「介護の日 年金の日 - 朝井リョウ」集英社文庫発注いただきました!から

 

介護の日 年金の日 - 朝井リョウ集英社文庫発注いただきました!から

発注元 JA共済
お題 介護の日、年金の日にまつわるエッセイ
使用媒体 新聞各紙広告
発注内容 
● 介護、年金を取り巻く現状について考える一助となるエッセイ。
● 介護、年金というテーマではあるが、多くの人に自分の将来について考えるきっかけづくりをしていたい。
● 文章中に「JA共済」や「保障の必要性」といった広告色のあるフレーズは必要ない。
● 文字数はそれぞれ1300文字、計2600文字程度

介護の日 年金の日

「おばあちゃんち」で叶う夢

お小遣いがほしい、おやつを食べたい、久しぶりに集まったイトコたちと二階にある埃っぽい部屋で遊びたい-私にとって「おばあちゃんち」は、そんないくつかの夢をいっぺんに叶えてくれる場所だった。
ある日、実家から歩いて十分ほどの場所にある一軒家で暮らしていた祖母が、うちに移り住むことが決まった。私が小学生のころだった。
荷物が片付けられ、真新しいベッドが置かれ・・・当時の私は、実家の客間が「おばあちゃんち」に生まれ変わっていく様子をわくわくしながら見ていた。あの、いろんな夢を叶えてくれる場所が家の中にできるなんて、と、胸を高鳴らせていた。
だが、移り住んできた祖母は、ほとんどベッドの上にいた。祖母の体調が芳しくないということは当時の私もなんとなく聞かされていたけれど、そのことと祖母がうちに住むということが、頭の中で上手に繋がっていなかったのだ。
おばあちゃんを呼んできて。ある日の夕飯前、母が私にそう頼んだ。これまでそんなふうに頼まれたことがなかったので、少し不思議に思った。
ごはんできたよ。私がそう言いに行くと、ベッドの上の祖母は小さく頷きなから、いつものようにゆっくりと起き上がる-と思っていた。
祖母は何も言わずに私の手を握りしめた。
お腹がすいていた私は、おかずが冷めてしまうことが嫌で、握られている手を早く放してほしかった。たぶん、表情にも出ていたと思う。だけど、祖母はしばらく私の手を握り続けた。
ぎゅっと。だけど、弱弱しく。
どうしたの、と尋ねても、祖母は何も言わなかった。私も、なんとなく、それ以上何も訊かなかった。
手を握られながら、私は、家の中にできた「おばあちゃんち」と記憶の中にある「おばあちゃんち」は別物なんだということを、やっと理解していった。目の前にいるこの人にお小遣いをねだったり、おやつを作ってもらったり、イトコたちと私の遊び相手になってもらったり、そういう時間はもう終わったのだと、小さな夢が叶い続ける魔法はもう解けたのだと、乾いたスポンジに水が染みていくように思った。
そんな日々の中、よく覚えていることがある。
小学生のころから小説を書くのが好きだった私は、プリントアウトした作品を、家のいたるところに置きっぱなしにしていた。誰かに読んでもらいたくて、クラスの新聞に小説を載せたりしていたけれど、あまり反応がなくて寂しくしていたころだった。
学校から帰ると、どこかに置き忘れられているものを見つけたのだろう。祖母が一枚ずつ、私の書いた小説をベッドの上で読んでいた。
そんな祖母の姿を見つけた私は、恥ずかしかったり照れくさかったりで、まともに感想を聞けなかった。だけどそれは、自分が書いたものを誰かに読んでもらいたいという、いまだに抱き続けている夢が「おばあちゃんち」によって叶えられた瞬間でもあった。
歩いて十分の一軒家、実家の客間、車でないと行けない施設。おばあちゃんの体調が悪くなるたび、「おばあちゃんち」は、どんどん場所を変えていった。だけど、だからこそ叶えられた夢もあったような気がする。
いつか私も、家の中なのか外なのかはわからないにしても、父や母の暮らす空間を形を変えて設ける日が来るだろう。それを素敵な場所にするために今から何ができるのか、考えていきたい。

