な生活のくりかえし。そこでは、変化への期待もなくなるし、むしろ変化を避けようとするメカニズムさえはたらく。それを、生活の「安定」ということばで、われわれは呼ぶ。そして安定期にはいった人間は、もはや一日一日を「特殊」とは思わない。日記を書く習慣はそのときではったりと絶えてしまう。
とはいうものの、安定期の人生でも、ときどき突発的に日記への衝動がうまれることがある。それは、日常からいきなり異常な世界に人間がひきこまれたときだ。たとえば旅行など。
わたしは国内・海外を問わず、日本人は旅行に出たとき、かなり高い率で日記をつけているのではないか、という印象をうけている。じっさいに、ノートや手帳に一日の見聞を書きつづるひともいるし、たとえば絵ハガキなどに、どこに来て、なにをしたか、簡単に書きとめて家族や知友に送るひともいる。しかし、いずれにせよ、ふだんの変化のない生活のなかでは、ついぞペンなど手にしたことのないひとでも旅行に出ると、ほとんど反射的に経験を記録するようになるのだ。
むかしから「旅日記」というジャンルがあるが、旅という、変化のある経験のなかでは誰でもが日記をつけたくたるのである。日記は生活の記録というよりは、生活の変化の記録なのである。「自由日記」というのは、そういう変化の瞬間だけを自由にえらびとらせるためのくふうだ。異常にうれしかった日、悲しかった日 - とにかく、日常から離れた、変化のあった日、その日だけ日記をつけるのである。毎日、欠かさず日記をつけるひともたくさんいるが、そういう自由日記ふうのものをつけているひとのほうが、現代ではたぶんはるかに多いはずなのだ。

 



ところで、まえにものべたように、日本は世界に類例のない日記文化の栄えている国である。日記帳専門の出版社があり、子どもたちの夏休みには、かならず絵日記の宿題が出されるのが慣例となっている。世界共通に、社会変化のはげしい時代に日記が発生したのは事実だが、とりわけ日本の日記がこんなにさかんになったのはどういうわけなのだろうか。世界の他の文化より、日本は、さらに変化のはげしい国なのだろうか。
わたしの意見では、日本人は、たとえば西洋人にくらべて、ものごとをより多く「変化」の相においてとらえることの好きな民族である。客観的に事態が変化する、しないにかかわらず主観的心情のがわで事態を変化するものとしてとらえたがるものである。世のなかも人生も、とにかく変化するのだと日本人は思いこんでいる。それがわれわれの社会観・人生観の暗黙の前提なのである。
それにたいして、西洋人はどちらかといえば、すべてのものは変わらない、という前提でものごとを見つめる。変化をみとめないのではない。しかし、変化のなかに、なお永遠に変わらないなにかがある、とかれらは信じている。その信念があるから、変化をみとめるスピードも、またその頻度も相対的に低い。日本人にとっての大きな変化が、西洋人にとっては微小な変化であるにすぎないのである。べつなことばでいえば、日本人は西洋人よりも変化に対して敏感なのである。
なぜ敏感なのか。それはたぶん、日本と西洋の宗教の問題と関係する。西洋のばあい、神は唯一絶対神であった。唯一絶対神は、すべての事象についての根源的存在であり、根源的な説明原理である。神をひきあいに出せば、その絶対的性格によってすべてが説明されてしまうのだ。「永遠」で、「普遍」なるものの世界がおのずからそこにひらけてくる。そして、その「永遠」「普遍」の眼でみると、たいていの変化は、変化と見えなくなってしまうのだ。