「明治の食卓(森鴎外) - 森於莵」文士の食卓 中公文庫 から

 

 

「明治の食卓(森鴎外) - 森於莵」文士の食卓 中公文庫 から

父が壮年の頃、少年の私をつれて行った料理店は西洋料理で上野の「精養軒」、九段上の「冨士見軒」、支那料理で赤坂の「偕楽園」、そのほかうなぎの「神田川」、銀座の「天金」、本郷通りを散歩する時、珈琲をのみに立寄る「青木堂」なぞである。いずれもめいずれも明治三十年代、思えばなつかしい時代である。
その時々の些末な事柄は、灰色に塗りつぶされた忘却の雲の中で、折にふれてさしこむ薄陽に照らされて、所どころ前後のつながりもなく私の頭に浮かび出てくる。またそうした折には、私の父の末弟・潤三郎も加わっていた事もあるようである。この叔父は私と十歳ちがいで、私が小学校の時は本郷の郁文館中学や神田の大成中学に通い、私の中学の時、早稲田専門学校の史学科にいたので、父の洋行前後に書いた手記には、この末弟を特別に可愛く思うことが書いてある。父が祖母や曽祖母を伴なうのは「亀清」、「八百善」や「伊予紋」など、これらにくらべれば格は下るが、根岸の「岡野」なども広い庭園で私も遊んだことを覚えている。下谷の「伊予紋」は、とくに祖母のひいきで、新築した「観潮楼」の玄関の式台、外から見通されぬように折れ曲った敷石、門前の駒寄、これに沿う八手の植込、そこにかくれた春日灯籠、邸をかこむ籠塀など、この古い料亭を模した所が多かったという。
夏の夕方近い時刻のように思う。父はいつもの軍服でなしに着流しで杖を曳いている。上野公園を出て、まだ礎石の残っていた黒門跡を通り、ゆるい傾斜道を広小路の方に下りかけた。少し遅れていた私は小走りに追いかけて父とならんだ。「精養軒」へ行ったら何かの休みで食堂を閉じていたのである。
「どこへ行くの」
と私がいう。
「『冨士見軒』へ行こう」
「『冨士見軒』もなかったらどうするの」
「新橋から汽車で横浜へ行く」
私は更に追及した。
「横浜の西洋料理もみんなお休みだったらどうするの」
「船に乗ってヨーロッパに行く。お前もドイツは好きだろう」
最後の一句はドイツ語である。私は毎晩少しずつ習っているので簡単な話はできる。父の機嫌のいいのを知って私もニコニコする。
この日どこへ行ったかは覚えていない。「冨士見軒」は九段である。陸軍の士官のよく行く所では料理は「精養軒」より落ちるという。神田の「宝亭」というのがあったが父も宴会には行くがこの家を好まなかったらしい。まだ帝国ホテルも「築地精養軒」もなかった。なお父は晩年には「風月」や銀座の「資生堂」によく行ったらしい。二、三回目黒のビヤホールへ父とジョッキを傾けに行った。いずれも夏で、私は一高生か大学へ入って後の事と思う。父は子供の私には絶対にアルコール分を許さなかったから。夏、氷店で大きなコップに氷水と牛乳、それに砂糖と香料をまぜて遠心機ようのものにかけてガラガラまわしてつくるミルクシェーキというものを私は好んだが、父のいる所では許されない。これは酒精分があるというのだった。

支那料理は「偕楽園」にかぎっていたが、それは私にとって驚異を感じさせる御馳走であった。
私はこの高名な店の全容を知らないのであるが、その頃の「偕楽園」にも多人数の集会をする豪華な広間があり、壁には赤い紙に詩句を見事な筆蹟で書いた、あるいは黒檀や竹材に緑色に彫り込んだ対聨[ついれん]が下げられ、花で飾られた大きな卓に皆それぞれ★[こしかけ]に倚[よ]ってこれをかこみ、数多い前菜を始めとして大きな平たい皿に盛られた料理や深い皿に湛えられた羮[あつもの]が次々と運ばれる光景が見られたであろうが、小さい私が父と一緒に人力車に乗って行った「偕楽園」の座敷は、日の照る午後もうす暗いひっそりした日本間で、庭には細い竹を混えた木々の叢立[むらだち]があり、庭石は打水にしめっていた。運ばれるお料理は、私がうちで使うお茶碗より小さい器に入れられ、さまざまの味の温いスープ、鶏、家鴨[あひる]、野鳥、豚に羊、それらの肉のほかに臓もつ、ことに肝臓、腎臓、心臓、たまご、貝の柱、えびかに、きんこ、筍、きのこ、葱かぶら冬瓜など、珍しいものと説明される燕の巣、鱶[ふか]の鰭[ひれ]、
水鳥の蹼[みずかき]など限りもない。中でもおいしいのは豚肉の脂のとろける東坡肉[トンポーロー]、いつまでものみこむのが惜しくて、ヌルヌル、プリプリするのを舌のさきで口の中あちこち押しまわす。終り近くで甘くつめたい杏仁豆腐も
「お薬のようだね」
といいながらも気持ちがスウッとして楽しい。
神田川」は蒲焼の老舗である。祖母たちと浅草の仲見世や奥山で遊んだ帰りに行きつけの鳥料理やお鮨屋、まして汁粉屋蕎麦屋に入るのとちがって、ちゃんとしたお座敷に、父と向い合って私にも一人前のお膳が据えられる。蒲焼をたべる時、家ではいつも中串で、ここでも父はそれをあつらえた。大皿に串刺をなぞえによせかけて並べたの選んでくる。私のはきれいな女中さんが膳の上の皿に、大皿からひと串ずつとって刺してある串を皆ぬいてくれる。ごはんをよそい、手拭の真白なのをたたんで膝にのせる。父にお酌をしながら私の食べこぼしの世話を焼いてくれるのである。父も機嫌よく日本酒の盃をかさねる。まさに私の「天国」である。私のお膳にも盃が伏せてある。とり上げて中を見ると、上に箪笥の環が一つ画いてあり、その下に「田」の字、さらに下は水の流れである。「何かしら」と思うと父が笑って、
「かん田川だよ。かんのかなづかいがちがっている」
という。父は仮名遣いはやかましく、この時は「新カナヅカイ」など誰も思いもよらなかった。盃の環は神田川の主人が神を訓じ誤まったのである。そしてその頃の私は文字を自分勝手にくずす教育を受けていないので父のいう意味がわからなかったのであった。

