(巻十三)渋柿と烏も知りて通りけり(一茶)

1月27日金曜日

我輩は風邪引きである、インフルエンザではない。喉がいたいが熱はない。
角川俳句を買ったが、今のところ書き留めたい句に出合わずである。

無駄足と云はず乏しき梅を見る(小路紫峡)

上手下手は別にして一月前半はポンポンと句が出来たが、ここに来てスランプである。目に入って来るものは毎日ほぼ同じであるから、感性がサボっているということになる。

木枯しや道なりに来る安普請(潤)

それにしても、宗匠方の多作には恐れ入る。求めに応じて捻り出すのか、湧いて来るのかは分からないがよく正月だけで五十句も捻り出せるものだ!

渋柿の滅法生りし愚かさよ(松本たかし)

それより、対談が面白い。朝日の天声人語氏である福島申二氏と宇多喜代子氏の対談である。福島氏から天声人語の字数の話が出ていて、603字とのことである。天声人語氏は俳句の挟み込みについても語っている。

省くもの影さへ省き枯木立つ(福永耕二)

福島氏:新聞の一面コラムは俳句の専門誌でも、結社で作っている刊行物でもないので、あまりその方面の素養がない読者を前提に考えないといけない。イメージのはっきりしにくい句を使うと、説明しなければならなくなります。ユーモアも同じですが、ジョークが分からない人に向かってなぜ面白いのかを説明したら、もうそれはユーモアでなくなる。

ぶつかつて蝉はジジイといつたきり(西池冬扇)