(巻三十六)仕方なささうな貌して鴨流れ(仙田洋子)

(巻三十六)仕方なささうな貌して鴨流れ(仙田洋子)

4月10日月曜日

晴れ。朝家事は洗濯、拭き掃除、台所換気扇のフィルター交換、布団干し。一冬着用したチノパンを洗濯した。

昼前にゴミ出しに行き、帰りにトイちゃんを呼んだら出てきた。スナックをあげながら初めて背中を撫でてみたが、気にもせず一心にスナックを食べていた。

昼飯喰って、一息入れて、ちょっと寝っ転がろうかと思ったところへ風呂場の排水口の蓋の件で営繕会社から電話が入る。やはり検分しないとどの規格か分からないと言うので来訪を了承いたした。

予定よりやや遅れて散歩に出かけた。今日も南へ歩き、白鳥生協を目指した。途中で昨日の猫を見かけて声を掛けたがフラれた。

生協では焼きうどんをノンアル麦酒でいただいた。ノンアルはいける。お料理を十分美味しくいただける。それに安い。ノンアル麦酒で焼酎を割ってみたらどんなものだろうか⁉フェブキソスタット20mlの処方を戴いている身としてはプリン体が気になるが、ちゃんと入っているようだ。汗をかくようになったら飲めないな。

帰りの途中でまたあの猫を見かけて声を掛けたら今度は車の下にもぐり込んでこちらの様子を窺っている。昨日のことは覚えていないのか。スナックを撒きながら根気よく距離を詰めて、やっと判ってもらう。なかなか美形の猫だ。一撮いたした。

帰宅して机に付くと酎ハイを飲んだときと同じような眠気を覚えた!

英聴は

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct4y3t

を聴いてみた。40分はやや間延び。

願い事-涅槃寂滅、酔死か即死。

今逝けばノンアルでも酔死に近い。まだ運が残っているなら、短期無痛で収めて欲しい。

「ビアホールで - 清水哲男」エッセイ’ 91 から

を読み返してみた。

口癖は太く短くビール干す(後藤栖子)

「ビアホールで - 清水哲男」エッセイ’ 91 から

ウィークデイの、とある昼下り。銀座の表通りに面したビアホールに入る。

天井の高いこの店には、古い建物特有の冷気が漂っていて、肌に心地よい。この時間帯は、客もまばらだ。

大きなジョッキと小さなつまみをひとつずつ取って、「さて、世の中はどうなっておるのかいな?」と、窓の外の通りを忙しげに歩く人たちを眺めるのが、私のたまさかの至福の時である。

-よのなかにねるほどらくはなかりけり

うきよのばかはおきてはたらく

ま、こんな狂歌の世界にあい通ずる心境になれるとでもいえばよいのだろうか。二十代の終り頃にこの店の味を覚えてから、ずっとつづいている、私のささやかなぜいたくだ。

昼間からビールを飲む。そのことがぜいたくではないのであって、なにやら猛然と人々の活気が渦まいている東京は銀座のまんまん中で、ひとりぽつねんと極度にエネルギーを落としていられる状態が、なんとも快適であり愉快なのである。

「ザマァ見ろ!」

そんなセリフでも吐いてみたくなるほどに、この閑散としたビヤホールの空間は、居心地がよろしい。大きなジョッキを飲みほすころには、「このまま死んでしまいたい」などと、かの西田佐知子の歌の一節が、口をついて出てきてしまうほどになる。

ちらほらと坐っている他の客も、同じ心境なのだろうか。

ときに店内を見まわしてみるに、若い人はほとんどいない。当然のことながら、若い人は“窓の外”の世界で働いているからである。たまに大声がとびかっているテーブルをみると、たいていが外国からの観光客としての若い人たちだ。

つまり、ほとんどが老人。といって悪ければ、“窓の外の世界”から定年退職してきた男たちである。誰もがひとりぽっちで、思い思いの方向に視線をやり、ひたすらに静かにビールの味を楽しんでいる。

本を読みながら飲んでいる人を見かけるのも、この店の特長だろう。近くの洋書店のカバーのかかった本のページをいとおしげ眺めている人も多い。

そんななかで、私がいちばん好きな客は、本も持たずカバンや袋も持たず、あわても騒ぎもせずに、ゆうぜんと飲んでいる人だ。こういう人は「ザマァ見ろ!」などという下品な言葉は吐くまいし、本などというものにもアイソをつかしてしまっているはずである。

こんな人に出くわすと、なるほど、私のぜいたく気分も、まだまだ“ささやか”すぎると思ってしまう。この「風格」を身につけるためには何をすべきかと、ぜいたく気分も地に落ちてしまう。