(巻二十五)かうしては居れぬ気もする春炬燵(水田信子)

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(巻二十五)かうしては居れぬ気もする春炬燵(水田信子)

4月4日土曜日

(散歩と買物)

バスマットを敷物代わりにして暖房器具を載せている。そのバスマットが汚れたので交換用(敷物用)バスマットと角3型の封筒を買いに生協の上にある衣料品店と百均に出かけた。

どちらの店も混んでいた。盛り場に行かない分、地元の商業施設に人が集まるのだろう。

途中で見かけた路線バスもいつものように人は乗っていた。

いよいよ大変なことになってきた。

こうしてはおられぬと思っても何もできない。

死ぬときはこうありたいと詠んだ句は多い。

あたしには叶わないだろうが、

死ぬときは箸置くやうに草の花(小川軽舟)

というように静かな心持ちで逝きたい。

「日本一塩煎餅〈鉄道省事務官・石川毅氏の話〉 - 子母澤寛」中公文庫 味覚極楽 から

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「日本一塩煎餅〈鉄道省事務官・石川毅氏の話〉 - 子母澤寛」中公文庫 味覚極楽 から
塩せんべいの食いまわりをはじめてから、もうかれこれ三十年にもなった。九州から北海道とせんべい一枚食うためにずいぶん苦労もしてみたが、結局、これは江戸を中心の関東の物となるようである。京大阪から関西へかけては、見てくれの綺麗なものもあるけれども、要するに子供だまし、第一あの薄黄色いようなあの辺で使う醤油の匂いが承知しない。前歯でガリリッとかんで、舌の上へ運ぶまでに、めためたになってしまうようでは駄目なのである。舌の上でぴりっと醤油の味がして、焼いたこうばしさがそれに加わって、しばらくしているうちに、その醤油がだんだんにあまくなる。そして噛んでいる間にすべてがとけて、舌の上にはただ甘味だけが残るようでなくてはいけない。
この塩せんべい、日本国中、埼玉県草加の町が第一。噛んでずいぶん堅い、醤油も口へ入った時はぴりッとする位だが、そのうまみは、ちょっと説明が出来ない。舌の上へざらざらが残るの、噛んでいるうちにめためたになるのということは、決してないのである。近くの粕壁[かすかべ]もいい。これは流山あたりの醤油のいい関係も一つだと思っている。草加あたりになると父祖代々せんべいを焼いている家がある。それだから自然町に伝わった一種の焼き方のコツというようなものがあると見えて、むやみに焼けて焦げになっていたり、丸くあぶくのようにふくれ上ったりはしていない。
東京の塩せんべいにはろくなものはない。食べた後でみんなざらざらと舌へのこったり、歯の間へ残ったりする。芝の神明前に「草加せんべい」という看板が出た。草加の人が焼いているとのことだったが、やはり駄目である。むしろの上で干したせんべいは、焼いてもその香がついていていけない。やはり竹あみの上へ一枚一枚吟味したのでなくてはいけない。五反田駅の「吾妻」というせんべい屋は、まず東京では僅かに気を吐いている位のものだ。
塩せんべいで酒を飲むのはなかなかうまいものである。私はこれで「黒松白鷹」をやったり、「大関」をやったり、「銀釜」といろいろやってみたが、おかしなことに、一番ぴたりとうま味の合うのは広島から来る「宮桜」という割に安い酒である。もう五年ほどこの酒でせんべいを食っている。番茶でやるのもよろしい。しかしよく、煎餅を舌の上へのせて、そのままお茶をのむ人があるが、あれは却ってうまくない。せんべいはせんべいですっかり食べてその残りの味が舌の上で消えるか消えないかという時に、お茶をこくりとやるのである。これも上茶はいけない、味のあっさりした番茶に限る。
塩煎餅・カステラ・醤油

