「「やっぱり駄目か」の連続を生きる - 山田ルイ53世」一発屋芸人の不本意な日常 から

 

「「やっぱり駄目か」の連続を生きる - 山田ルイ53世」一発屋芸人の不本意な日常 から

筆者は一発屋であるが、これまでの人生で、と考えれば、貴族キャラで一度売れたことは二発目に相当する。
最初の一発は、小学校6年生のとき。
当時の関西圏では、灘・甲陽と並び“御三家”と謳われていた私立中学に見事合格したことである。いわゆる、中学受験というヤツ。
地方の小さな町のこと。自分で言うのもなんだが、「頭の良い山田君!」と町一番の秀才として、誰もが知る存在となった。
中学に入学後も成績優秀、部活のサッカーでもレギュラーと順風満帆。
1年生のときの保護者面談で、「このまま頑張れば、山田君は東大も夢じゃない!」などと担任に太鼓判を押されるほどの優等生であった。
しかし、先生の太鼓判には、朱肉がついていなかったらしい。
中学2年の夏休み明けから学校に行かなくなり、6年間の引きこもり生活に突入。あえなく一発目は終了する。
そんなわけで、お笑いの世界で一度“売れっ子”となり、その後仕事が減って“一発屋”に転落した際も、
「あ-、はいはい……この感覚ね!」
と、ある種の既視感がクッションとなり、さほど見苦しく振る舞うこともなく済んだ。
良いのか悪いのか、いや、恐らく良くはないだろうが。
一発目を10代で経験した僕の二発目は、実に20年近くあと、今より遡れば10年程前である。
先述の通り、「電波少年」は“やっぱり”駄目だった。
その数年後の2007年、今度は「エンタの神様」に出演する。当時のお笑い界には「エンタ芸人でなければ人でなし」という、平清盛とその一族が権勢を誇った平安時代末期のような雰囲気が漂っていた。裏を返せば、出ることさえ叶えば、売れっ子への道が開けるということ。
実際にはそんな簡単な話ではないが、とはいえ僕も、
(よし、これで飯が食えるようになる!)
と詰まっていた鼻がスッと通るような爽快感、達成感を味わったものである。
だが結局、月1ペースの3回で終わり。
以降は声が掛からず、人生何度目かの、
(やっぱり駄目か……)
を噛み締めることとなる。
その年の暮れ、当時はまだ年に数回の特番だった、「爆笑レッドカーペット」のオーディションを通過した。
翌年の春から、レギュラー化され、毎週放送されることになるこの番組。
次々と登場する芸人達が、持ち時間1、2分という短い尺の中でネタを披露し、空前のショートネタブームを巻き起こした。
この出演をキッカケに、年が明け2008年になると、仕事のオファーがみるみる増え始める。
僕の芸人人生に、青信号が点灯したのは、間違いなく“レッド”のお陰である。
少々ややこしい。
いずれにせよ、
(よっしゃ-!今度こそ売れる……のか⁉)
とこれまでのことがあるので、腰は引けていたがそれでも小躍りした。
ボロボロの人生に、明るい兆しが見えた矢先……2008年3月、僕は声が出なくなった。
原因は、声帯に二つも三つもできた大きなポリープである。
悪性でこそなかったが、性悪な瘤[こぶ]には変わりない。
手術のために1日入院、その後10日は一切喋ってはいけないと医者に言い渡された。
すでにいくつも決まっていたテレビやイベントへの出演を、泣く泣くキャンセルする。
(何で今やねん‼)
ごく普通の運の持ち主であれば、こんなことにはならない。
一度道を踏み外し、人生の歯車が狂うと、ここまで尾を引くものなのか。
ようやく掴んだ好機がふいになりけている。
僕は絶望し、恐怖に震え、そしついつも通り、
(やっぱりな-……)
と思った。
結局、医者の指示は無視して2日で復帰することに。
口中には常に血の味が広がり、痛みもあったが、スケジュール上のダメージは最小限で済んだ。
こうして無事に、僕は“一発”を打ち上げることができたのである。
それまでの筆者は、6年間の引きこもり生活を発端に、
(人生が余ってしまった)
という虚無感を拭い去れず引きずり続け、
(世の中で起こっている楽しいことは、自分には関係のないことだ)
との疎外感に苛まれて生きていた。
上京してからは、食うや食わずの生活。
ぼろアパートの大家が捨てたゴミを漁り、食料を見付けると、大喜びで口にした。
そんな乞食同然だった人間にとって、あの“一発”がもたらしたものは大きい。それはサクセスというより、“社会復帰”である。
ご存じの通り、最終的には“やっぱり駄目”になったが、少なくとも今は飯を食えている。家族も養っている。“社会復帰”だけは残った。
長くはなかった売れっ子期間中も、
(絶対、上手くは行かない)
(必ず、嫌なことが起こる)
(いずれ終わる……)
(ここまでだ……)
そんな思いを捨て去ることはできなかったが、それでも楽しかった。
毎日のように、それまで経験したことがなかった芸能人の仕事が舞い込んでくる。
オーディションから解放され、オファーされた仕事をするというのは気分が良い。
もう、試されることはない。髭男爵、僕ありきで来る仕事なのだ。
才能があるのかないのかよく分からぬ人間に、自分の才能を計られずに済む。それが、「オファー」である。

