(巻二十)立読抜取句歌集

薔薇園一夫多妻の場を思ふ(飯田蛇笏)
土用波にいどむ体を斜に構へ(鈴木真砂女)
田に向きて昼寝姿の死もありぬ(佐々本典太)
このくれも又くり返し同じこと(杉山杉風)
寒き日を書(ふみ)もてはひる厠かな(正岡子規)
冷房の風立読みの髪撫でる(金子潤)
真裸で屈葬のかたちで泣いて(河西志帆)
その中の斜に向きし雛かな(蛭海停雲子)
其のちの噂聞きたし桜餅(高浜虚子)
秋灯むかしと違ふ読後感(時田しげみ)
麦を踏む父子嘆きを異にせり(加藤しゅうとん)
身体読む電脳の世や冷まじき(須貝一清)
いつの世か目刺に詫びることあらん(横須賀洋子)
契約書条文素読日短(田中忠子)
すっぽりとふとんかぶりてそして泣く(小野房子)
鮎は瀬に人は噂の淵に住む(佐藤春男)
老人の日喪服作らむと妻が言へり(草間時彦)
部屋まるく掃いて男の冬支度(大西一冬)
駅蕎麦のホームに届く葱の束(塩川祐子)
おもいきり泣かむここより前は海(寺山修二)
鍋が待つただそれだけの急ぎ足(岡田芳べえ)
新宿や秋風もまた無国籍(福島正明)
老二人花橘に酔泣す(加舎白雄)
死ねる薬をまへにしてつくつくぼうし(種田山頭火)
七五三カン(漢字)婦もつとも美しき(佐藤鬼房)
性格が紺の浴衣に収まらぬ(櫂未知子)
下半身省略されて案山子佇つ(大石雄鬼)
混浴の隅に不作の男たち(三本渓泉)
着ぶくれて動物園へ泣きに行く(西沢みず季)
クレームの詫びの風邪声気遣はる(川村紫陽)
月の夜の南瓜の馬車に似て渋谷(小林実)
秋深し大正末子すぐ弱音(渋谷清秋)
絵ぶみして生き残りたる女かな(高浜虚子)
わたしの顔が覗かれており白菊黄菊(篠原信久)
梅雨空や遺書書くまえに落書す(大畑等)
寒晴れや観音様の薄き胸(山尾かづひろ)
禁断の実のほしき夜蛇の夢(井上ゆたか)
ストーブに話を煮詰めてをりにけり(高橋とも子)
着るものにもう迷ひなし冬に入る(小田島美紀子)
春遅々と先の詰まりし醤油差し(田中悦子)
アネモネや留守を預かる料理メモ(麻植悦子)
大黒天御身払ひて微笑給ふ(斉藤栄峰)
ぼんやりと脳もからだも白く消えてゆくことの近くあるらし(宮沢賢治)
姑の手の冷たかりを竹の秋(中村昭子)
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君(若山牧水)
辛夷(こぶし)咲き胸もと緩し人妻は(中村苑子)
死金を一壺に蓄めて紙漉婆(近藤一鴻)
にせものときまりし壺の夜長かな(木下夕爾)
福引やくじと名のつくもの弱く(中村伸郎)
立ち読みて身に入む一語ありにけり(深川正一郎)
甘言に乗りたる化粧花の冷え(藤野艶子)
烏瓜税につく嘘相似たり(川畑火川)
嘘つけぬほどぴっちりと白スェーター(清水衣子)
秋雨のラジオをけせばひとりかな(中久保まり子)
大名になれず八月終りけり
嫌われているとも知らず穴まどい(橘キミエ)
悪知恵の膨みに似て雲の峰(能村研三)
日本がここに集まる初詣(山口誓子)
秋の夜のとなりに人のいる眠り(鳥居三朗)
東京タワーが歩くがごとき秋日和(岡田史乃)
晩夏なり壁に古りゆく世界地図(飯塚樹美子)
仰ぎたる花火と別にある心(抜井諒一)
人恋ふるかぎりは老いず百日紅(斉藤いさを)
余命とは預金残高ちちろ鳴く(野副豊)
新しき煩悩いずこ除夜の鐘(暉峻康隆)
なしとせぬ嫉妬ごころの寝酒かな(細川加賀)
破れたる網戸にいつも行く視線(黒川悦子)
自在なる老いとはならず穴惑い(金丸秀子)
菊添えてそつと手帳を棺の底(宮万紀子)
熟れ柿を剥くたよりなき刃先かな(草間時彦)
色見せてよりの存在烏瓜(稲畑ていこ)
初刷の選外佳作のうまさかな(木山ショウヘイ)
五月雨ややうやく湯銭酒のぜに(蝶花楼馬楽)
次の世は蝿かもしれぬ蝿を打つ(木田千女)
ご無沙汰の酒屋をのぞく初桜(矢野誠一)
どの星も棘あるごとし寒波来る(岡崎伸)
骨酒やおんなはなまもの老女(おうな)言う(暮尾淳)
大マスク禍の元隠したり(安富耕二)
世の中は色と酒とが敵なりどうぞ敵にめぐりあいたい(四方赤良)
この蚊打つと決め立ち上がり追い廻し(福永法弘)
隠し持つ狂気三分や霜の朝(西尾憲司)
初夏のわれに飽かなき人あはれ(永田耕衣)
咳に覚む夢好色にして恙なし(鈴木詮子)
やは肌のあつき血汐に触れも見でさびしからずや道を説く君(与謝野晶子)
練馬区のトマト馬鈴薯夏青し(嶋田洋一)
あの本の毒まわりたる烏瓜(森田緑郎)
色の欲はつかに残り春の雪(森澄雄)
生き残るための怠惰よ烏瓜(木下もと子)
核心に触れず向き合ひ冷奴(水谷郁夫)
昼からは茶屋が素湯売桜かな(僕言)
寒き夜やをりをりうづく指の傷(鈴木しづ子)
炎天へ打つて出るべく茶漬飯(川崎展宏)
なつかしき春風と会ふお茶の水(横坂堅二)
着ぶくれて老けゆく歳を繕はず(下村康彦)
顔見世や義理と忠義に入り浸り(伊佐利子)
夕月(ゆいづく)夜海すこしある木の間かな(茶話指月集)
花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや(藤原家隆)
去るもの追はず風鈴鳴りにけり(美濃部治子)
おひとつと熱燗つまむ薬師仏(高橋龍)
一輪に遠く一輪冬の梅(三ケ尻とし子)
形象への未練に歪む雪だるま(野間口千賀)
信心の薄きが巡る堂の闇(服部修一)
足首を誉められてをりこぼれ萩(祐森水香)
あと戻り多き踊りにして進む(中原道夫)
風活かし次に殺してヨットの帆(梅原昭男)
打水や平次が謎を解く時分(小沢昭一)
いやなことばかりの日なる寝酒かな(草間時彦)
病みて知る心の弱さ秋の暮(阿久沢双樹)
ハンカチや好も嫌も女偏(山岸文明)
高齢化バナナの皮と同化する(山沢壮彦)
仏蘭西へ行きたし鳥の巣を仰ぎ(菊田一平)
小春日の菩薩の腰の妖しめり(久富かつよし)
税重く財布の堅く春遠し(藤本泰三郎)
出るかと妖物をまつ夜長かな(高井きどう)
冷かに眼鏡の似合ふ妻となりぬ(村尾菩薩子)
菊白し安らかな死は長寿のみ(飯田龍太)
生ゴミの煩悩詰めて梅雨に入る(中村和弘)