ご内聞に-佐倉城趾徘徊ー其の四

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国立歴史民俗博物館を出て佐倉城趾を巡った。案内板によれば、徳川幕府開闢の頃の重臣土井利勝が築城したそうで、その後、堀田氏が城主であったとのことだ。
明治維新後、陸軍の連隊の駐屯地となり、その際に城郭建造物は全て取り壊されたそうで、何一つ残っていない。
ではあるが、城跡公園として一級品である。二の丸あと本丸あとなど何もなく緑の空間となっているところがかえってよろしい。
散策コースは木々に包まれていて、風の音をさわさわと伝えてくれる。
紅葉には早すぎたが落ち葉の散る並木など風情があるだろう。
城趾公園を出て、佐倉東高校の前に差し掛かった。校門に沿革が記されていたので読むと、昭和36年までは女子高だったとあった。長嶋茂雄氏が打撃練習で校舎のガラスを割り、特設ネットが造られたと言う佐倉高校とは違うようだ。
更に進むと房州屋と言う蕎麦屋があったので早昼と致した。板わさで一杯やり、盛り蕎麦をいただいた。散策コースの食事処としてはいい場所にいい構えである。味わいは特段のことはなく、つゆに出汁が足りないのではないかと感じた。
蕎麦屋を出て、呉服屋などもあるかつてはこのあたりの繁華街であったであろう新町を通り、市立美術館の十字路を左に下り京成佐倉駅に戻った。およそ七千歩の散策であったが、佐倉の西半分をかすめただけだ。
戴いたイラストマップを眺めると“蘭学通り”、“旧堀田邸”、“佐倉順天堂”、“寺町”、それに長嶋さんの“佐倉高校”のある東半分もなかなか魅力的である。
東京から一時間ほどのところに素晴らしい御城下を見つけた。
(完)