「長嶋様の生家をたずねて - ねじめ正一」日本の名随筆別巻73野球 から

 

「長嶋様の生家をたずねて - ねじめ正一」日本の名随筆別巻73野球 から

二年ぐらい前、NHKテレビを見ていたら、偶然長嶋様のお兄さんが出ていた。年齢は、長嶋様よりかなり年上みたいだが顔つきが似ているなと思っていたら、何と声もしゃべり方もあの長嶋様そっくりで、兄弟とはいええらく不思議な気持がした。
番組で、お兄さんは印旛沼の方を指さしながら長嶋様が素振りした場所を説明していた。何か長嶋様が育ったバックグラウンドを説明してくれているようで、見ている私はドキドキしながらも長嶋様が少しわかったような気がした。長嶋様と印旛沼は底知れないほどのつながりがあると思った。
お兄さんが紹介していたその印旛沼の自然がずうっと気になっていて、そのうち長嶋様の実家も、もちろん佐倉という街もゆっくり見てみたいと思っていたのを、とうとう念願叶って今日実行するのだと思うと胸がいっぱいになって東京駅から成田線に乗った。時間は午後〇時、電車のなかで食べようとホームで鮭弁当を買っておいたが、土曜日とあって会社帰りのサラリーマンや学生で車内はいっぱい、弁当を食べるどころか座ることもできない。
もっとも津田沼を過ぎると席はだいぶ空いてきた。ゆっくり座って、弁当を食べながら千葉の風景を眺める。この辺も都市化してきたというが、二十年前船橋のストリップ劇場へ通いつめていた頃の風景とそう違っているとも思えない。これから行く佐倉も長嶋様の住んでいたころとあまり変わっていませんようにと祈るような気持で弁当を食べ終え、短いトンネルを抜けると、もう佐倉の駅だった。
農業地帯らしく見渡す限りのどかのどか、緑も津田沼船橋辺と比べるとずっと色が濃い。ここだ、ここが長嶋様の生まれた佐倉なのだ。
時計を見ると〇時56分、東京駅から56分しかかかっていない。小学校六年のときに読んだ「長嶋茂雄物語」の記憶では佐倉はとても遠いというイメージだったが、来てみると意外に近い。こんなに近いならもっと早く来てみるのだったとしみじみ後悔しながらホームに降りて深呼吸する。長嶋様の生まれた街だと思うと空気までおいしく感じられる。長嶋様もこの空気を吸って暮らしていたんだなあと、感動がますます増してくる。
駅の横にある土産物屋に入った。これだけの長嶋人気だったら、長嶋まんじゅうとか、長嶋味噌とか、長嶋天然牛乳とかが佐倉の名産になっているのではないかと思って捜してみたが、そういうものはまるで置いていない。長嶋様ほどの人気者がいたら、よその街では商魂たくましく名産の一つや二つデッチあげるに違いないのに、さすが佐倉の人はエライ。プライドがある。恥というものを知っている。いやはや長嶋様は佐倉という町だけの人ではなく、日本の、いや世界の長嶋様だということをちゃんと知っているのだ。

