(巻三十五)仕留めたる蚊の血の濃さよ吾若し(芳海たくみ)

(巻三十五)仕留めたる蚊の血の濃さよ吾若し(芳海たくみ)

1月7日土曜日

曇り空の朝である。朝家事は拭き掃除だけで、毛布干しは致さず。

喋りたい喋りたいの細君は妹に電話して“うさ”を晴らしていたようだ。その結果も喋りたい喋りたいの細君が喋る喋る。いい加減嫌になる。返事をしないと面白くないと膨れる。困ったものだ。

そんなこんなのあと、昼飯を喰って、一息入れて、散歩に出た。先ず昨日不在だったクロちゃんに会いに行く。定位置に居ないので呼んだら生垣の間から飛び出してきた。猫は可愛い‼クロちゃんにスナックを振る舞っていたら、離れたところでサンちゃんが此方を見ている。腹が空いているのだろうとクロちゃんに二袋あげたあとサンちゃんのところに行き、サンちゃんの定位置まで一緒に帰って、そこでスナックをあげた。猫に焼きもちと言うものはないようでスナックさえくれれば文句はないようだ。

昨日、店の前まで行って気が変わった食べなかった鍋焼きを食べに銀座の寿々喜さんへ参った。今日は迷わずに入店して鍋焼きを頼んで先ずお新香で一合。なかなか鍋焼きが出てこないので料理場にまだですかと声をかけた。注文を取った大女将が忘れていたようで慌てて拵えたのが出てきた。それでもう一合頂いた。トッピングの玉子焼きがなかなかよろしいのであるのだよ。しかし、いつまでにこんな事が出来るのだろうか?出来るうちにやっておくというのも一つの考え方だが。

若女将の「本年もよろしく‼」で心持ちよく店を出て、あたかも酒宴のあと馴染みのバーに寄るが如く稲荷のコンちゃんを訪ねた。コンママは至極愛想よく迎えてくれたので、いつもは一袋のところを二袋お渡しした。猫は可愛い‼

淡雪やBARと稲荷と同じ路地(安住敦)

願い事-涅槃寂滅です。

荷風の言葉に

清貧と安逸と無聊の生涯を喜び

酔生夢死を満足せんと力むるものたり

というのがあるが、それそれそれですよ‼酔生夢死っていいなあ‼

一昨日借りてきた図書は93年版と97年版の随筆集を読んでいる。30年近く前の随筆の中で普遍的な作を探して読んでいるがなかなか出て来ない。明治大正のことならその時代のことだから抵抗なく読めるのだが、自分も生きていたちょっと以前の話となると“あの頃はそんなことを当然のことと考えていたのか‼”というやや沈んだ気分にならざろう得ない。

紙魚走るバブル絶頂期の日誌(柴崎正義)

そんな中である程度“普遍的”な話を面白く描いた、

「関西人の真骨頂 - 藤本統紀子」エッセイ’97待ち遠しい春 から

をコチコチしながら読んだ。25年前の浪花の雰囲気と今日とそうは違うまい。

土地土地の人の気質を伝えている随筆と云うと

「名古屋に多い“シブチン”男 - 石坂啓」日本の名随筆別巻54悪口から

を思い出した。再読いたす。

身の丈で生きて知足や去年今年(井上静夫)

「名古屋に多い“シブチン”男 - 石坂啓」日本の名随筆別巻54悪口から

金にセコイ男が苦手である。嫌なタイプの男はもちろんいろいろあるけど、てっとり早いモノサシで言うとコレですね。金払いが悪く、セコク、みみっちく計算してる男とはあまりつきあいたくない(金がない男という意味ではない、念のため)。

誤解をおそれずに言うと、名古屋に住んでいるときにこのタイプが多かった。私は名古屋出身なので決して嫌って言うんじゃないけれど、セコイとかガツガツお金を貯めるといった積極的ケチというよりは、むしろシブチンと呼んだ方が適確かもしれない。あんまり財布の口を開けない......といったニュアンス。来るものは拒まず、そのあとは出してあげない......といった感じ。

昔テレビのクイズでやってたジョークだけど、ある三人が食事をしたあとで、東京の一人はミエッぱりなので三人分の代金を払おうとし、大阪の一人はさっさとワリカンの分だけ払おうとする。そのとき名古屋の人はどうするか?...  お礼のことばを考える、というのが答えだった。そうそう、とか情けない気もちで笑った覚えがある。もちろん名古屋の男だって、目のさめるような気っぷのいい男はいっぱいいる。でもまあもし数字にでも表せるのなら、賭けてもいいけど、シブチンタイプの割合は多い。街全体の空気がそうなのだから、私も特別ヘンだとは思わずにいた。むしろ上京した時などは、なんてまあ東京の男は人にごちそうしたがるんだろうと、驚いたものだった。

だから高校生の頃のデートなんていつもワリカンで、お茶をおごっつもらった覚えなんてほとんどない。そのボーイフレンドが車に乗り出した時も、いつも半分ガソリン代を払っていた気がする。総じてセコかったその彼と別れて半年ほどたった時、レコードを返してほしいと呼び出されたことがあった。彼にもらったつもりでいた「ツェッペリン」だった。

べつにズルく立ちまわってるわけじゃないだろうけど、なあんとなくサッパリしない名古屋の後輩もいた。昼飯をごちそうしてあげるとたいてい店で「カツ丼でいいです」と答える。私はこの「で」の字がいつもひっかかった。「カツ丼がいいです」と言わずに「カツ丼で」と言うと、もっと高いものもいっぱいあるけどボクはこれで......とまあ、一応遠慮しているふうに聞こえるではないか。そういうのは正しく「素うどんでいいです」と使ってほしかった。

でもまあこれらの例だって、単に私が実害をこうむったからグチを言っているようにきこえるなあ。彼らも今や、地道な堅実さでもってマイホームに住んでるんだろうから、向こうにしてみれば金にだらしない生活をしている私の方がおかしいというかもしれない。