青木槐三君という私の友人がある。この人の引合わせで石川さんに逢ったような記憶がある。ただお話を伺うというだけでお目にかかったらしく、自然印象がはっきりしていない。ただ鉄道省の例の青羅紗張りの大きな机の前で、ずいぶん長い時間話し合ったような気がする。その時分の事務官は今の事務官とは事が違うが、石川さんは鉄道の制服ではなく、黒い背広を着ていられたように思う。今、どこかでお目にかかってもとてもわからない。
私は草加だろうがどこだろうが、塩煎餅というものは全く嫌いだし、お酒は一滴ものめないし、石川さんのお話の真髄は本当は味わい切れなかったかも知れないが、しかしそれだけにお話をそのまま素直に受入れて自分だけの判断のうま味を想像することが出来るから、その方が真実より、もっともっと幸福[しあわせ]かも知れない。自分では食べないが「草加煎餅はうまいんだよ」と、石川さんの話以来、本日まで盛んに他人に吹聴しつづけて来たのは事実だから、石川さんの話し方が本当にうまそうだったのだと思う。

幕末の頃の、長崎のカステラ広告に、カステラを薄く切り、わさび醤油で食べると酒の肴として至極上等だということが書いてある。現在われわれの見るカステラとは違っていたという話だが、実は私も試みにこれをやって見た。知合いの料理屋のおかみにそういって、食事の半ばに小さな一片をこれでやったが、ちょっといけるものである。酒の肴にしてはどんなものか、それは私にはわからないが、その後おかみの話に、ああでもないこうでもないと何か珍しいものばかり食べたがっているお客さんへこれを出すと、誉められますといっていた。
一度小壺に少し大きな賽の目に切ってこれを入れ、その上へくるみをとろとろにすって程よい量をかけて食後に出したら、どなたもカステラとはわからず「カステラのようなもんだが、うまい」といったという。おかみはくすくす笑っていた。

石川さんも醤油のことをやかましく言っているが、筆者も関西の醤油はとてもいただけない。京都へ行って滞在していて一番困るのは、うまい蕎麦が食えないことで、これは蕎麦その物がいかにうまくても、あの下地ではとても東京で育ったものには食べられないのである。戦争前四条の橋のところに「にしん蕎麦」というのがあって、あすこで辛うじて我慢をしたものだが、戦後は一度も京都へ行かず、ひたすらあの「にしん蕎麦」さんの健在を祈っている。
しかし関西の醤油を云々する前に、近頃は関東の有名品でもずいぶんひどくなったものがある。会社の経営がうまく行かなくて何にか薬品を入れるのだそうだが、これはいい豆腐へ生[き]のままかけて食べてみるとすぐわかる。びっくりするようにまずい。

(巻二十五)サルビアを咲かせて老後の無計画(菖蒲あや)

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(巻二十五)サルビアを咲かせて老後の無計画(菖蒲あや)

 

4月3日金曜日

 

(細君)

毎朝六時半に起き出す。お通じの時間が決まっているようで揺るがない。あたしとしても定時にゴトゴトし出すと今日も昨日と同じように始まったと安心する。

 

無表情同じ時刻に水を打つ(竹内宗一郎)

 

世の中が騒然としてきてあたしたちが罹患しないとも限らない。そこで布団を干しながら細君に今までのことについて感謝を陳べておいた。

しかし、細君の反応が小憎らしい。

「一回や二回じゃ足りませんよ。百回言いなさい!」だと。

 

女菩薩とまがふ妻居て懐手(吉田未灰)

 

(顔友)

顔友のゴンザロさんはジャズが好きだ。そのゴンザロさんが流行り病で亡くなっていくジャズプレーヤーの訃報をシェアーしてくる。毎日のように高齢の著名な演奏家が亡くなっていくようだ。

 

ブライトンのグループに入れて貰っているが、外出制限やパブなどの休業命令から一週間たち、メンバーからの投稿内容も落ち着いてきた。政治家の質も国民の質もやはり違うのか?

そういえば官房長官さんはあれを配ることを発表したとき恥ずかしそうにしていたなあ。あの方は悪い人じゃないようだ。

 

大マスク禍の元隠したり(安富耕二)

 

本日の句から、

 

サルビアを咲かせて老後の無計画(菖蒲あや)

 

自宅と年金にプラスして数千万円が流行り病の前の理想のようでした。

この世の中が傾くような、もしかしたら世の中がひっくり返るような、災厄のあとでも今までの老後準備が通用するのか?

