「ネコはどうしてわがままか(日高敏隆)の解説 - 山下洋輔」新潮文庫 から

 

 

「ネコはどうしてわがままか(日高敏隆)の解説 - 山下洋輔新潮文庫 から

日高敏隆さんと出会ってから40年経[た]つ。40年前1967年の新宿では色々なことが起きていた。その一つにジャズクラブ「ピットイン」で行われた「新宿曼荼羅[まんだら]」というイベントがあった。ジャズマンと役者が山尾三省の詩を題材にパーフォーマンスを繰り広げる。演出は相倉久人だった。練習で出会った出演者の中にひときわ面白いぶっ飛んだ女優がいて、愛称をキキと言った。すぐに仲良くなって色々話すと彼女には婚約者がいることが分った。その人は学者なのだという。我々が当時巣くっていた世界に学者という言葉はどこか不釣り合いだった。学者!どういうことなんだろうなどと思ったのだが、当のキキは「面白い人なんだよ」とけろりとしている。やがて現れた日高さんはまさにキキの言う通り、いやそれ以上に面白くもすごい人だった。専門の動物のことを喋るそのことがすべて新しく目からうろこが落ちる話ばかりだった。
この頃にはもう『ソロモンの指環[ゆびわ]』は訳されていて、その中のエピソードを翻訳者ご本人の解説つきで聞くという特権的快感を味わったのだ。狼のエピソードは鮮烈だった。戦って負けた方が相手に喉笛を差し出す。すると、これを見た勝者はそれ以上攻撃できない。そのように行動が組み込まれている。同じ種同士では殺しあいが起きない。できるのは人間だけだ。この話は、未だに機会があれば初心者に話して優越感を楽しんでいる。
話をするたびに惹かれていった。ある時、日高さんが科学は芸術のようでなくてはならないと言ったときにも仰天したが、この人がそう言うならそうなのだと納得したものだ。日高さんには翻訳をする原作者に対しても一定のクールなスタンスがあり、同時に芸術表現も含めて全ての物事に対するまなざしの元に自分自身のどこか頑固な哲学とユーモアが共存する。
やがて自著『チョウはなぜ飛ぶか』などの数々の名作が出始めるころにはすっかり家族ぐるみで親しくなっていた。『ネズミが地球を制服する?』ではキキが表紙の絵と中身のイラストを描いた。そう言う才能があるとは知らなかったが、以後、キキは現在まで、後藤喜久子、日高喜久子、KiKiの名前で20冊以上のご主人の本に200枚以上の絵を添えることになる。
はじめて家内ともども夕飯にお招きを受けた時には、フランス仕込みだろうか、巨大なタラを丸ごと一匹茹でてしまう料理をいただき、フランスの一般家庭で子供にどのようにパンとフォークを持たせて食べさせるかなどを教わった。一人娘のレミちゃんは、こちらの一人息子の康輔と二つ違いのオネエちゃんだった。両家合同で日高さんが執筆の定宿にしていた青梅の岩蔵温泉に泊りに行き、小さな岩風呂で混浴するなど、ヒッピー共同体的かつ動物行動学的検証的自由行動が出現した。家族同然になり、さらに日高さんの誕生日が2月26日で干支[えと]も午年[うまどし]ということを知って喜んだ。12年先の自分の姿ではないか。しかし、血液型が向こうは理知のB型、こちらは馬鹿のO型というのが致命的で、太刀打ちできないまま今に至っている。
翻訳や著書は全て読み、ある時期、動物行動学というか日高さんの発する言葉がぼくの人生の指針となった。といっても、つまり結局は人間も動物なのだからなるようにしかならない。と勝手に誤解するわけだ。何をやってもどうっと事ねーじゃねえか、などと実に乱暴な応用の仕方になる。1969年に思いっきりアバレるフリージャズを始めた時にもそういう影響は確かにあったと思う。その後に作ったアルバムには「キアズマ」「ミクロファーゼ」「ミトコンドリア」という生物学用語の曲が出現する。後者2曲の作曲者は生物学好きのサックスの坂田明だが、この頃にはすっかり日高イズムは我々のバンドに浸透していたのだ。

日高作品の言葉を指針にするというか血肉にするという人は他にもいた。例えば日本画家の堀文子先生が、ある時「わたくしの体の細胞の半分以上は日高敏隆さまのお言葉でできております」と言っていたのを聞いてびっくりしたことがある。同じことを感じる人は実は多いのではないだろうか。
やがて出た訳本、ドーキンスの「利己的な遺伝子」はもちろん読んだ。生命科学の研究者としてずっとフランスにいるいとこの四柳与志夫と話していて、何かのきっかけでそのことを言うと従兄はびっくりして叫んだ。「これだから日本人は優秀なんだ。バンドマンがドーキンスを読んでいる!」
日高さんの威を借りるエピソードは尽きない。蝶々の収集家でもあったパーカッションの冨樫雅彦を紹介して京都で会っていただいたことがある!文字通り死ぬまで冨樫はその記憶を大事にして何度も思い出していた。
日高さんとのこういう関係をご存知の作家村松友視さんからも、ある日お電話があった。「ウナギはまばたきするでしょうか」と訊かれた。すぐに日高さんに連絡が行くだろうと期待されているのだ。後に村松さんはこのいきさつを小説にする。『鰻の瞬[まばた]き』という短編集のタイトルにもなるこの作品によれば、村松さんはあるきっかけで生じたこの疑問を鰻屋の主人や弟が鰻屋をやっているタクシー運転手や眼科医などに聞いてみている。皆が、「えっ」と言って考え込む様子が伝わってくる。日高さんのお答えは明確だった。「瞬きは眼球が乾燥したり塵が入った時に潤いを与えるためにすることで、水中に住む鰻には必要ない。但し、魚の眼球は360度回転するので水族館などでガラス越しに見ると、瞬きするように見えることがある」このお答えと共に日高さんが実名で登場するこの村松作品は実にユニークだ。
などと言っているうちに制限枚数の半分を越してしまった。本書『ネコはどうしてわがままか』については、読者と一緒に日高世界に耽溺するだけだと言うしかない。
春夏秋冬、朝昼晩、気温水温、空陸海川、全ての状態が基本的には一年ごとにくりかえされるこの地球の決まりにのっとって、鳥魚獣ムシなどなどの生きものが懸命にしかも賢明に生きている。産卵時期や、餌の種類をずらしたり違えたりして他のものと競合しないようにする生き方の知恵には特に惹かれる。生き延びる為には独自のテリトリーと行動様式の獲得が大事にだということをぼくが学習した可能性はある。
多様性を認めなければ日高世界には入れない。それは我々が以前に「1ジャズバンド=1民族」あるいはそれをさらに進めて「1個人=1民族」と言って自分たちのやっている音楽を認識しようとしたことと呼応する。どの民族にもどの虫にも確固たる自分たちの文化があるのだ。
そして、そういう立場からあらためてこの地球上に存在する無数の生物の多様性を知ってしまうと、結局、人間がいなくなって何の不都合があるのだという考えにたどり着かざるを得ない。人間が滅びてもこれらの生き物達がいればいいではないか、地球にも宇宙にも何の不都合もないではないか、と思わず究極のサトリをほざいてしまいそうになる。皆さまはいかがですか?

本書の後半に出てくる人間語と動物行動のアナロジーも面白い。動物はすねるのか。猫がジャンプを失敗して落ち込むのは本当かそして本書のタイトルであるネコがわがままな理由を説明されると、なるほどと思いつつ、ネコ好きの性として、では家のネコのこの行動はあの行動はと、尽きない興味が湧いてくる。

(ここまでにしておきます。)