1/2 「食慾について - 大岡昇平」文春文庫 もの食う話 から

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1/2 「食慾について - 大岡昇平」文春文庫 もの食う話 から
 

老人の食意地のきたなさは戦時戦後の食糧難で立証されたらしい。少なくともその経済的被害を蒙る運命にあった、中年の男子達はそういっている。しかし中年男自体それほど意地がきれいだったわけではない。少なくとも彼等よりカロリイの補給を要するはずの青年よりきれいではない。これは私が前線で目撃したところである。
私の中隊は比島の或る僻地を警備していたが、到着後暫くは給与掛の下士官の不慣れのため、給与が十分でなかった。その間一般に感情的衝動的といわれる若い兵士が、比較的平然と空腹に堪えたのに反し、理性的克己的であるはずの三十代兵士は、甚だ芳ばしからぬ餓鬼的行為を示した。例えば比島人の俘虜に与える食物まで、炊事場から運ぶ途中で掠め取ったのは、これ等中年の兵士であった。
この現象に関する私の哲学的解釈は、青春は心を占める別の重要なる欲望を持っているが、中年は既にそれがない、あっても弱いということである。彼等の注意が専らもう一つの重要な欲望たる食慾に向かうのはこのためである。そして欲望はそれに注意することによって強くなる。
かかる餓鬼的中年の兵士の間にあって、わが友池田の食慾は稍々(やや)私の一般的解釈を超えた獰猛性を帯びていた。
彼は富裕な地主的背景を持つ俸給生活者で、頗(すこぶ)る温和実直な男である。我々が門司で民家に分宿して船を待っていた一週間、私は偶然彼と同じ部屋に起居して、彼の美しい人柄に感じ入ったが、ただ食物に関しては、これは到底事を共にする人物ではないと思った。食慾行為については、読者も既に諸方面において豊富な例に立会っておられることと思うから詳細は省くが、要するにほかのことについてはあれほど謙譲な彼が、食物のこととなると人が変ったように誅斂苛酷(ちゅうれんかこく)になり、自分の欲望を露骨に主張して恥じないのである。
私は遂にあからさまに「君はいい人だが食事だけはつき合わない」といった。
私はその土地から幼いわが子への最後の贈り物として、予め支給された船中二十日分の甘味品の半分を送った。彼は黙って私の小包を作るのを見ていたが、同じく幼い子供を持つ彼として、無為にみすごすのはかなり辛かったに違いない。彼に内心の戦いがあったのを私は知っている。彼がその後なん度も自分の持分を色々に区別けし、一緒にし、また分け直したりしていたのを私は見ている。しかし結局彼は私の真似はしなかった。しかし私はこれをもって、彼のその子に対する愛情が私より弱い指標とは思わない。
船に乗ってからの食糧の分配法は、飯盒一杯の飯を二人ずつ組んで受け取るのであったが、私は兼ねての宣言通り彼と袂を分ち、より食慾旺盛でない他の兵士と組んだ。私達は暑い船室を出て甲板のほどよき処に席を占め、眼前に移って行く七月の海を見ながら、海水で炊いたいい塩加減の飯を食べた。
潜水艦に対する対策の一部として、我々輸送される兵士の間からも監視班、消火班、整備班、戦闘班などを設けた。この最後の班は警報と共に戦闘準備をして甲板へ出て、潜水艦と戦うのを任務とする。
遠方の水中から魚雷を送って来る敵に対し、何故我々が小銃を持って甲板で待機せねばならぬのかは全然不可解であったが、とにかくこれは沈没の脅威のある瞬間、甲板にいられるという利益があった。私はこの班でまた池田と一緒になった。
バシー海峡で僚船一が沈められた。我々は無論武装して部署についたが、広い海面に、船のためというよりはむしろ我々自身のために、あまり有効でない監視の眼を放ちながら、私は隣の池田が始終口を動かしているのに気がついた。そして時々彼がひそかに左手を胸のポケットにやり、ついで口に移す動作によって、彼の喰べているのが甘納豆であることを知った。
我々はこの時重大な危険の裡(うち)にあった。冗談ではない。正確に死の十五分前にいたかもしれないのである。その時私は無論何の食慾も持っていなかったが、彼はその死の瞬間まで、心残りなく甘納豆を喰べたいという欲望を起す余裕を持っていた。しかも狭い船室での遽(あわた)だしい準備の隙に、素速くその品物をポケットに滑り込ませる沈着があったのである。私は感服してしまった。
しかし任地に着いて、前述のように食糧が十分でなかった時の彼の行動は、あまり感服すべきものではなかった。スパイ容疑で拘留中の比島人の食糧の上前をはねたのは彼ではなかったが、彼はよく炊事の附近をうろついて炊事兵から口汚く罵られ、彼が食事当番の時は、飯の盛り方についてきまっていざこざが起きた。彼はひとかけの飯、一杯の汁を、自分のために多く残すという誘惑に抗し切れなかったのである。
玉蜀黍(とうもろこし)を混用して食糧が十分になると、彼は班内の残飯を一手に引き受け「残飯屋」と呼ばれた。彼は代償として食器を洗うのは勿論、掃除当番その他雑務の代行も進んで引き受けた。自己に不要なるものを与えるに当って、軽蔑と嘲笑の言葉を添えたがる鷹揚なる青年達を、私はちょっと非難したい気がするが、彼の方でも自らを卑めて余計な代行の申し出をしなくてもよかったと思う。しかし彼は食物の為ならどんな事でもするという気になっていたらしい。
しかし私は彼の名誉のためにいい添えておくが、彼はこういう代償としてでなくとも、諸勤務や当番において頗(すこぶ)る忠実であり、蔭日向なくよく働いた。この点彼は模範的な兵士であったが、しかし序列はあまりよくなかった。上官に気に入られ、且(かつ)「目立つ」に必要な活力と気転を彼は欠いていた。
要するに私は彼の胃が常人と少し違った構造を持っていたと結論せざろを得ない。こういう差別は医学的にそう簡単に説明出来そうにもないが、ほかに考えようがないのである。この食慾は彼の性格の他の諸要素とあまりにも縁がない。