(巻二十二)東京の殴られ強き男かな(桑原三郎)

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6月24日月曜日

月曜日の雨はいやなものだが、お陰様で今は在宅であります。そんな朝の9時ころ地震があった。今や愛局となったFM葛飾は「立石では震度2でした。」と伝えていた。これもシビレルなあ!

四ツ木立石葭切が鳴き湯屋あがり(宮津昭彦)

それに、大場久美子さんが番組を持っていることも分かりました。

写真は京成立石駅近くの飲み屋の路地。この辺りもついに再開発になるらしい?懐古趣味のある方は日が暮れてからの徘徊がよろしいでしょう。危ないということはないでしょう。あたしゃ入ったことありませんが。



顔友のギルバートさんは“訓”を垂れると云うか、訓をほぼ毎日紹介してくれる。
今日のは気に入って“いいね”をしておいた。

Our anxiety does not come from thinking about future, but from wanting to control it. (Kahlil Gibran)



昨日顔本に大島酒店で頂いた枇杷の写真と短文を載せました。押し付けは厭なので全面公開で出したのですが気が付いて“いいね”をして下さる方々がいらっしゃる。顔本には久しぶりの投稿です。生存確認ですね。



「中高年はつらいよ - 木村義徳(将棋八段)」文春文庫 89年版ベスト・エッセイ集 から

谷川二十六歳・羽生十七歳のころの話です。新進気鋭に中原名人が名人位を失い将棋界が激変していた時期のことのようです。
筆者の木村八段は醒めていて、

『 まず、日本の高度成長があった。つれてレジャー時代が始まり、その末端の将棋もブームに近く、ファンが急増した。四十年代のことらしい。ファンの数がふえると、そのレベルも上る。現在のアマトップはプロの中堅に接近し、ほかの世界と同じぐらいらしい。中にボランティアで少年に手ほどきをする人達が続出する。手ほどきの人のレベルが高いから、優秀な少年達が育ち、プロをめざす。
また、ファン急増のおかげで、プロの社会的地位も上ったから、両親も反対しない。否、積極的にすすめる。ちなみに、昭和三十七年生まれの谷川少年は五歳の時に将棋を憶え、小学校三年の時に、「将棋の名人になりたい」と綴り方に書いている。
プロ側もファンが増えたおかげで増収入となり、人員増加が可能になる。各主催紙が掲載料を値上げしてくれた。プロ将棋界では三段以下を奨励会(研究生)と言うが、ここに優秀な(将棋の)少年が多数集まり、互いに切磋琢磨して、さらに優秀な者のみが卒業する。
手ほどきがわるいために今の少年ほどではなく、また少数で切磋琢磨していた三十年前の卒業生より優秀なのは当然で、それが技術の進歩というものだろう。逆に、三十年前ならプロになれたレベルなのに、今だからなれないという青少年のなんと多いこと。隆盛の影の部分と言えよう。ほかの世界でも、高技術・高知識の時代に入っているので日本の社会問題と言えそう。
なお、「トシをとって弱くなった」とアマプロ中高年はよく言う。「ワシの若い頃は強かった」とも言う。そう思えばいくらかは気持はおさまるが、相手も弱かったから通用していたにすぎまい。最近は相手が強くなって勝ちにくくなったのだろう。「環境がわるかった」と主張した方がよいはずなのに、なぜか「強かった」と頑張る。これはもう喜劇だ。
要するに数が質を高めたのである。スポーツの世界では常識だそうだが、底辺が拡がるとピラミッドの頂点が高くなる。将棋界でもファンが増加して、プロのレベルをアップさせたのだ。アップのできない中高年がアップアップというわけである。』

と分析しています。

藤井聡太は単発現象なんですか?