土産物屋に敬意を表してマイルドセブンと地図を買い、駅前に戻ってタクシーに乗る。タクシーの運ちゃんに「長嶋サンの実家に行きたいんですけど」というと「あいよ」と一言、さすが長嶋様、運ちゃんの返事も慣れている。その運ちゃんに教えてもらったのだが、じつは長嶋様の実家は成田線の佐倉ではなく、京成線の京成臼井駅に近いそうである。京成臼井駅からだと歩いて一〇分くらいだそうである。しかし、私にとっては長嶋様の実家は佐倉でないと困るのだ。佐倉で降りないと長嶋様の生まれた街という感じがしないのだ。というのも「長嶋茂雄物語」を読んで長嶋様の尊敬する郷土の偉人が佐倉宗吾郎だと知っているからで、佐倉宗吾郎と言えばこれはどう考えても佐倉でなくてはならず、京成線の臼井では気分が出ない。おまけに、成田線の佐倉から長嶋様の実家までは相当かかるので、そのかかる分だけ佐倉の街が見られてかえって楽しみというものである。学生の長嶋様もきっと佐倉の駅へ出るにはこの道を一時間以上歩いたに違いない。
「長嶋の実家に連れていってくれというお客さんはよくいるんですか」
と運ちゃんに聞くと、
「いるよ。そうだね、お客さんぐらいの歳の人がいちばん多いね。お客さん、昭和二三年生まれじゃないの。オレも二三年生まれだよ」
これにはびっくりした。バーに行って若いホステスに齢を当てられて喜んだりしたことはあるが、佐倉で開口一番齢を当てられるとはおもってもいなかった。ホステスならいっしょに行った人の年令や話の内容から齢を当てられるのもわかるような気がするが、佐倉の運ちゃんには行き先を言っただけである。こうなると、まるで私の思想や性格や好みまで運ちゃんに全部当てられたみたいだレントゲンでカラダじゅう全部しらみつぶしで見透かされているようで、カッコつけてもしょうがないなあという気持になる。
いやはやもしかしたら長嶋様だけでなく、佐倉の人はみんな直感の働く人ばかりなのかもしれない。佐倉の風土には、直感を育てる何かがあるのかもしれない。長嶋様のあの「カンピューター」「動物的直感」も、佐倉のこの風土の一大傑作なのかもしれないという気がしてきた。そんなことを考えていると、「お客さん、ここですよ」。
運ちゃんが車を止めた。指さす方を見ると、長嶋様の実家はごくフツーの落ち着いた感じの家だ。両隣りの家と比べてもとり立てて目立っているわけでもない。この家に、NHKに出ていた長嶋様のお兄さんと、今年八六歳になる長嶋様のお母さんが住んでいるらしい。
しかし「長嶋」という表札が出ていない。表札を出していたのだが、私みたいな長嶋様ファンが黙って持っていってしまったのだろうか。と思ったものの、あんまりあっさり長嶋様の実家をさがしだすことができたので、ここが本当に長嶋様の実家なのかと疑う気持がわいてきて、買いものかごをさげた奥さんに「この家は長嶋さんの実家でしょうか」ときくと、私の顔をみることもなく「そうです」と当り前の顔つきで返事が返ってくる。
佐倉の人には疑うことない事実なのだ。疑った私がバカだった。さっきの運ちゃんに申し訳なく思えてくる。

ともかく本に載せる写真を撮らなければとカメラを構えてみたものの、カラーか白黒かでハタと迷い、念のため編集者のOさんに確認しようと長嶋様の実家から一〇軒くらい左にあるスーパーの電話ボックスに行くが、あいにく電話は使用中である。先客は着ているものから見ると、どうやら電気会社の人らしい。
「もしもし。お宅様に漏電の検査に行きたいのですが、道がよくわからなくて。どうやって行けばよろしいのですか。は、今ですか?今は長嶋さんの家のすぐ近くにいるのですが」
と電気会社の人が話しているのを聞いてまたまた感動。すごい。長嶋様の実家はこの街では目印になっているのだ。道がわからなくなったときに長嶋様の実家が合い言葉になっているのだ。
電気会社の人のあとから電話を済ませ、長嶋様の実家の真ん前にある経師屋さんのおばさんに話を聞いてみた。
「長嶋さんはときどきは帰っていらっしゃるんですか」
「帰ってくるみたいだけど、目立たないようにそうっと来てそうっと帰るみたい」
私もずいぶん取材をやってきたが、今回ほど聞くのに緊張したことはない。初恋の人の家を初めてさがしたみたいな気分だった。いろいろ聞きたいがじっとガマンして彼女の家の前に立ち、彼女はどの部屋に住んでいるのだろうかと窓のカーテンをみつめる、それと似たような気持だ。「長嶋茂雄物語」で、長嶋様のお父上が亡くなる前に、「茂雄、お前は日本一の野球の選手になるんだぞ」と言ったというエピソードを読んだけれど、その言葉を長嶋様は実家のどの部屋で聞いたのだろうとかしみじみ思ってしまった。
長嶋様が小さいころ、いつもどのあたりを走っていたとか、佐倉一高の場所を教えて下さいとか、長嶋様の話をお兄さんに聞いてみたかったが、この慎ましくおごそかに、ただひたすら落ちつきをもって暮らしている実家を目の前にすると、思い切ってブザーを鳴らして強引に聞くことなんかとてもできやしない。愛する恋人の家にずかずか入っていくことができるか?冗談ではない。本当に愛しているなら黙って去っていけばいいのだ。せめて長嶋様の実家の写真だけでも撮れればそれでもう幸せというものだ。編集者も長嶋様のファンなので私の気持はわかってくれるだろう。
タクシーを拾って、再び佐倉の駅に向った。帰りの風景ものどかだった。印旛沼で釣りをする人を尻目に、長嶋様を永遠に不滅にしたもののひとつの要因として、こののどかな風景があると思った。それにしても帰りの運ちゃんの太くて逞しい眉毛は長嶋様にそっくりだった。