「田沼武能写真集『文士』序 - 山口瞳」

 

田沼武能写真集『文士』序 - 山口瞳

田沼さんと知り合ったのは、昭和二十九年から三十年のことで、だから、ずいぶん長い交際になる。その頃、彼は年齢を偽っていた。というより、そのことをアイマイにしていた。私は、長い間、彼のほうが年長だと思っていた。あまりに早く世に出てしまったため、そうすることが商売上で必要であったようだ。
雑誌の編集者であった私は、田沼さんをヒイキにしていた。人物写真は、ほとんど彼に依頼した。サントリーの宣伝部に移っても、その関係は続いた。
私が彼の仕事を好んだのは、ただ一点、彼がフィルムを惜しまなかったからだ。他のカメラマンの四倍も五倍もフィルムを使う。彼は間断なくシャッターをきる。私は、大きなカメラを使い、大勢の助手を使い、バッグに凝り、ライティングに凝り、バシャッと撮っておしまいというカメラマンを好まなかった。それでは写真は綺麗であるかもしれないが、人物が死んでしまう。
これは、彼とは一度も話しあったことがないのだけれど、彼は、写真は芸術だと思っていないのではあるまいか。写真における偶然性やアマチュアリズムを大事にしている人だと思う。その意味で、彼は、まことに謙虚だった。おそらく、田沼さんぐらい、大家ぶらない、芸術家ぶらないカメラマンはいないのではあるまいか。俺は浅草生まれの写真屋だと思っているにちがいないと思う。彼の写真には、何か詠み人知らずといったような趣きがある。だからこそ、彼は、プロの写真家なのである。私は、田沼さんと知りあうようになってから、人物をきちんと撮れるカメラマンしか信用しないようになった。
彼は、薄暗い酒場などで写真を撮るときでも、絶対にフラッシュを使わない。生きた写真ということもあろうけれど、彼は腕に自信があるのである。写っていればいいというものではない。
私は、これも長い間、田沼さんは社会派のカメラマンであり、人物写真しか撮れないと思いこんでいた。だから、昭和四十九年に発表された写真集『武蔵野』(朝日新聞社刊)を見たときは驚嘆せざろうえなかった。そこでは、田沼さんは、頑固に人物を拒否していた。人物を消すことによって、田沼武能という人間がクッキリと浮かびあがっていることに驚いたのである。これは十年がかりの仕事であったという。
もはや、田沼さんの子供の写真を知らない人はいないだろう。これも、長い年月をかけて、自費で、日本国中を、世界中を飛び廻って成しとげた仕事である。田沼さんが、いかに純粋で執拗な人間であるかがわかると思う。自分の愛するものにすべてを賭けてしまうような男である。
しかし、それでも、やはり、私は、田沼さんの真骨頂は、大人の人物写真にあると思う。それも、文士の写真がいい。
田沼さんに文学がわかるかどうか、一緒に酒を飲んでも、そんな話をしたことがないので、私には、そのことはわからない。しかし、田沼さんには人間がわかるのである。彼は、自分のカメラのレンズを通してみると、たちどころに、人間がわかってしまうようだ。どうも、そうとしか思われないのである。彼は、コイツだと思ったら、子供のような純粋な心で、執拗に、レンズを通した目でもって追いかけ廻すのである。そのとき、彼には、文学も小説もあったもんじゃない。そうすることによって、作家の顔は、こちらに何かを語りかけてくることになる。
田沼さんの、優に二十五年を越す、この仕事を見るのが、私にとっては、非常なる楽しみであり、同時に、それは、おそろしいことなのである。