(巻三十八)大年や黄泉を思えば行きたくなる(池田澄子)

11月16日木曜日

(巻三十八)大年や黄泉を思えば行きたくなる(池田澄子)

快晴・無風。方向音痴の細君が白鳥生協へと出かけた。生協の2階にある歯科で定期検査を受けているがそれが近づいてきたので迷わず行くための練習でもある。10時半ころ「疲れた」と帰ってきたが、往路で一度、復路で二度道を逸れてしまったとのことで、いつものことではあるが、私の画いてあげた地図が悪いという。まっ、とにかく無事に帰宅したのだから、めでたく、ありがたいことだ。

昼飯喰って、一息入れて、3時から散歩に出かけた。先ず図書館で2冊借りて、稲荷でコンちゃんと戯れて、それからアリオの紀伊国屋書店へ向かった。毎年のことであるが、細君が座右の『誠文堂新光社藤井旭天文年鑑』を予約しに参った。予約を終え、隣りのロフトで、これも細君所望のポスト・イットの四角版を購う。買い物を済ませて桜通りを歩いて「八起」に至り一杯致す。病院の入院親族の見舞いの話が飛び交い、面会制限もある意味ありがたいとのことになった。行かなくても嫌味を聞かない済むのがありがたいとのことだ。そんなものだろう。

英聴。

BBC, The Life Scientific, Richard Bentall on the causes of mental health

https://www.bbc.co.uk/programmes/m000sj7c

再読。

「歯ぎしり - 泡坂妻夫」文春文庫 巻頭随筆4 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32300733/

願い事-ポックリ御陀仏。元気に御陀仏。

「一匙の葡萄酒 - 夏目伸六」文士の食卓 中公文庫 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/

を読み終えた。

臨終に至る経過を見るに、11月21日の南京豆の食べ過ぎから逝去の12月9日まで20日ほどである。こう云っては何であるがまあ長患いではなく、私とした場合なら、まあ宜しとする程度の期間だ。

『また絶食が続き、ほとんど申訳の様な薄い葛湯が許されたのは、それから四日後の十二月二日になってからである。が、こんな葛湯ですら、この時の父は本当においしそうに啜ったと云う事だが、その日の午後、便器に向って、不用意に力を入れた刹那に、父は二度目の内出血を起こし、またもや人事不省におちいったのである。』

とある。こう云っては何であるが、人事不省になるまでは自分で便所に行けたようだ。これまた宜である。

最後に食塩注射で意識を回復させているが、私はそんな余計なことは望まない。ホットイテ呉れである。

ポックリが希望だが、下手をコイてもこのくらいで仕上がりたい。二週間だ。

腸に春滴るや粥の味(漱石)