(巻三十六)凡凡と生きて花ある春のくれ(伊藤和夫)

(巻三十六)凡凡と生きて花ある春のくれ(伊藤和夫)

 

3月21日火曜日

寝酒をしないと渇きで夜中に目覚めず熟睡できる。寝酒は暫し自粛してみよう。

曇り。天気下り坂の予兆か。朝家事は拭き掃除だけ。

昨日通帳の記帳に行った細君から二点確認を受ける。給与の振込額がいつもより二千円ほど多いが如何?(交通費です。)年金の振込額がお父さんから言われていた額より4円多いが如何?(多分、お父さんが間違って転記したメモを渡したのでしょう。)

臍繰りの通帳も押さえられているが、そちらのことは言われなかった。

天気下り坂に備えて取りあえずの品、鶏肉、ピーマン、食パン、を買いに生協へ出かけて、途中でトイちゃんを呼び出して遊んでもらう。

昼飯は、昨日細君が買ってきた崎陽軒の肉マンをいただく。

肉マンを二つ並べて四月馬鹿(拙句)

昼飯喰って、一息入れて、散歩。図書館で返して借りた。図書館前の都住では猫婆さんがコソコソと3匹の野良に結構上等なキャット・フードを振る舞っていた。猫嫌いもいるらしくいろいろ憚って猫たちの世話をしているらしい。そばに来られて迷惑という感じだったが、ちょっとだけ覗いた。

図書館からクロちゃんに会いに向かった。今日は食事のあとだったようで餌を欲しがらない。それでも足にすり寄り、撫でたり掻いたりしてあげると素直に喜んでくれる。

稲荷のコンちゃんのクネクネは食べ物欲しさに媚びるていう感じだが、クロちゃんのは明るくフレンドリーな親愛の表現だ。

そこから生協へ回ったが、何も買わずに帰宅。今日は抜くことにした。

今日はシャッフルで

https://www.bbc.co.uk/programmes/p088fxnx

これが当たった。美容師さんの話について行けず、先生の用語は解らない、おまけに禿の話では筆が進まず。そんな時もあります。

願い事-涅槃寂滅、即死酔死です。

昨日からの流れで、

「なんとかなる(仮題) - 勢古浩爾」宝島社刊『60歳からの新・幸福論』から抜書

読み返してみた。

生きているのは面倒だ。遁世から辞世への道を進もう。あとは上手に果てるだけだ。

先に逝くことも幸せ桃の花(河村章)

 

「なんとかなる(仮題) - 勢古浩爾」宝島社刊『60歳からの新・幸福論』から抜書

 

「なんとかしてきた」から定年後も「なんとかなる」

 

この本に限らないが、「~しなさい」系の定年本にプレッシャーを受け、私も何かしなければいけないのか、と焦るのはよくない。世間(他人)に自らの生き方がどう映るのかが気になり、また、「この著者は充実した定年後を送るうまい方法を知っているかもしれない」と期待して定年本に頼るのだろうけど、はっきり言って、誰も何も知りません。知っているふりはしているけど。人は世間のために生きているわけではないうえ、その世間は、口は出しても責任は取ってくれない。定年本がそね典型である。

そもそも定年後は、「定年まで、自分がどのように生きてきたか」の延長です。定年になって、新たにリセットされて、何かが新しく始まるわけではない。それは、今までどう生きてきたかに尽きている。金が貯まってなければ、それ以後も貯まらないだろう。急に健康になるわけでもなければ、ズボラだった性格が真面目になるわけでもない。それなのになぜ、「老後資金は大丈夫か」「○○を食べないと長生きできない」などの言葉に怯え、大学教授や大企業に勤めた人たちの定年本を読むのか不思議でならない。

定年は誰にとっても初めての経験である。だから不安にもなるのだろうが、考えてみれば、幼稚園に入る時や小学校の入学、さらには大学も社会人デビューもすべて初めての経験だったではないか。幼稚園は、子ども心にはとても恐怖だったはずである。知らない人ばかりの何もわからない場所に、いきなり放り込まれるわけだから。

それでもみんな、なんとかやってきたではないか。仕事を含めて自分一人の力でやってきた経験があるわけだから、定年後もなんとかでき、なんとかなるに決まっている。それにあなた自身の状況を知っているのは、あなた以外にはいないのである。そう考えれば、人に自慢できるようなことがなくても、贅沢な定年後の生活ができなくても、平穏に生きていられるだけで幸せではないか。あなたの定年後を考えるのに最適任者は、あなた以外にいないのである。

 

