(巻九)包丁の鉄の匂や初鰹(青木孝夫)

イメージ 1

12月24日木曜日

谷崎潤一郎文章読本を読んでいる。126頁の「調子について」というところまでたどり着いた。

調子には、(一)流麗な調子、(二)簡潔な調子、があり、この二つの基本的な調子の派生的な調子もあるとしている。
流麗な調子とは、源氏物語など和文調の流れを組む調子で、泉鏡花、里見とん、宇野浩二佐藤春夫がこの調子を用いている作家とのことだ。

黒猫のさし覗きけり青簾(泉鏡花)

簡潔な調子はその手本を漢文に依っている調子で、志賀直哉の「城の崎にて」の一節を取り上げて、絶賛したうえで解説を加えている。

その、志賀の文章は:

自分の部屋は二階で隣のない割に静かな座敷だつた。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になつている。其羽目の中に蜂の巣があるらしい、虎斑の大きな肥つた蜂が天気さへよければ朝から暮近くまで毎日忙しさうに働いていた。蜂は羽目のあはひから摩抜けて出ると一ト先づ玄関の屋根に下りた。其処で羽根や触角を前足や後足で丁寧に調べると少し歩きまはる奴もあるが、直ぐ細長い羽根を両方へシツカリと張つてぶーんと飛び立つ。飛び立つと急に早くなつて飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度満開で蜂はそれに群つていた。自分は退屈するとよく欄干から蜂の出入りを眺めていた。
或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足は腹の下にちぢこまつて、触角はダラシなく顔へたれ下がつて了つた。他の蜂は一向冷淡だつた。巣の出入りに忙しくその脇を這ひまはるが全く拘泥する様子はなかつた。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物といふ感じを与へた。その脇に一疋、朝も夕も見る度に一つ所に全く動かずに(うわ)向きにころがつているのを見ると、それが又如何にも死んだものといふ感じを与へるのだ。それは三日程その儘になつていた。それは見ていて如何にも静かな感じを与へた。淋しかつた。他の蜂が皆巣に入つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ残つた死骸を見る事は淋しかつた。然しそれは如何にも静かだつた。

であり、芥川も志賀の作品のなかで最も秀逸な文章としているとのことだ。

木枯らしや目刺にのこる海のいろ(芥川龍之介)