制度はもつのか?お金の価値は変わらないのか?

荷風散人じゃないが、計画しても死んでみるまで分からない。

そしていつ死ぬのかが分からない。

 

それまではひっそりと、

 

稲妻や世をすねて住む竹の奥(永井荷風)

 

生きていくしかないし、ひっそりと生きていければそれはありがたいことだ。そして静かに世を去れればめでたいことであります。

 

荷風散人は敗戦で巨万の資産を失ったとはいえ、昭和三十四年(1958年)に孤独死したときに、

二千三百三十四万四千九百七十四円の預金通帳と現金を、バッグに持っていたという。餡パンが一個十円の頃の金だからすげえや!

「抜けきれぬ餓鬼根性 - 野坂昭如」中公文庫 風狂の思想 から

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「抜けきれぬ餓鬼根性 - 野坂昭如」中公文庫 風狂の思想 から

以前、「京の着倒れ」「浪花の食い倒れ」という言葉があった。衣裳道楽、食い道楽に身をうちこんで、そのためには家業傾いたって、知ったこっちゃないというわけだが、なんとまあすさまじい意気であろうかと、ぼくなどつくづく感心する。着たり食ったりは、さしあたって食欲を充たし、また、寒さしのげればそれでいいと、ぼくは考えていて、これは決してこれみよがしにいうのではなく、そういった楽しみ、倒れるまで美味を求めるという面が、まったく欠如しているのだ。
ほぼ同じ年齢に、小田実開高健小松左京がいるけれども、彼等は実によく食べる。食べるが決して食い倒れという、ややみやびやかな色合いはうすくて、どうも、今食っておかなきゃ何時餌にありつけるかわからないというような、切端[せつぱ]つまった印象が強い。小田実とつきあう編集者は、そのすさまじい食いっぷりにまきこまれて、みな胃をこわすそうだし、また、外国でさまざまな美味あじわう機会の多い開高は、ちょいとした食通ぶりを披露し、京都で顔の広い小松も、なんのなにがしと由緒ある料理につき、蘊蓄を傾ける。それぞれに、今や食のほそった現代において、貴重な存在であって、その食いっぷり見ているだけで楽しいが、決して食い倒れではない。
ぼく自身についていうと、まずレストランで、さっぱり見当のつかぬメニューながめている時間というものは、かなり苦痛であって、たいていはカレーライスか、あるいはビフテキに、エィャッときめてしまう。これではあまりにつまらないと考え、すると、ひたすら高価なものを頼む。たとえばフォアグラとか、キャビアを、べつだんその味がわかるでも好きなのでない、義務の如く注文し、だからひとかけら千円くらいの、珍味を舌にのせたところで、どういうわけでもなく、今、自分は、フォアグラを食べつつあるのだと、必死にいいきかせて、といって、フォアグラを食べることの自分を、うれしがってるわけじゃないし、まあ時々、さらに将来になって、どういう立場にいるにしろ、「そうそう俺も昔、レストランでフォアグラ食べたことがあったっけ」と、考えるのではないかと、ある予感めいたものを思うことはある。
地方へいけば、ハンバーグ、ライスカレー専門であって、これは、自分で好きなようにソースなり醤油なりジャブジャブぶっかけ、味ととのえるといえばオーバーだが、わが好みを生かせるからであって、何が苦手といって、その土地の名物料理ほどいやなものはない。大皿いっぱいに生きづくりというのかなんだか、鯛が眼をむいていたり、豪華な器に鮎がしょんぼり横たわっているのをみると、まったく箸をつける気がしないし、洋食のフルコースというのも、食べられぬ。
ぼくは、飯のかわりにウイスキーを飲んでいるとよくいわれるけど、これで一人でいる時には、お茶漬けやらラーメンやら、ばかみたいに食べているのであって、人と会う時に、まさか対談や座談会で、ライスカレーしゃくりつつしゃべるわけにはいかないから、やむを得ずウイスキーなど飲んでいるのだ。そして、相手が料理屋なりレストランの自慢料理を、「うん、これはうまい」とか、「これはシュンではないね」などというのを、猜疑心にみちてながめる。先方がはるか年長ならばそうでもないけれど、また育ちがよければ納得するのだが、いずれこれまで食うや食わずの連中の、鮎の塩焼きに、舌つづみ打つ姿など、どうも信じがたいのだ。そんなものより、ソースぶっかけたライスカレーの方がよくはないのかと、本心をたずねたくなる。
