「いったい、おまえは何なんだよ - 吉本隆明」講談社文庫 フランシス子へ から

 

「いったい、おまえは何なんだよ - 吉本隆明講談社文庫 フランシス子へ から

フランシス子は、まだ目もあかない子猫のときに母親に放置され、カラスにさんざん傷つけられて、わが家にやってきました。
大手術をしてどうにか生き延びた後、近所の家で「猫を飼いたいから譲ってくれないか」と言われてもらわれていったのに、どういうわけか、すぐに帰ってきちゃう。
人がうちの猫を見て「くれませんか」と言うときには、僕は素直に差し上げることにしているんです。
嫌だったら猫は帰ってきますからね、ひとりで。
このときもそうで、こっちはもう、よその家にあげたのだから、そういうときは猫さんも諦めてくれるのがいちばんいいと思うのに、そういう事情はおかまいなし。何が気に食わないのか、何度送り返してもどうしても帰ってきた。
強情っていうか、変わっているっていうか、たぶん人間にはよくわからない何かがあるでしょう。向こうもしまいには嫌になって、とうとう引き取りに来なくなっちゃった。
見かねた次女が「くれ」と言うので、今度はそこにもらわれていきました。
フランシス子という名前も、次女が自分のうちに引き取ったときにつけたんです。「フランシス」までカタカナで、子どもの「子」で「フランシス子」。どういうつもりでつけたのか、僕にはわかりません。
せっかくもらわれていったのに、今度は大きな犬が二匹いて、吠えられるとおっかないからどこかに行ってしまう。
猫というのは高いところにいると安心するんでしょうね。
フランシス子も隣の家の屋根のいちばん高いところまで行っちゃって、ワンちゃんの気配がなくなるまで降りてこなかった。
何度もそういうことがあって、ほとほと呆れた娘に「やっぱりこの子はうちでは飼えないよ」と言われて、また出戻ってきたんです。

僕がフランシス子と本格的につきあいだしたのは、だからそのくらいのころでした。今思うと、お互いなんとなくなんかあったのかもしれませんね。
どう言ったらいいんでしょう。
犬たちに吠えたてられて屋根のいちばん高いところでぼんやりしているフランシス子を見ていると、僕は自分がそうしているような、なんとも言えない気持ちがしました。
そういうときはあがっていって捕まえようとしてもダメで、その猫と友達になりそうな猫を連れてきてかまったりしていると、いつの間にかそばにいたりする。
理屈どおりいかないんですよ、猫は。
無理して手もとに引き寄せようとしても、うまくいかない。
黙って放っておけば、向こうで勝手に降りてきたりね。そういうときに近くに待ちかまえている猫がいれば、猫には猫の社会があるので案外うまくいくこともあるんだけど、フランシス子は誰もいなくなってからやっと降りてきたりしたからたいへんでした。
あっちに行ってもダメ。こっちに行ってもうまくいかない。
とりたててなんにもいいところがねえよっていえば僕自身がそうだったわけで、そう思ってあらためて思い出してみると、痩せた体も、面長な顔も、自分とそっくりだっていう気がしないでもない。
結局どこにもいつくことができずに出戻って猫だったのに、どういうわけか、僕が一生懸命かわいがったら一生懸命なついてきて、しまいには猫の生活か、人間の生活か、わからないほどになっていました。
そうなるともう、何がどうあってもそばを離れない。
病気になっても、離れなかった。

最期は僕とおんなじ時期に流行性感冒にかかって、それがきっかけで亡くなったんですが、いよいよ弱ってからは長女が毎日のように病院に連れて行っては夕方に帰ってくるという日が何日も続きました。
その少し前には、お医者さんが「もう長くはないと思いますよ」ってことをよく教えてくれましたけど、僕は亡くなるとは思っていなかったんです。
このお医者さんとは長いつきあいで、ほうぼうの猫が行くんでしょうけど、フランシス子がどういう猫で、性質がどうでっていうことをよく知っている感じがしました。こっちの気持ちや生活もわかってくれているので、遺された者の気持ち、と言ったらおおげさですが、いろいろ推察して気を遣ってもらいましたね。
僕にしたら「いつごろにはダメだろう」ってことをよくわきまえて、ちゃんとわかっているというだけでも、お医者さんというのはたいへんなもんだなあと。
僕が意外だと思ったのは、それまでは猫のほうが健全でものすごく丈夫そうだったから、僕よりきっと長生きすると思っていたのが、病気が肩の後ろに回ってからは脆[もろ]かった。猫というのは肩から後ろは人間より案外弱いのかもしれない。
その年齢になると、足腰がまず立たなくなってくるんです。
徐々に弱くなって、歩くのもままならなくなってからは、本当に僕のまわりを離れなかった。
よく仕事部屋にやってきては、そこいらを歩いたり、そばでふざけたりっていうのはあったけれど、よたよた歩きになってからは寄ってくれば寄ってきたまんま、脇の下に来れば脇の下に来たまんまで、くっついて、じっとしている。
僕は男だから距離があるときは自分から寄っていって猫をかまうというようなことはあんまりなかったけど、そうなってからのいつにない様子のフランシス子に対しては、そのまんま、なすがまんまでいました。
そうしてどちらかともなくぼんやりくっつきあっていると、なんだかこれはすごいもんだなあ、いったいおまえは何なんだよという気持ちにさせられたっていうんですかね。