 

時間を巻き戻そう。
2006年の「M-1グランプリ」の準決勝、大井競馬場で行われた敗者復活戦。
自分で言うのも口幅ったいが、僕達は大いにウケた。
その証拠に、「髭男爵、爆笑とってた!」との噂を聞き付け、あの「エンタの神様」から「オファー」がきたのだ。筆者が思い出を美化しているわけではないとご理解いただけれだろう。
実は件の番組のネタ見せ(オーディション、打ち合わせのようなもの)にはその1年ほど前から通っていた。
打ち合わせの初回、いの一番に先方に提案した僕達のネタは、
「うーん、なんか違うんだよね-。次のときまでにまた別のやつ考えてきて⁉」
と早々に却下。
以降も同じ調子で、実質門前払いが続いており、
(もう出られないだろうなー……)
と諦めかけていたので、喜びもひとしおであった。
おまけに、
「あのM-1のときのやつ、そのままやってもらって良いから!」
と請われたそのネタこそ、先程の「いの一番」、貴族キャラの「乾杯漫才」であった。
(そら見たことか!俺の考えたネタは面白いんだ!)
リベンジを果たし、相手に白旗をあげさせたような気分に浸ったものである。
我ながら、器の小さい人間だが、それまでに費やした時間や労力が実を結び、素直に嬉しかった。
正統派の道を捨て、いや、しょうじきに言えば、負けてキャラ芸人の道を選んだことは、奇しくも僕を一発へと導き、お陰で飯が食えるようにはなった。
本書でも再三述べてきたが、“キャラ芸人”になるというのは棘の道である。
現在の日本では、ハロウィン期間中を除き、自分の人生をコスプレに託すことなどあり得ない。
「よーし!ワイングラスとシルクハットで貴族になるぞー‼」
芸人を志すそのスタート地点で、そんなことを考える人間はまずいないし、何よりゴール地点-つまり、売れっ子になってからは悔しい思いをする原因にもなる。
「“変な格好”をしてたから売れたんでしょ?」
と、侮られるのだ。
後に一発屋と呼ばれることになる芸人は“変な格好”のものが多いが、その芸は舐められがちである。
言わせてもらえば、一発屋芸人達の才能や芸を生み出すまでの歴史に対する世間の評価は低すぎるように思う。
しかも売れっ子になった瞬間をピークに、年々下がる一方。
いや、自ら、「俺の芸はすごいんだ!」などと声高に主張、解説し始めては終わり。こんなにみっともなく、ダサいことはない。
笑いのハードルも上がってしまう。
芸人としてはご法度である。なので誰もそれを口にしない。勿論お客様がそんなことを知る必要も理解する義務もない。重々承知である。
だからこそ、筆者だけでも言いたいのだ。
一発屋は才能に溢れた発明家であり、その芸は素晴らしいものなのだ」
ということを。