「通勤地獄」から解放された喜び

 

私の退職後の生活は11年目になる。日常生活で楽しいことや幸せなことはなんだろうと聞かれれば、まあ幸せとも思わないが、「通勤をしなくていいこと」だろう。勤めていた会社は東京の御茶ノ水にあった。私の自宅がある埼玉県の町からは東武線と地下鉄・千代田線を乗り継いで行くことになる。この千代田線が当時「日本一混む」路線といわれ、いつもすし詰め状態で、まあひどかった。乗換駅の北千住は混雑で入場規制がしょっちゅうでホームに入れない。電車が来ても2~3回はやり過ごさなければ乗車できないというありさまだから、この通勤が嫌で嫌でたまらなかった。

このストレスが、今はない。もう常態化しているからそんなに意識することはないのだが、会社に行かなくていいというのは、実は夢のようなことである。そのためテレビのニュースで、台風で入場規制されても駅前に並んで出勤するサラリーマンたちをみると「偉いなあ」とか「日本人はなんて勤勉なんだ」と思うと同時に、「たまには休めばいいのに」と思ってしまう。会社も、そんな日は来なくていい、と言えよ。

会社には通勤が嫌だと思いながらも、入社から20年ぐらいは無遅刻無欠勤で通った。だが、40歳を過ぎたあたりから文章を書くようになり、それが出版してもらえるようになった。それからいろいろと注文が入るようになり、50歳頃から文章を書くのが日常化してくる。夜中の2時頃まで書いたり、下手をすると徹夜をして会社に行くようになった。段々ときつくなってきた。

それでも「本業は会社、文筆は余儀」という意識でやっていた。しかし徐々に、文章を書いているほうに比重がかかるようになり、ついには遅刻はする、半休はする、無断欠勤はする、という不良社員になった。それが最後の5年間くらいだろうか。もちろん、会社は黙っていなかった。始末書は2、3回書いたし、無期限の給与10%カットまでくらった。当然のことである。

ただ私は仕事が嫌いではなかった。だから、出勤態度は不良なのだが、仕事は真面目にやっていた。しかし、社員のなかには、出勤時間だけはきちんとしているが、仕事をしない輩がいるのである。「どっちがいいんだ?」「どっこいどっこいだろ!」と思い始めると「限界」がきた。「どっこいどっこい」ということはなく、わたしが悪いのは一目瞭然である。定年まで6カ月を残して退職する道を選んだのである。

 

条件が許すなら、何もしなくてもいい

 

定年後の日常生活のパターンはほとんど変わっていない。私はだいたい朝の6時頃まで起きている。何をやっているかといえば、テレビや映画を観たり、本を読んだり、たまに原稿を書いたりしている。テレビで一番好きなのは深夜時間帯に放映されるオリンピックやサッカーW杯、テニスのウィンブルドン世界陸上などの国際的なスポーツイベントだ。昔からテレビ派で、テレビがないと生きていけない「ノーテレビ、ノーライフ」人間である。

> よく、「テレビなんてなんの役にも立たない」と言われるのだが、もちろんくだらない番組も多いが、ドキュメンタリーなど面白い番組は探せばある。テレビドラマはWOWOWのドラマが秀逸である。

ということで、寝るのは朝の6時頃から昼頃までとなる。それ以後は、台風で傘がさせない天候以外の日は、365日、基本的には自転車に乗って外に出ることになる。まずは朝昼兼用の食事をとる。「今日は何を食べようか」という、他人から見たらどうでもいいことが、私には楽しい。駅前にある店はB級グルメばかりなので、好物のかつ丼や牛丼、ギョーザ定食など脂っこいものばかりを食べることになる。

その後は喫茶店で本を読んだりしながら2~3時間は平気でいる。そしてショッピングモールで書店などをぶらつき、家に帰るのは夕方の6時頃。こんな生活を、ほぼ10年続けている。しかしこうして書いていると、全然魅力的でない生活であることがわかる。だが、それでけっこうだ。私は、この生活を満喫しているわけではない。ただ、平穏そのものだし、24時間を自由に使えるということは気に入っている。誰に気兼ねすることもなく好きなテレビを観て、いつ起きて、いつ寝ようが構わない(こう書いた直後、脳梗塞に襲われた。幸い重篤な後遺症は残らなかったが、喫煙、脂っぽい食べ物、などは今後禁物である)。

