「稽古場の三島由紀夫氏 - 芥川比呂志」芥川比呂志エッセイ選・ハムレット役者 から

 

「稽古場の三島由紀夫氏 - 芥川比呂志芥川比呂志エッセイ選・ハムレット役者 から

 

三島由紀夫氏が稽古場へ入って来ると、たちまち、芝居の稽古をするのに持って来いの明るいリラックスした雰囲気が現出した。
アロハシャツ姿で、黒革の小型の事務用鞄を提げていることもあり、黒の正装に身を固めて、ゴム製のおかしな動物の仮面を持っていることもある。ボクシングのジムへ廻る時には、革ジャンパーにデニムのズボンを穿き、グローブなどを入れたボストン・バッグを抱えている。そんな突拍子もない恰好で稽古場へ現れる作者は氏の他にはいないから、そこから賑やかな雑談がはじまり、役者たちは、氏の早い受け答えや、他愛のない冗談や、いたずらっ子のような表情や、独特の哄笑の渦に捲き込まれて、稽古に入る前にいい塩梅に芯をほぐされ、活気を吹き込まれるのだった。

氏はときどき自作の舞台に端役で出た。「鹿鳴館」では舞踏場の飾り付けの職人、修辞を担当した「ブリタニキュス」ではローマの兵士、脚色をした「黒蜥蜴」ではホテルのボーイという風に、ほとんどせりふのない役を初日だけ、たまには千秋楽にも演じた。
自分の芝居を内側から覗いて見たいという好奇心もあったのだろうが、扮装したり演技したりすることを氏が愉しんでいたことは確かで、その愉しみは、後で同じ場面に出ていた役者たちと互にさんざん悪口を言い合うという罪のない愉しみと対をなしていた。舞台に出て来ると、氏は緊張のあまり、短い登場時間中に必ず一度、飛んだへまをする。皆が廻れ右をしているのに廻れ左をしてしまったり、一つおじぎをすればいい所を二つしてしまったりする。それが種になって、氏が引き揚げて来た楽屋はたちまち蜂の巣をつついたような陽気な悪口学校と化するのだった。氏は後には役者というものにはほとほと愛想を尽かしたらしい形跡があるが、少なくとも「近代能楽集」を書きはじめた昭和二十五年頃から十一、二年ほどの間は、若い役者たちと気楽に遊べる稽古場や劇場は、氏にとって一種の息抜きの場でもあっただろうという気がする。