(巻三十四) 船宿は川に傾ぎて柳の芽(原綾女)

(巻三十四) 船宿は川に傾ぎて柳の芽(原綾女)

9月3日土曜日

雨は朝方にあがったが曇天。洗濯物を取り敢えず竿に干す。入浴剤、洗濯洗剤、髭剃りを買いにウエルシアまで往復する。

LinkedInにMonthlyをupしておいた。此方は衰退の一途だが、LinkedInの閲覧はここのところ伸びている。

BBCの番組をチェックしたが、今週の番組は暗い世相・物価高を反映した構成になっているので聴いて楽しくない。期待できるのはCrowdScience “What happens to insects in the winter?” だけか?

冬蜂の死にどころなく歩きけり(村上鬼城)

昼寝して散歩。図書館で返却して、蓮光寺掲示板を拝む。回答は「当たり前」と左下に書いてあった。そこから二丁目の飲み屋の路地へと歩いた。今週はゼリヤとやよい軒で飲んだが一回500円見当だったし、木、金は飲んでいないから少しは遣ってもいいかと

いった心持ちで「かっぽれ」のところまで来た。BBC食用油の高騰を伝えているし、今のうちに揚げ物を食べておこうと思ったのだ。「かっぽれ」の表の品書きを見ると「揚げ物-エビ、カキ、イカ、600円~1600円」となっている。カキフライを食べてホッピーの中一回で3000円までは行くまいが勘定ができない。それにここはお通しが出る。カキフライは安心して食べられる和幸にでも行って食べよう。Septemberと言ったって何時のカキだかわかったものではない。飲み屋の勘定が試算とピッタリ合ったときは気分がよいし、また来てみようという気になるが、幾らくらいか見当もつかないのは嫌だ。江北橋通りを渡って銀座の寿々喜に入り、煮込みで一杯して、ざるを食した。試算ぴったしの1750円。煮込みは600円だが、串焼き本舗やモツ吟のお猪口に盛った煮込みより値段だけのことはある。今やちょい飲み二千円時代か。

願い事-ポックリで叶えてください。

「老後や余生の一日ではなく、「自分」の一日 - 勢古浩爾」古希のリアルから

を読み返してみた。

大筋共感だが、

《 余生という言葉がある。恰好をつけて「あとは余生みたいなもんよ」というやつもいる(いないか。実際に聞いたことはない)。「もういつ死んでもおかしくはない」の項でふれたように、もう八五パーセントの人生を生きたのだな、と思うと、残りの一五パーセントは余りもの、という気分になってしまうのも無理はないと思う。》

には衝撃を受ける。古希で85%と

いうことは82歳までか。平均余命から計算すればまだ12年も居なければならないとは!残り12秒でも文句はない。

雨蛙めんどうくさき余生かな(永田耕衣)