「『国鉄は根本的整備が必要である - 産業計画会議編』の書評 - V林田」本の雑誌2023年12月号 から

 

「『国鉄は根本的整備が必要である - 産業計画会議編』の書評 - V林田」本の雑誌2023年12月号 から

無視され続けた国鉄分割民営化の提言

3年続いた本連載も今回で最終回。最後は、日本の鉄道史上最大の事件ともいえる国鉄分割民営化の根本につながる書を紹介したい。
分割民営化に関しては、中曽根康弘が「国労つぶしのために行った」という旨を語ったことが現在では広く知られている。だが、他の関係者がこれに否定的なことはあまり知られていない。社会党側だと村山富市が「『国鉄改革は、総評つぶしの明確な意図をもってやった』と話す首相経験者もいる」と聞かれ「それはね、後づけの理由だ。そんな意図で基幹産業をどうこうできるものではない。国民を冒とくした話だ」とバッサリだし、分割民営化推進側だと尾山太郎が「中曽根さんは国鉄改革を国労社会党つぶしの戦略だったかのように話しますが、先に改革があり、結果として国労が自滅したんです」と話している。おそらく彼らの意見の方が正当だ。故人の内心なので邪推になるのは承知だが、中曽根は自分を「主体的に動いて歴史を変えた大物政治家」に見せたくてフカシこいたのではないだろうか。
なぜそう考えるのか。理由の一つに、国鉄の分割民営化は80年代に入っての第二次臨調で急に湧いたものではなく、鉄道省が「日本国有鉄道」になって間もない頃、まだトータル黒字で労使関係も後ほどこじれていなかった50年代のうちからオープンに議論されていたような話だということがある。というわけで今回紹介するのは、産業計画会議編『国鉄は根本的整備が必要である』(59年、経済往来社)だ。
産業計画会議は、「電力の鬼」こと松永安左エ門が名だたる財界人や学者などを委員に迎えて設立したシンクタンクである。56~68年に「日本経済たてなおしのための勧告」など16件の政策提言を行っており、都度、勧告に対する反論なども収録した小冊子を製作した。会議は松永の死後に解散したが、各冊子は運営担当の(一財)電力中央研究所が公式サイト上にスキャンPDFを掲載している。
本書の前半に掲載された「勧告」は、最初のパラグラフで“「民営」「分割」を勧告する”と結論がはっきりと書かれている。民営については、運輸省や国会などからの制約があまりに多く経営自主権が全くない現状に対し、自主権と経営責任を与えて経営を改善させると同時に、民業圧迫となるということで制約がかかっていた副業を私鉄同様に解禁し、従業員にはスト権等を付与できるとしている。分割については、国鉄は経営単位が大きすぎて、個々の路線などに細やかな施策が打てないことが理由である。勧告は続けて、新規ローカル線の建設が政治家の票集めの材料にされていることや、戦前戦後の混乱期を引きずったままの運賃体系の問題点を資料として提示し、飛行機やマイカーはおろかバスさえなかった大正11年の改正鉄道敷設法に基づく計画を捨てて時代に即した新たな交通計画や、合理的運賃体系を整備することなどを具体的改革案として述べる。

後半では、勧告に対する国鉄関係者らの反論や、それに対する再反論などが掲載されている。ここで気付かされるのは、国鉄関係者も民営化には反対していても、指摘された問題点自体はほぼ全面的に認め、改善を求めているということだ。というより、収録されている座談会で国鉄監査委員の西野嘉一郎がはっきり書いているが、会議には常任委員に国鉄技師長・島秀雄、委員に国鉄総裁・十河信二など関係者が何人か名を連ねており、勧告には「国鉄が主張したいこと」が明らかに含まれている。独立採算が原則とされる(途中から補助金的な税金投入はあったが、一般会計で運営されている警察や消防等とは根本的に異なる)のに、運賃値上げには国会議決が必要で、支出に合わせて収入を増やすこともままならない。それでいて、赤字ローカル線の整理も自由にできないどころか、新設を強制される。政治の過度な口出しを排せという本書の議論は、国鉄の悲鳴でもあるのだ。
だが、本書は結局ほぼ完全に無視された。本書だけではない。国会諮問委員会は60年に似た内容の意見書を出しているし、会議も10年後の68年に「このままでは国鉄の前途は完全なる破産」「今からではむしろ遅すぎるのではあるが」と悲痛な前置きで「民営分割が望ましいが、せめて公社のままでも同等の改革を」という旨の第16次勧告『国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ』を出している。これらもことごとく無視された。政権党に問題が大なのは言うまでもないが、地元への鉄道建設や運賃値上げ否決を支持し続けた国民にも咎がないとは言えまい。そして国鉄は、公共性とコストが共に高い事業(ラッシュ解消のための輸送力増強など)を借金を原資にして行わざるを得ず、この金利が膨らんだのが致命傷となって破綻、80年の国鉄再建法に始まる改革を迎えるのだが、この流れは忘れられ、労使問題ばかり語られるようになる。
本書は65年も昔の話であり、その提言内容がそのまま現代に通用するものではない。だが、根本にある「時代が変化する中で、鉄道やバスの役割はどうあるべきか、利用料金はどのように算定されるべきか、どこまでが国政でどこからが地方自治の守備範囲になるのかなど公共交通のあり方を議論し、場合によっては構築し直すべき」という問題意識は色褪せていない。思えば日本は、深く議論せず成り行きに任せるばかりで、この問題を先送りし続けてきた(現実の国鉄分割民営化についても、この点には踏み込みきらなかった弥縫策[びほうさく]と言わざるを得ない)。しかしそれもいよいよ限界であり、おそらく今後はなし崩し的に変革が進むだろう。本書を読むと、そういうことについて考えさせられてしまう。
というところで本連載は終わり。連載一年分くらいの書き下ろしを加えて本の雑誌社より単行本が出る予定なので、読者の皆様にはお待ち頂ければ幸いである。