 

今の自由、を差し出す先に

 

お腹が空いたとき、私はたまに、こう思う。
食べたいものがわからない。
この状態に陥ったときの困惑は、かなり大きい。動き回って、疲れて、空腹であることは明白なのに、自分が何を食べたいのか見当がつかないのだ。試しに、ラーメン屋、カレー屋、とんかつ屋、様々な店の前をうろついてみたりもする。ガラスケースに並んでいるハリボテの定食たちを眺めてみたり、スーパーに入り、三百六十度、いろんな食材に囲まれてみたりもする。それでも、自分が何を食べたいのか全くわからないときがある。
たたいつもこんな状態に陥るわけではない。たとえばゆっくり食事をする間もないくらい仕事が詰まっているときには目についた店でさっさと済ませてしまうし、誰かと約束があれば場所や
相手の好みに合わせる。明日は朝から一日中ハードに動かなければならないなら、夜は軽めにして翌朝たくさん食べられるようにしておく、仕事があるから、約束があるから、明日があるから。そのような、未来の自分に対する制限があると、無制限の選択肢が自[おの]ずと幾つかに絞られる。
つまり、自分が食べたいものがわからないときは、私が、現在の私のためだけに生きているとき、ということになる。
私今、結婚もしていなければもちろん子供もいない、そして自営業だ。家庭や会社など、私の行動を制限するものがない。つまり、現在の自分のためだけに生きることが可能な状態にある。その状態は、時に、自由という言葉に言い換えられる。夏休みの小学生のような、何も制限されない自由。
それは甘美に響く言葉だが、生きていくこととはきっと、両てのひらに溢れていた自由を一つずつ、自分以外の誰かや何かに差し出し、無限にある選択肢を一つずつ減らしていくことなのだと思う。
結婚資金を貯めるためにパソコンを買い替えるのを我慢しよう。生まれたばかりの子供のために同僚と飲むのをやめて早く帰ろう、家を購入するために外食をやめて貯金をしよう-自由を一つ差し出すたび、人はその空いたてのひらを守るべき誰か、大切にしたい何かへ差し伸べている。自由や選択肢が目減りすることは、その言葉の持つイメージほど、きっと悪いことではないはずだ。現に、ジェンガのパーツを一本ずつ抜いていくように自分の人生の形を少しずつ明らかにしていく同世代の友人の姿が、私にとってはとても眩しく、そして幸せそうに見える。制限が多くて困る、と嘆いている友人ほど、今の自分よりも大切にしたい守るべきものを多く抱えているように見えるのだ。
自分が、現在の自分を差し置いてまで大切にしたいことはなんだろう。いつか出会っていてほしい人生のパートナーだろうか、趣味のバレーボールをずっと続けられるような丈夫な体だろうか。どちらにしろ、大好きな小説をずっと書き続けるということに耐えうる心身は、欠かせない。
現在の自分を愛することはもちろん大切だ。だけど、現在の自分よりももっと愛することができる人やものに出会い、それらにいま手にしている自由や選択肢を差し出すその瞬間が、私は楽しみだ。
さあ、こんなふうに文章を書いていたらお腹が空いてきた。食後にこの原稿を見直すために、今日の昼食は腹八分目にしておこう。

 

 

感想戦
-お疲れ様でした。
お疲れ様でした。久しぶりに読み返してみたら腹が立つくらい“広告感”を意識している文章で、舌打ちしたくなりましたね。ていうかしました。ところで、私は二〇一九年の十月に『どうしても生きる』という本を上梓したのですが、その中の「健やかな論理」という作品に、お腹が空いているのに食べたいものがわからない人物が出てきます。ここになんとなく原型があったのだなと感慨深い思いです。同じネタ使い回してんじゃねえ!というリアクションだけはお控えください。何も言い返せないので。