「談志が出来なかった芸(抜書) - 山藤章二」ヘタウマ文化論から

 

「談志が出来なかった芸(抜書) - 山藤章二」ヘタウマ文化論から

談志は「ヘタ」に憧れをもっていた。
と言うと、奇妙に思う人も居るだろうが、これは談志落語の本質に関わる大事なテーマだ。
落語の世界には「フラ」という言葉がある。
「フラ」はいわく言いがたい「おかしみ」とでも言うべきか、持って生まれた味わいのひとつだ。
「あいつはフラがあるから客から愛されるよ」というふうに使われる。
高座に出て来ただけで場内の空気が和み、客の顔に笑みが浮かぶ。これから笑わせてくれるぞという期待からだ。落語家にとってこれは貴重な財産であり武器である。
柳家金語楼、先代の林家三平橘家円蔵になる前の月の家円鏡春風亭柳昇、その弟子の昇太‥‥‥
みんな「フラ」を持っている。
「体だけは大事にしてくださいネ、もう大変なんすから」の三平。超売れっ子の時代の円鏡は、高座に出るなり座布団に横坐りして「すみません、ちょっと休ませてください」。柳昇は出るなり、「えー大きいことを言うようですが、春風亭柳昇と言えば、いまやわが国ではアタクシひとりで」と演った。傑作は昇太で、まだ二つ目の時代、高座に坐るなり着物の袂からインスタントカメラを取り出して客席を写した。「こんなにいっぱいお客さんがいるということを、おふくろに見せたくて」。
談志はこうした「フラ」のある落語家たちのことを、「落語のヘタなやつ」と、口ではののしっていたが、その実羨ましくて仕方がなかったのだ。「何もしなくても笑ってくれるのだからこんな楽なことはない」。
談志には「フラ」が無かった。それどころか、彼が高座に上がると客は緊張した。気難しそうな表情だし、マクラは時事ネタがだからうっかりしていると反応できないし、というので、まるで教祖の言葉を聞き逃がすまいとする信者のような気分になっていた。
そうした、芸人て客との緊張空間は、彼が体調を崩して(声が★れて聴きとりにくくなる状態)から、ますます度合いが高じ、「いまのうちに談志を聴いておかなきゃ」という客がふえ、一種異様な雰囲気になっていった。
誰もがもう晩年だろうと認識してる時期に、談志から電話がかかってきた。
「章二さん、オレ、「週刊現代」に口説かれて、今度エッセイの連載をはじめるんだけど、絵を描いてくんないかな」
実は私も最悪の状態だった。目が見えにくくなり、手は震えて思うように絵や字が描けなくなり、三十六年間も連載している「週刊朝日」の絵の描き方も変えなきゃ、思っているところだった。状況は悪かった。でも談志の時事放談は読みたいし、おそらく彼の最後の仕事になるだろうこの“語り”には付き合いたかった。
「あなたの仕事じゃ断れないな。でも俺の方も良くない。絵がどんどんヘタになってるんだよ。前の仕事(「週刊現代」に連載した「談志百選」。彼の芸人論の傑作、私の絵もとても良かった)みたいなウマい絵はもう描けないよ。ヘタな絵でよかったら付き合うよ」と返事をした。
談志は間髪を入れずこう言った。
「ヘタな絵?結構だよ。俺はヘタには驚かない。俺も最近はヘタな落語をよく演ってる。で、終わった後でこう言うんだ。今日、俺の芸を見たお客さんは自慢できるよ。おれは日本一ウマい立川談志の、ヘタな落語を聴いたんだ、って。孫子の代まで自慢できる」
「そういう気障りな言葉はあなたにしか吐けないよ」
「年をとりゃ誰だってヘタになる。落語だって絵だって同じことだ。だからだから俺は平気で自分をさらけ出すんだ。“ヘタも芸のうち”だ。俺はいつもドキュメンタリーを見せている。だからあなたも“ヘタなヤマフジ”を見せればいい」