「盆栽を始めるとき - 村上龍」無趣味のすすめ から

 

「盆栽を始めるとき - 村上龍」無趣味のすすめ から

実は、趣味があればよかったかなと思ったことが何度かある。わたしが作家になった理由は、第一に作家以外には何にもなることができなかったというもので、第二は、早起きが苦手だからというものである。
まだ眠いのに起きなくてはならないというのは本当に苦手だ。早起きしなくてはいけない日があるときは、その二週間くらい前から憂うつな気分になる。早起きをしなければいけなくて実際に早起きをした朝は、明日の朝は好きなだけ寝ていられると自分に言い聞かせて精神の安定を得るようにしている。そんなわたしだが、加齢とともに、朝方目覚めてしまって、もっと眠っていたいのになぜか眠れないという事態が起こるようになった。
そういう朝は、こんな時間に起きても何もすることがない、いったい何をすればいいのだろうと不安になる。眠りが足りなくて苛立っていて、とても執筆なんかできないし、読書する気にもなれない。わたしの読書は小説の資料中心で、豊かな時間を過ごすというより飢えた動物が獲物を漁るみたいに読み進めるので、苛立っているときは読書さえできないのだ。それで、趣味というのはこういうときに必要なのではないかと思ったのだった。
庭を眺めながら、盆栽とか家庭庭園とか蘭の温室とか、心を無にして植物に接することができたらどんなにいいだろうと思った。絵を描いたり写経をしたり楽器を演奏することも考えた。だがわたしは結局何もしていない。苛立ちが治るのを待ち、小説を書き、資料を読むようにした。執筆時間が夜ではなく昼間に変わっただけで、結局趣味は作らなかった。犬の散歩やテニスや水泳はやっているが、ただのリフレッシュで趣味ではない。旅行も多いが必要に迫られて別の場所に行くだけで、これも趣味とは言えない。
でもいつか盆栽を始めるときが来るのかなと、今でもときどき考える。そのときわたしは小説を書くのを止めているだろう。その想像は決して悪いものではない。盆栽は案外すごい世界で、きっと奥が深く面白いだろう。でも、そうなったら、おそらくわたしは盆栽の小説を書き始めるのではないだろうか。そして盆栽の小説を書き始めたら、たぶん盆栽はやめてしまうのだろう。