(巻三十八)さびしい方さびしい方へ秋の雲(長谷川瞳)

10月14日土曜日

(巻三十八)さびしい方さびしい方へ秋の雲(長谷川瞳)

曇り晴れ。雲が覆っているが布団干し、洗濯物干しが出来る程度の雲。 

朝家事は洗濯、掃除機かけ。お米ほかの買い出し。布団・毛布干し。

いつでもそうだが、外出から戻ると畳み掛けるようにああでもない・こうでもないと喋り続けられる。こちらは閉口するしかないが我慢にも限度があり、うるさい!と申したらブンムクレタ。昨日、靴とビニ傘を調達したので破れ傘と古靴をゴミだし致した。

昨晩の残り物と納豆で昼飯を喰って、一息入れて、英聴致す。

3時半から散歩。図書館で4冊借りた。外れではないが、わ~いと云うほどでもない。うち、1冊は『ネコはどうしてわがままか-日高敏隆』で、中身はそんなものなのだが、10頁に及ぶこの文庫の解説を山下洋輔氏が書いていた。これはコチコチ確定だ。

ネコは、トモちゃん、コンちゃん、クロちゃんと皆さんお元気でした。スナックの噛み具合を見るに、トモちゃんは結構お年なのかもしれない。

酒処には寄らずに帰宅し、豆大福を食す。

再聴。

BBC, Thinking Allowed, Parenting.

https://www.bbc.co.uk/programmes/m001h422

子弟を世の中で生き残させるための教育費と教育などの面倒を見るために費やす時間が重い負担になっていると云う話。Parentは名詞だったが80年代以降動名詞で使われようになったそうだ。うちの子は30年で終ったが、知り合いには終わりのない苦闘を続けている方も居るなあ。

再読は、

「日本漂流  ー 小松左京

“長篇のためのプロット。デテイルを想像してお読み下さい。”

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32298137/

願い事-ポックリ御陀仏。元気で御陀仏。

行秋の波の終焉砂が吸ふ(伊藤白潮)