(巻二十八)つちふるやつり革で読む三国志(福本弘明)

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(巻二十八)つちふるやつり革で読む三国志(福本弘明)

3月11日木曜日

風はなく陽は温し。洗濯物と毛布を干した。

今日のような日はやはり振り返る日になる。昼飯を食べながら年表作りに付き合わされた。息子が生まれのが平成元年(1989)で、息子が大学を卒業したのが2012年でその年の7月にお父さんが定年で、ここに引っ越したのが2017年で息子が独立したのが2019年などと振り返っていた。

初めはこれを元号で試みたのだが、うまく噛み合わず西暦にしてしまった。

西暦でいくさの話生身霊(長田久子)

散歩:高校コースを歩いた。葛飾野高校金網越えの花一撮である。修徳は部活をしているが、葛飾野は静かだ。

本日は三千九百歩で階段は2回でした。

読書: 「『阿弥陀堂だより』を書いたころ - 南木佳士」03年版ベスト・エッセイ集 から

を読んでいて《うつ病による罪業妄想と言ってしまえばそれまでだが、末期の癌患者さんたちを看取ることの多い生活をしてきた私は夜ごとになくなった人たちの顔を思い出し、彼、彼女たちの訴えの十分の一も理解できていなかったことを悔い、ひたすら詫びた。》と言う一節が惹き付けた。〈罪業妄想〉と言う言葉をすぐにネットで調べてみた。

厨事:煮魚、ナメタガレイ、の見張りを仰せつかった。金目鯛ではなかった。それでよいのだ。

願い事-叶えてください。吾が年表もあとは没年だけ。

どの顔もあとは死ぬだけ土瓶蒸(あらいひとし)