2/3「城の崎にて - 志賀直哉」岩波文庫 日本近代随筆選 3 から

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2/3「城の崎にて - 志賀直哉岩波文庫 日本近代随筆選 3 から
 

「殺されたる范の妻」を書こうと思った。それはとうとう書かなかったが、自分にはそんな要求が起っていた。その前からかかっている長編の主人公の考とは、それは大変異(ちが)って了った気持だったので弱った。

蜂の死骸が流され、自分の眼界から消えて間もない時だった。ある午後、自分は円山川(まるやまがわ)、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園に行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真中をゆるやかに流れ、円山川へ入る。或所迄来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見ているのだ。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に七寸ばかりの魚串が刺し貫(とお)してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上ろうとする。子供が二、三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。却々(なかなか)当らない。カチッカチ ッと石垣に 当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間に漸く前足をかけた。然し這入(はい)ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そして又水に落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命である事がよくわかった。鼠は何処かへ逃げ込む事が出来れば助かると思っているように、長い串を刺された儘、又川の真中の方へ泳ぎ出た。子供や車夫は益々面白がって石を投げた。傍(わき)の洗場の前で餌を漁っていた二、三羽の家鴨(あひる)が石が飛んで来るので吃驚(びっくり)し、首を延ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水に投げ込まれた。家鴨は頓狂な顔をして首を延ばした儘、鳴きながら、忙(せわ)しく足を動かし て上流の方へ泳いで行った。自分は鼠の最後を見る気がしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極(きま)った運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希(ねが)っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなけらばならない。今自分にあの鼠のような事が起ったら自分はどうするだろう。自分は矢張り鼠と同じような努力をしはしまいか。自分は自分の怪我の場合、それに近い自分になった事を思わないではいられなかった。自分は出来 るだけの事をしようとした。自分は自身で病院をきめた。それへ行く方法を指定した。若し医者が留守で、行って直ぐに手術の用意が出来ないと困ると思って電話を先にかけて貰う事などを頼んだ。半分意識を失った状態で、一番大切な事だけによく頭の働いた事は自分でも後から不思議に思った位である。しかもこの傷が致命的なものかどうかは自分の問題だった。然し、致命的のものかどうかを問題としながら、殆ど死の恐怖に襲われなかったのも自分では不思議であった。「フェータルなものか、どうか?、医者は医者は何といっていた?」こう側にいた友人に訊いた。「フェータルな傷じゃないそうだ」こう云われた。こう云われると自分は然し急に元気づいた。亢奮(こうふん)から自分は非常に快活にな った。フェータルなものだと若し聞いたら自分はどうだったろう。その自分は一寸(ちょっと)想像出来ない。自分は弱ったろう。然し普段考えている程、死の恐怖に自分は襲われなかったろうという気がする。そしてそういわれても尚、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。それは鼠の場合と、そう変らないものだったに相違ない。で、又それが今来たらどうかと思って見て、尚且(なおかつ)、余り変らない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で希う所が、そう実際に直ぐは影響はしないものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それは仕方のない事だ。