ハロウィンの話でも登場した“皮”。
すでに書いたように、あの皮には芸本来の技術や魂は宿っていない反面、確かに分かりやすい。
皮さえ被れば、誰もが僕達の芸を表面的には再現できる。
一般の方々でも、忘年会や新年会で笑いを取ることができるのだ。
「営業部の○○が髭男爵やってるよ!」
「上司の△△さんが、HGに扮してる!」
身内相手の内輪ウケに過ぎないが、余興の場を乗り切りには十分である。
一方でいくら人気があっても、そういう場で「和牛」や「銀シャリ」の漫才をやるものはいない。
答えは簡単である。できないからだ。
一発屋の芸はできる。
なぜなら、僕達のネタは高度にパッケージ化されているため、フレーズやネタの段取りが明確だからだ。
言ってみれば、レトルト食品。料理の腕前にかかわらず、誰でもご家庭で本格的な味を再現できる。
これは本来、すごい発明である。
研究やマーケティング、数多の会議や試食を積み重ね、完成された素晴らしい商品。
しかし、レトルト食品を尊敬する人はいない。
それはひとえに、「自分でできる」からである。
通常漫才やコントは「観賞」するものだが、一発屋の芸は唯一、「直接消費」ができる芸だとも言える。
人は自分でできるものにリスペクトを抱かない。
だからといってそれを、「レベルが低い」と断じ、ゆえに、「才能がない」と見下すことができるだろうか。
否である。
少なくとも、筆者はそう思うのだ。

お笑い業界では“発明”がなければ売れない。
そこに、何か新しいこと、誰も思いつかなかったこと、誰もやれなかったことがなければ一発さえ覚束ない。
いくら高い技術を伴った漫才をしようが、それまでに存在したネタややり口だけでは、上に登るのは難しい。
その反対も然り。
コスプレをして目立つだけで売れるのなら、サッカーの日本代表戦やハロウィンの時期に、渋谷のスクランブル交差点にいる連中や、学園祭ではしゃぐ大学生は皆スターになれる。
変な格好をしただけで評価されるような甘い世界ではないのだ。
筆者が普通の若手漫才師からコスプレキャラ芸人へと“変態”を試みていた当時のライブシーンでは、正統派、つまり王道から逸れることを恐れる空気が支配的であった。
今でもそうだが、変な格好の芸人というのは、正統派の方々に比べ、同業者からも視聴者からも、お笑い的に堕落していると思われがちである。
対して、正統派の漫才やコントを嗜むものは、いつもどこか胸を張り自信にみなぎっている。
たとえ売れていなくても、大いに漫才道を語り、お笑い愛を説く人を数多く見てきた。
その姿勢には武道とか茶道に通じるものを感じる。まさに“清貧”のお笑い芸人といった佇まい。立派である。
しかし、我々コスプレキャラ芸人にそれは許されない。
邪道に身を堕とした僕達にはそういった自尊心の逃げ“道”は用意されていない。
もう、売れるしかないのである。
陽の目を見なければただの異端者、邪教の狂信者として、疎まれ、嘲[あざけ]られるだけ。
一度売れても、その後売れなくなれば元の木阿弥……振り出しに戻る。
孤独に歩く一本道、それがコスプレキャラ芸人の人生なのである。

正直、仕事をしていて、屈辱を感じることは多い。しかし、屈辱というのは人生にとって有効である。屈辱由来のモチベーションが長持ちするのは、『レ・ミゼラブル』や『厳窟王』といった古典の名作が教えてくれる通り。
他にも嫉妬、劣等感、悔しさといった添加物のような感情も、心と体に良くなさそうだが、その分日持ちが良く腐りにくい。
なので、「一発屋じゃん!」「最近見ないな-‼」と蔑まれても構わない。
“ビジネス屈辱”である。
良い気はしない。不本意である。しかし、ネタになる。ネタになるということは、仕事になる-つまり、金になる。
自分の好きなことはやれず、なりたい理想の人間にもなっていない。
可愛そうだなと憐れまれるかもしれぬが、僕にとって重要なのは、「なれた自分で何とかやっていく」ということ。
変な格好の芸人、変に格好をつけて申し訳ないが。