「東京 - 向井慧」もしも、東京 から

 

「東京 - 向井慧」もしも、東京 から

東京に来て、18年。
18歳の時に名古屋から出て来たから、名古屋と東京で過ごす年数が今年で同じになる。しかし、未だに東京にお邪魔させてもらっている感覚は消えない。
今でも東京タワーを見れば心が躍るし、レインボーブリッジを渡る瞬間は滾[たぎ]るものがある。

小学生の頃から芸人という職業に憧れていた。何よりもTVで観るお笑い芸人に会いたかった。「芸人を目指す」=「TVで観てるあの人達が居る場所に行く」だったから、高校を卒業したら東京に行くという選択肢以外は無かったんだと思う。
高校時代は毎日、新聞のTV欄とラジオ欄をチェックして芸人が出ている番組を片っ端から見漁った。するとたまに、観た事も聞いた事もない番組の話題で芸人さん達が盛り上がっている事があった。どうやら東京でしかやっていない番組らしい。
自分が観られない所で、面白い番組が放送されているという事実に震えた。益々東京への憧れは増していった。

「高校を卒業したら芸人になる為に東京に行きたい」と父親に告げると、「大学に行く為の上京ならば許す」という言葉が返ってきた。僕は東京に行くために受験勉強を始めた。
初めての東京での長期滞在は受験期間で、十個以上の試験があったため二週間程、新宿のホテルに宿泊した。
東京という街に一人で乗り込んで来た勇敢な少年の様な何故か誇らしい気持ちで過ごしたのを覚えている。そして、夕方にTVを点ければ名古屋では観られない生放送の番組がやっていて、そこには人気タレント達が出演していた。もうワクワクしかしなかった。

無事、大学に合格した僕は晴れて本格的に東京に住む事になった。本来ならば大学入学と同時に、本来の目的である芸人になる為の養成所にも入るはずだったのだが、地元から一緒にお笑いをやるはずだった友人が浪人した為、一年遅らせる事になった。もしストレートに養成所に入っていたら、オリエンタルラジオさんと同期だった事を考えると友人に感謝してもしきれない。

友人が東京に出て来るまでの一年は、東京でしかやっていない番組に熱中したり、新宿にある吉本の劇場に足繁く通っている内にあっという間に過ぎていった。
そして、いよいよ友人が東京に出て来て養成所に入る事になった。僕は自信に満ち溢れていて、正直すぐ売れると思っていた。
しかし、僕の自信は早々に打ち砕かれた。全国の「自分が一番面白い」と思った人間が集まる場所で、自分の面白さなんて所詮名古屋の一つの学校内でのものだったんだという事に気付くのにそんなに時間は必要無かった。

東京は身の程を知る機会の多い街だ。
自分が長けていると思っているところも、更に長けている人に出会い消えていく。
この街に居る限り、王者の気持ちを味わう事は一生無いんだろうなどとどっかで思っている。
受験の時に一人で東京に乗り込んで来たあの勇敢な少年は、中年になった今でも東京に挑戦者として挑み続けている。
挑戦者側の苦渋みたいなものは舐められるだけ舐めてもうお腹いっぱいだが、これからも舐め続けるのだろう。

でも、この「挑戦者」という響きに酔ってしまっている自分がいる事も否定はできない。
強い者へ挑み、何度負けても立ち上がるという漫画の主人公に心を動かされた事は無いだろうか。そういう主人公に自分を重ねて、「ボロボロになっても諦めず戦い続ける自分も悪く無いよな」とある種のナルシズムを味わせてくれるのも東京なんだろう。
東京は僕みたいな奴の仮想敵をずっと引き受けてくれている。「東京は凄い人が集まる街だから自分が甘くいかないのはしょうがない」と何度も東京を言い訳にしてきた。
じゃあ名古屋に居たら王者の気持ちになれていたのかなんて問題からは目を逸らして。
それでも東京は今日も文句一つ言わず敵役を引き受けてくれる。
こうなると、東京に申し訳ない気持ちすら芽生えてくる。
ごめん、東京。これからも言い訳に使っちゃうだろうけど許して欲しい。
来年、東京での生活の方が長くなる。
そうなったら少しは、東京を味方につける事ができるだろうか。