(巻三十五)晩秋やあつさり癌と告知さる(松重幹雄)

巻三十五)晩秋やあつさり癌と告知さる(松重幹雄)

12月17日土曜日

どんよりと曇った朝だ。朝家事は掃除機がけ。昨日ガラス戸のスライド・レールの掃除をしたが、却ってギシギシと音がするようになったとケチを付けられた。

柿を剥いて、昨晩の残り料理を電子レンジで温めてから、午後は雨かもしれないので散歩に出かけた。年末年始の図書館休館を勘定に入れて借り始めたが、4冊のうち2冊は年越しなどさせずに返却だ。また貸出し予約を入れておこう。午後は散歩しないつもりなのでクロちゃんに会いに行った。いつものところにいないので、どこかと探したら草むらにいてくれた。クロちゃんの方も「あ~ら、旦那さまこんなお時間に、」といった顔つきで体を摩り寄せてきた。こんな天気でも背中を撫でたら暖かい。よかった!

ウエルシアに寄り、言い付けの品を買って帰ったが、タンスの吸湿剤が指定銘柄と違いケチを付けられた。指定銘柄が無いんだから仕方ないだろ。

夜回りを労ふ狐のかくし酒(佐怒賀正美)

労らわれない。

昼飯食って、一息入れて、読書。

夜、風呂を上がってから風呂の排水口の掃除を致した。パイプユニッシュというパイプ洗剤を流し込むのだが、投入後一昼夜放置した方がより効果的だと唱っているものだから、彼奴がその気になってこんな時間に風呂掃除となった。湯冷めすると寝床での体温回復がもううまくいかないんだよね。

願い事-涅槃寂滅です。輪廻転生を断ち切り完全な無をお願いします。

晩秋やあつさり癌と告知さる(松重幹雄)

と告知の句の廻り合わせになり、その心境を綴った何作かを読んだが、やはりこの作品が好きだ。

《「この次、生まれ変わるとしたら、何になりたい?何をしたい?」

「生まれ変わりたくない。パパは疲れたよ。もう休みたい」》

「死ぬのによい日だ - 丸元康生」文春文庫 09年版ベスト・エッセイ集 から

父、淑生は、一昨年の十一月、東京広尾の総合病院でがんの宣告を受けました。

食道がんです。その中でも小細胞がんという珍しいタイプです」

「......それは、どんながんなのですか?」

「ちょっと嫌な顔をしているがんで、進行のスピードがとても早いのです。おそらくもって半年だと思います」

突然の、あまりにサラリとした余命半年の宣告でした。

診察室を出た父と母と私は、同じフロアにあるロビーのソファに腰を下ろしました。

父の様子は、ふだんと何も変わりませんでした。

「まだ半年あるじゃないか。みんなで楽しく過ごそうよ」

自然で、あたたかく、力強い父の声でした。

治療に関して、父の方針は明快でした。生活の質を下げて、仕事ができなくなるような治療はやらない、ということです。

父は、ベストセラーになった『丸元淑生のシステム料理学』をはじめ多くの著作をのこしましたが、八十九年に発表した「今日は死ぬのにとてもよい日だ」(後出『地方色』所収)というエッセイでは、次のように書いています。

私は「スーパーヘルス」という本も書いているし、栄養学に基いた料理書も何冊か出している。それで生計を得ているのだから、食事に対してはおそらく人並み以上の注意を払っている。どういう食事が健全なものであって、いかにすればそれを毎日とることができるか、といった事柄を追求している立場にすれば食事に気を配るのは当り前だが、それで長生きをしようとは思っていない。命を粗末にしてはならないと思っているだけだ。

父のこの姿勢は、最後までぶれることはありませんでした。自分に残された時間の中で、最善の仕事をする。そのために、いつでも一番よい食事をとろうとしていました。

若い頃からずっとそうでしたが、毎日をアクティブに過ごしました。本来なら入院して安静に過ごすべき状態の時でも、通院して放射線治療を受け、すぐに仕事にでかけ、夜遅くまで帰らなかったりしました。「少し休んで」という家族の声にも耳を貸しませんでした。

からだが動くかぎり、休まず、精力的に活動し続けました。

「今日は死ぬのにとてもよい日だ」は、死を間近にしたインデアンの詩を紹介したあと、次のように締めくくられています。

こういう死は病院では迎えられない。笑い声にあふれたわが家で、老人はいま死と対面しているのだが、心にあるのは美しいもの、内なる歌声、そして生命への慈しみである。それは星の降る大地の上でしか、見ることも聞くことも感じることもできないものかもしれないが、誰しも天寿を全うしたときには、これに似た幸福感が得られるのではなかろうか。

死とはまさに生涯をかけての達成なのである。

今年に入ってからは、日に日に体力が衰え、自宅で寝たきりになりました。声もかすれ果ててしまいましたが、母が質問すると、答えてくれました。

「好きな食べ物は?三つあげるとしたら?」

大根おろし、ナスのヌカ漬け、唐人干」

「じゃ、旅先で食べて一番好きだったものは?」

「スペインの電車の中で食べた生ハムのサンドイッチだね。生涯で一番おいしいと思った」

「天国に行ったら、神様に何て言われたい?」

「......『歓迎しますよ』」

「この次、生まれ変わるとしたら、何になりたい?何をしたい?」

「生まれ変わりたくない。パパは疲れたよ。もう休みたい」

亡くなる数日前、父は家にいた母と妹を呼び寄せ、「ぼくは、もう話ができなくなるなるかもしれないから、今のうちに話しておくね」と感謝の言葉を伝え始めました。母は、家族がみな大好きだった父のエッセイ集『地方色』(文藝春秋)の中から「ベゴニア」「欅を見れば」、「十七歳」を朗読して聞かせました。

「パパのオリジナルの表現だよね」

「素晴らしいね!」

父は涙を流していたそうです。

私には、父の心の内は分かりません。幸福な一生だったかどうかも分かりません。でも、最後にとてもよい日を持てたのだなぁと、嬉しく思っています。

三月六日の朝、父は静かに息をひきとりました。