(巻二十)高齢化バナナの皮と同化する(山沢壮彦)

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12月28日金曜日



高齢化バナナの皮と同化する(山沢壮彦)

は滲みまする。
新鮮さを失ったバナナ皮の痛みとはちがいますが、顔から頸の左側にポツポツとした点状の染みが被っているのでございます。
左側に集中している原因は四十代にフィリピンでゴルフをやりまくったことが考えられます。灼熱の陽の下で肌が焼けるのを感じながら遊んでおりましたが、その頃から歳を取ったら響くだろうとは思っておりました。


お役所はご用納めですが、区立図書館も今日までのようなので角川俳句を読みに参りました。 
書き留めた句は:
痩馬を飾り立てたる初荷かな(正岡子規)
人間の為すこと怪し神の留守(小池溢)
去年今年変らぬ杖の置きどころ(村越化石)
酒クラヒ寝ルと記せる初日記(谷口智行)
教卓に誰ぞ置きたる檸檬あり(井上睦子)
足のむくままに歩きて朧なり(今井杏太郎)
色恋の一歩手前を秋の風(浅川正)
秋深し焔の芯に置く土瓶(大塚迷路)
さんま焼く古き団地の換気扇(西本郁子)


図書館を終わり、“ときわ”に歳晩の挨拶に回った。鰯の刺身をいただけて誠に結構な締めとなりました。

ばなし:
義妹の一家四人は舞浜ランドに一泊するということだ。
我が家はネズミにもアヒルにも興味ないのでそんなことに銭はつかわないのであります。
あそこ家の子達(大人)は一家で動くのが好きだが、うちのにはそう言うところはない。
そのうちの子(大人)にお年玉をやるようだ。三万包むと言っている。
まあいっか!


「山高きが故に.....ー 浜本淳二」文春文庫’09年版ベスト・エッセイ集から

をコチコチ読書中です。