(巻二十九)公傷さへ油断といふか蟻地獄(安田杜峰)

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(巻二十九)公傷さへ油断といふか蟻地獄(安田杜峰)

6月1日火曜日

衣更えを致した。トレーナーなどの秋冬物を天袋の収納ケースにしまい、そこからTシャツと半ズボンを出した。

これからは楽が一番更衣(三宅久美子)

やや涼しいがTシャツと半ズボンで過ごした。

六月を綺麗な風の吹くことよ(正岡子規)

午前中は家事。細君は自分で洗濯物を干せるようになった。

午後はTシャツ半ズボンで散歩と買い物に出かけ、図書館で4冊借り受ける。図書館も閲覧室を再開した。

本日は三千二百歩で階段は2回でした。

今日は買い物で呆けをやらかした。オープンサンドでハムを使うのである。そのハムは4枚で170円くらいのももハムである。その安いハムのつもりで買ったのが4枚で300円もするロースハムであった。いつもはももハムが置いてある棚にこの高価なロースハムを紛らわしく置いて掴ませようという殆んど詐欺商法にしてやられた。生協、てめえ汚ねえぞ。

願い事-叶えてください。

Tシャツと半ズボンになると

露[あらわ]なる手脚短かし更衣(駄楽)

である。先も短い筈だ。何事も手短に終ることを願うばかりである。

「死の不安・恐怖への対処法は死について語りあうこと - 西部邁

を読んでいる。

《現代人は、主として学校や情報機関を通じて何ほどかは知識人になっているのであってみれば、死の不安・恐怖に悩まされているのは現代人なのだということもできる。あっさりいうと、死んでしまえば、自分の身体は単なる物質になり、自分の精神は無と化す、と正しく知らせたのは知識だということだ。

そういう意味では、知識人は死の儀式を破壊してきた。そういうことをしておきながら、大方の知識人は、自分は家族に見守られて死にたいとか、自然に溶け込んで死にたいなとと呟[つぶや]いている。そういう知識人の自己慰安は許されてよいものではない。

というのも、家族の制度や自然の体系の破壊を率先したのは知識人だからである。家族は自由の妨げであり、自然は技術によって切り取られるべき対象である、という考えを知識人は推し進めてきた。それなのに家族や自然によって自分を死の不安・恐怖から守ってもらおうというのは、どだい虫がよすぎるし、またそういう便利な家族や自然はもはや姿を消したのである。》