(巻十二)何もかもこの汗引いてからのこと(岩田桂)

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10月23日日曜日

土曜日の夜、NHK第二放送の“朗読”で高見順の「敗戦日記」を聴いた。先週から始まったが第一回は寝込んでしまい聞き逃した。今夜は東京大空襲のころからで、同年5月に鎌倉の壮々たる文士たちが駅前に貸本屋を開いたころまで聴いて寝込んでしまった。

芒活け机いささか文士めく(鈴木鷹夫)

ドイツ無条件降伏などの報道に対する民衆の無関心や氏の新聞報道に対する不審は述べられているが、反戦厭戦が直接的には書かれていない。罹災者特に子供に涙し、上野駅前の家を失い郷里を目指す群衆を描いている。
高見氏はこの頃金に困っていたようで、工面のことがよく出てくる。“金が無ければ疎開もできぬ”と稿料への不満を漏らしている。また、川端、大仏、など諸氏との交流についても書かれていて面白い。来週も寝込まないようにして拝聴したい。


午後、甘納豆を摘まみながら何故稔典先生は“うふふふふ”と“にやついた”のか考えた。

三月の甘納豆のうふふふふ(坪内稔典)

そして、写真のようなことを考えたのであろうと推論した。解明してみると、名句である。因みに、小豆、鶯、鶉、である。

漱石随筆集」のあと、繋ぎに「福翁自伝」を捲っている。次は何を読もうかと考えたが岩波の巻末の既刊案内に「岡本綺堂随筆集」があったので読んでみることにした。いつも立ち読みばかりにしているお詫びに駅前の本屋に取り寄せをお願いすることに致した。ついでにNHK短歌から一首泥棒いたした。

対称に妻おることの安定がわれに大きなガラスを拭かしむ(石本隆一)