鰻については私は子供の時で家できいた話を思いだす。父の親友の賀古鶴所[かこつるど]さんのことである。賀古さんは父と大学での同級で、父とは性格が異なり豪放である。酒量も多い。蒲焼はいつでも大串(荒串)を注文する。ひと串の串をひと箸でひき抜いてから折りまげ、一口にほおばって酒をのむという。賀古さんはまた西瓜を食べる時、地球にたとえれば赤道の線で真二つに切って、極を下に、上にした赤道面に氷のぶっかきと砂糖を盛り上げ洋酒を注ぎ、大きな匙ですくいながら忽ちの間に食べてしまうというのである。
賀古さんは父と同時に軍医に任官したが、少将相当官の時やめ、神田の小川町に耳科院を開いた。和歌をよくして山県公等の眷顧[けんこ]を蒙ったところから、父とこれら高官の間を仲介した人である。
鰻でもう一人思いだすのは叔父・篤次郎である。父のすぐ下の弟で医学士、京橋に内科を開業していたが、三木竹二という名で劇評をよくし歌舞伎という雑誌を主幹していたので、その方で有名であった。快活、無遠慮な性質で、父の家に来る時、裏門の方から入る。こちらに祖母や私達がいるからである。木戸を入ってすぐ
「おおい腹がへった。飯をくわせろ。めしだ、めしだ」
と大声を上げる。祖母が
「そら篤だ」
と注文もきかずに鰻屋に女中を走らせる。まだ電話のない時代である。団子坂を降りかけ左側を一寸折れると有名な「やぶ蕎麦」がある。叔父は「飯をくわせろ」といいながら祖母の野菜と豆腐ぐらいを主とした惣菜料理では到底納まらない。
千駄木町のめしは淡泊で食えやせん。兄貴が小言をいわんからだ」
という。「薮蕎麦」は叔父の好みに合わないのでその横町に入る反対側の鰻屋に、あまり上等ではないが中串を一人前と別に鰌鍋を注文するのである。

これまで書き続けてきたことで父の家庭における食生活の簡素さはわかると思う。然し貧しいのでも物惜しみするのでもない。概して趣味は淡泊であるが菜食主義というのではない。家庭で調理する人、私の幼い頃は祖母、私が高校に入ってからは義母がともに肉食、ことに牛豚肉牛乳をきらう人であったため、家庭での常食を二重にするのをなるべく避けたのであろう。父は酒は少量しかとらず、晩酌は絶対にしない。客にはドイツ本の料理書をよんでつくり方を口授し、所謂「レクラム料理」をつくらせてもてなした。若い末弟や子供等には不足であろうと考えて栄養食を時々馳走した。医学をやってことに衛生学の専門であるから病気感染を避けること、一日の食事の栄養価を適当に保つことを考慮に置いたにはちがいない。ただ時代のちがいでヴィタミンの知識などは欠けているので、今日から見て不充分であったのもやむをえない。
また父は料理が上等でも取り合わせのわるいもの、一貫しないものはきらったようである。山県公の椿山荘に招かれてフランス料理を頂戴したあと、公が漬物で茶漬け一杯召上がって、君たちもどうだといわれるので、仕方なくお相伴するが、今までの御馳走が台なしになって迷惑千万だとこぼしていた。そのくせ乃木大将のところへ年始に行って麦飯をふるまわれて平気だった。
終りに鴎外日記を飜[ひるがえ]すと招待された時や旅行先の食事のことがある。宮中にお招きを受けたお料理の献立など、そのまま写してある。その一、二を挙げて筆を★おこう。

「明治十八年八月十三日、夜ザクセン王宮の舞踏会に赴く、晩餐を賜う。・・・珍羞[ちんしゆう]は年魚[あゆ]と牡蠣となり。
明治三十三年三月十九日、正午陪食を命ぜられて参内す。牛肉羮パアト、皿焼興津鯛馬鈴薯、衣揚若鶏注汁、牛酪[バター]焼牛繊[ヒレ]肉松露、サフラン煮飯★、羮煮キャベチ干肉、蒸焙★肉サラド、牛乳鶏卵蒸菓子、蜜柑ジュレエ。
明治四十年三月十六日、御陪食のため、午時参内す。献立、一、鶏肉羮、二、洋酒蒸鱒、三、牛酪煎寄鶏肉、四、冷製猪肉、五、牛酪煮★ほうれん草、六、蒸焙鴨、七、薄荷入氷菓子。
明治四十三年四月七日水、正午陪食を命ぜられ給う、一、冷製肉、二、鶏肉羮、三、洋酒煮鮃、四、煮物鴨、五、牛酪煮牛繊肉、六、麦粉包★、七、牛酪煮芽きゃべつ、八、菓子。