だから私は、定年後をどう生きたらいいかについては、「自分の好きにすればよい」の一言に尽きると思っている。

私は、本人が好きなら、そして条件が許すなら、何もしなくてもいいと考えている。実際、定年後の私はほぼ何もしていない。「何も」とは、識者たちが提唱する「資金運用」や「地域デビュー」や「ボランティア」などをしていないということである。また、普通の人たちが趣味としてやるような「ウォーキング」や「釣り」や「カラオケ」などもしていない。私はお酒が飲めない。そのため、誰かと連れだって飲みに行くこともない。

他人の楽しみは、必ずしも自分の楽しみではない。

 

ないものはしょうがない

 

定年を迎える人の大半が抱える不安は、お金の問題だろう。もし少なければ、働くしかない。単純な話である。私は年金を60歳からもらっている。通常より5年早くもらっていることになる。年金には繰り上げ支給という制度があるが60歳からもらうと、65歳からもらう満額の70パーセントしかもらえない。「76歳8カ月以上長生きすると、65歳からもらったほうが得になる」-。私はそれを承知のうえで迷うことなく60歳からもらった。

というのも「70歳まで生きられないかもしれない」とか、「生きているうちにもらわないと意味がない」」と思っていたからだ。もうひとつの理由は、文筆業という職業柄、会社員時代と違って収入が見通せなかったからである。つまり、65歳からなんて悠長なことは言っていられなかったのだ。

> 私は株式投資をやったことがない。また、「老後資金をつくるうえで、最も優れた制度」といわれている「イデコ」(個人型確定拠出年金)などとも無縁だ。そういう制度があり、これらが好きな人がいて、そういう人が最終的に大笑いをするかもしれない。ただ、当然その逆もある。そもそも、貯蓄もないし、退職金も34年間勤めて900万円弱の私に、そんな余裕はなかったのだ。

現在の収入は年金と印税(原稿料)だけである。年金は夫婦合わせて月に21万5000円。出版不況で初版部数はかつてほど多くはなく、印税収入は以前の半分以下だ。均[なら]すと、コンビニの店員さんにも劣るのではないか。それでも、文章を書くことは私にとって救いになっている。別に金の問題だけではない。これはハッキリしているので、この仕事があることは恵まれていると思っている。

 

性に合わないことは無理してやらない

 

定年後の問題のひとつに「孤独」を挙げる人がいる。そうならないようにするため、地域社会に溶けこむこと=「地域デビューを」と忠告する人もいる。私は「そんなことをする必要はない」とも「したほうがいいよ」とも言わない。孤独に耐えられない人は、交友を求めればいいし、そうでない人はゆったりしていればいい。

世間には孤独が平気な人とそうではない人間がいる。私は「一人」がまったく苦にならない体質らしく、平気な人間である。むしろ、中途半端な集会より、一人でいることのほうが好きだ。だから、退職してすぐ町中を自転車で走り回り、公園を見つけた。そこは誰もいない静かな環境だったので、そこで過ごす時間は「極上」とも言えた。夏は陽を浴びて過ごし、一夏で真っ黒になった。

この公園を“行きつけ”にしていたのが、昨年は湖畔を臨む公園を見つけた。緑の木々と草が広がり、その先に広く穏やかな湖面が見えて空間が開けていて眺望がいいのである。四つ並んでいるベンチの上には屋根がある。これがここに通うようになった理由のひとつだ。さすがに定年後7~8年も経つと、夏の直射日光に耐える気力も体力も衰えてきたからである。ただ、近所のオジサン連中が来るので長居はしない。

私の住んでいる地域にも老人サークルがある。パソコン講習やダンス、英会話などといろいろな集まりがある。そこに一度、呼ばれたことがある。しかし、みんなで何かをやる、ということが性に合わない。もちろん、それが好きで、出会いを求めて行く人は構わない。ただ、行きたくない人は行く必要はない。無理して出かけて嫌な人間関係に陥るより、「一人」のほうがよっぽどましである。「定年後は地域にデビューしろ」など、私には「やかましい!」限りである。

ボランティアも同じだ。定年後にボランティアをやりたいという人はいるし、実際にやっている人も多いはずだ。識者のなかにもこれをすすめる人が少なくないが、これも好き好きだ。世間が「定年後はボランティア」と言っているからと、性に合わないことは無理にやる必要はない。

そもそも、ボランティアをやっている人は自発的にやっているのである。“スーパーボランティア”として一躍時の人になった尾畠春夫氏のように、やっている人は黙々とやっている。わたしは尾畠氏のような人は尊敬するが、引け目を感ずることはない。私のように、やらない人間はやらないでいい。自分がしないことを、他人様[ひとさま]に「やりましょう」とは言えない。

 

