「退屈な日 - 東海林さだお」ヒマつぶしの作法から

 

「退屈な日 - 東海林さだお」ヒマつぶしの作法から

つい、五年ぐらい前までは、だれにでも、退屈な日というものがあったと思う。
なんにもすることがなくて、終日、ぼんやりと、ウロウロと過ごしてしまう、そういう日があったと思う。
灰皿とタバコを持ち出して、縁側に出る。腹這いになって煙草を一服吸う。なにかすることがあるような気もするが、さて、むっくりと起きあがってみると、なにもすることがない。
こういうとき、落語などでは、猫のヒゲを抜いたりするのであるが、その猫のヒゲは、おととい全部抜いてしまった。
では、自分のヒゲを抜けばよいではないか、と人はいうかもしれないが、それは、さきおととい抜いてしまった。
やむをえず、また煙草を一本。
ずるずると縁側をずり下がり、首を曲げて縁の下をのぞき込む。別に縁の下に用事があるわけではないが、とにかくいろいろとやってみるわけである。(そういえば、縁の下というものにも、最近とんとお目にかからなくなった)
縁の下にはクモが巣を張っている。梯子なんかが突っ込んである。ずっと奥のほうには、ずっと前に、なくしたと思っていたゴムマリなんかがひっそりと埃をかぶっている。
そのまたずっと奥のほうには、野良猫の目が、キラッと光っていたりする。
子供の頃、上の歯が抜けると、ここへ放り投げたっけ、なんて考える。
というぐあいに縁の下を眺め終る。縁の下というものは、そう変化に富む場所ではないから、眺め終るのに、十分とはかからない。
また煙草を一服。
ノソノソと部屋に戻り、机の引出しをあける。爪切りがある。手と足の爪を、きれいに切り、ゴシゴシとヤスリできれいに研[と]ぎあげ、また一服。
もうひとつの引出しをあける。耳かきがある。目を細めて耳を掘る。耳あかをゆっくり眺め、また掘りにかかる。
耳の内部というものも、そう広々とした容積があるわけではないから、この作業も五分ぐらいで終る。
もはや、なにもすることがない。
そんなときである。
遠くのほうから、屑[くず]屋さんの呼び声が聞えてくるのは。
およそ、それを職業とする人の、職務上の発声とは到底思えない、もの憂げな、投げやりな呼び声が、はるかかなたから聞えてくるのである。
最初はぼんやりとその声を聞き、ややあって「来た!」と心ときめくのである。たしか新聞紙が、押入れにたまっていたはずだ。雑誌もすこし整理して売ろう。
つまり、することが生まれた喜びなのである。
それにしても、昔から、張りきった、元気はつらつとした屑屋さんの呼び声を、聞いたことがないのはどういうわけだろう。
下駄をつっかけて、竹垣から外を見ると、
「ア、来た来た」
炎天の下を、麦わら帽子をかぶったおじさんがリヤカーを引いて、自分の影を踏みしめ踏みしめ、ゆっくりゆっくりやってくる。おじさんは決して、急いだりはしないのである。
おじさんは、たいてい五十がらみで、たいてい陽にやけ、たいてい実直そうである。
いや、全国実直代表とでも呼びたいぐらい、実直そうなおじさんである。その後を、全国実直奥羽地区代表みたいなおばさんがついてくることもある。
おばさんは、実直そうではあるが、やや怠惰である。ここのところが、屑屋さんの屑屋さんたるゆえんであろう。
呼びとめられたおばさんは、まず水を一杯所望し、ポンプ井戸から水を汲み、ゴクゴクと飲み干して、汚ない手拭いで汗を拭く。
そうして、すぐにはビジネスにとりかからずに、まず世間話ということになる。
世間話の内容は、ここから数軒先の田中さんちの娘は、出戻りで帰ってきたとか、どこそこの後家さんは、最近男ができたらしいとかいったたぐいの話である。世間話が終って、では、と腰をあげ、やっとビジネスにとりかかる。
このおじさんは、世間話をするのが職業であって、屑集めは、つけたしであるかのように、めんどうくさそうに、新聞紙の束を棒ばかりにかけ、なにがしかの金を置いて去っていく。
そうしてまた、退屈な午後が始まるのである。
つい五年ぐらい前までは、だれにでもこういう一日があったと思う。しかし今や、退屈な日などというものは、どこのだれにもなくなってしまった。
世はモーレツ時代だそうで、みんなセカセカ、オロオロと浮き足だち、実直代表のおじさんは、一日三千円の新築工事に走り、新聞紙集めは「毎度おなじみチリガミ交換」となり、リヤカーは小型トラックに変わり、もの憂い呼び声は、スピーカーの大音響となり果ててしまったのである。