定年前にやっておいてよかった唯一のこと

 

定年を迎えたら、それまでなかなかできなかった夫婦旅行に出かける人もいるだろう。キャンピングカーで日本一周だとか、国内・国外のクルーズ旅行だとか、豪華列車の旅とか、が人気らしいが、まあ私とは無縁だった。お好きな人はどうぞ、と思うだけで、うらやましくはない。

旅行といえば、私は春と冬の年に2回、国内旅行に出かける。3泊4日程度の日程で好きな奈良、ほかには金沢や姫路あたりに出かける。基本は電車で3時間程度で行ける場所だ。退職直後はフランスやスペインに行きたいと思っていたが、金がないのと、もう飛行機に乗るのが面倒くさいのとで、その気はなくなった。

その点、国内旅行は気楽だ。名所旧跡を一日に1~2ヵ所、ふらっと訪ね歩くだけだが、その実、やっていることは地元にいるときとあまり変わらない。地の物を食べるわけでもなく、地酒を味わうわけでもない。ここでも私は「一人」だから、何をしてもいいし、何をしなくてもいい。ただ普段とは違う場所にいて、「家に帰らなくていい」という解放感に浸れる。

私は定年に備えて何ひとつやらなかったと言っていい。しかし、そのための準備というわけでもなかったのだが、一つだけ「よかった」と思えることがある。定年前に住宅ローンを完済することができたことだ。

銀行、住宅金融公庫、厚生年金からの借り入れで、35歳の時に2000万円もしない最低価格の家を買った。銀行ローンは30年だったから、完済予定は65歳である。正直に言えば大して気にもとめていなかった。「なんとかなるだろう」という軽い気持ちだったが、途中、2回ほど繰り上げ返済をし、結果的に58歳頃に完済した。当時の安月給で、よくも完済できたものである。金利は8パーセントだった。

> 生活費のなかに占める住居費の割合は高い。定年後の経済的負担を減らすために、60歳過ぎまでローンがあるなら、なんとか繰り上げ返済しておくだけは重要かもしれない。一方で賃貸派もいる。私は一ヵ所に釘付けにされる戸建てよりも、移動できる自由がある賃貸が実はよかった。しかし独り身でなかったから、自分の意思だけを押し通すわけにはいかなかった。結果的に持ち家でよかったとは思うが、持ち家、賃貸のどちらを選ぶかは、「一人ひとりの判断」としか言いようがない。

 

定年後の準備などできるわけがない

 

最近は、「定年準備の前倒し」をすすめる本が多数、出てきている。なかには「30歳代から始めよ!」という無茶な人もいる。また、老後資金のために「分散して投資しろ」などとも言うが、「面倒臭いことを言うな」と言いたい。大体、家賃を払い、子どもの学資を貯めていて、どこにそんな余裕があるのか。

早めに定年の準備をしておきなさい、というのは言葉のうえではもっともである。だが、今を生きるのに精一杯で、給料がカツカツなのに、定年後のことを考えて準備することができるのか。少なくとも、私の場合はそうだった。だから、そんな非現実的なことを「アタマで考えて言ってもダメだ」ということである。実際、30歳代のほとんどの人は定年準備などできるはずがない。30歳代から定年後の準備をすることは、「悩みの前倒し」をするようなものである。

現在の40~50歳ぐらいの人でも事情は同じではないだろうか。仕事があり、会社の業績は芳しくない。家や車のローンのほかに保険などの固定費があり、小遣いは月2万~3万円。これで、どんな準備をしろというのだろうか。

だから、定年準備など、進めたくてもできない人は慌てて準備しなくてもいいのである。大体、準備のしょうがない。できるやつは、わざわざ準備などしなくても、勝手に準備できているのである。そんなやつのことは放っておいて、まあなんとかなるだろ、と楽観的に考えておいたほうがいい。

一人ひとりの事情が違うように、定年後に、すべての人に共通する話はない。できることは決まっているし、定年後をどう生きていくかは個々人が考えるしかない。「~をする」も「~しない」も、その人の自由なのである。自分が好きでやっていることなら、世間体など構うことはない。お酒を飲みながら阪神戦のナイターをテレビで観る-。それで本人がよければ、それでいいのである。ほんとうに人は一人ひとり違う。状況も性格も趣味も違うのである。

なんともならないのが現実である。それをなんとかしようとするから無理が出るのだ。あるいは、自分だけ得をしようと考えるから、失敗するのである。定年後はなるようにしかならない。人生と同じである。人間は意志し、行動する。だが、それでもなるものはなり、ならぬものはならない。