戦前、すでに大人だった方は、けっこう、当時のうまいものを味わっていて、料理の味についてのいくらかの基礎ができているだろう。しかし、ぼくくらいの年齢の人間といったら、まあろくなものは食べなかったはずで、しかも、それは味よりも、量であり、そして常にいつまた食べられるだろうかと、怯えつつの食事が長らくつづいたにちがいない。
うまいものを口にするチャンスがなかったということよりも、この、食事についての偏見、金を出せば食いものにありつけるという実感のないまま、少年多感なる時代をすごしたことが、ぼくなどを、味痴というか、うまいまずいあげつらうことを拒否させているのではないか。おいしいということばを発する時、いいようのない恥しさを感じるので、そんなことをいえた義理かと思ってしまう。だから、楽しく語り合いながら、ゆったり食事をするということがまったくできない。こっちの好みのラーメンやライスカレーを食べる時は、ただもう、だまりこくって、前後不覚に口にほうりこみ、米粒一つ汁一滴あまさずにおさめて、まず早食いの点では人に劣らない。まさにわきめもふらずに食べて、食べ終った後、必ずもういっぱい注文するかなと、考え、さすがに自制するけれど、ひどく中途半端な気持というか、満腹感はない。ああよくくった、うまかった式の、満ち足りた気分にはいたらないのだ。
食ってる時だけがしあわせで、食べ終ると不安になるというのは、べつにぼくだけのことではないだろうが、また考えると、どうもこの食欲というえたいの知れないものに、ぼくは復讐しているような気味もある。かつて、あれほど食いたい食いたいとねがっていて、そのねがいをかなえてもらえなかった。だからといって、食物にあたるのは筋ちがいかも知れないが、今、妙にきらびやかな姿で、さあ食べて下さいといわれたって、どっこい食ってやるものかと、憎しみを感じているゆうな面がある。これみよがしに料理が媚態しめせばしめすほど、そっぽむきたい気持が起るのである。
多分、食い倒れなどというのは、先祖代々うまいものを食べて、もはや食べる楽しみとか、食欲とかの実感のうすれた連中が、食べるという行為とはかけはなれた、むしろそのことに自分の存在をかけるような気持で、天下の珍味を求め、高いから少いからこそうまいのであると、自分にいいきかせつつ、家業かたむくのもいとわなかったのだろう。こういった類いと、小生の如く、一種の餓鬼根性からまだ抜けないものと、どっちが幸せかわからないけれど、こっちはまだ先があるから希望がもてる。生命長らえていれば、ある日こつぜんとして、一匹の鮎の姿に全財産うちこんでも、あるいは明日死んでもいいから口にしたいと考えるかも知れない。メニューやショウウインドウをながめ、それだけで至福の境地味わうことができるかも知れぬ。もっとも、それより前に栄養失調で「食わず倒れ」になる可能性が大きいけれど。

(巻二十五)日脚伸ぶ指しては戻す詰め将棋(漁俊久)

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(巻二十五)日脚伸ぶ指しては戻す詰め将棋(漁俊久)

 

4月2日木曜日

 

(散歩と買物)

 

風は強いがまだ本格的な花吹雪にはなっていないようだ。コンビニの外のベンチで珈琲を喫した。

 

花吹雪あびて振り切る恋もあり(平松うさぎ)

 

珈琲ができるまで側にある新聞ラックの見出を眺めたが、まったくよろしくないなあ。

 

ぴったりとしめた穴だらけの障子である(尾崎放哉)

 

細君も朝一で買い物に行ったが、玉ねぎだとかジャガイモだとか、あたしにも買える重い物のは午後あたしが買い物を受け持っている。新ジャガと新タマを篭に入れた。

 

生協は閑散としていて、買い物客は老人たちだ。介助者に車椅子を押してもらい買い物を篭に入れてもらっている老女がいたがお金はご自分で支払機に苦労しながら入れていた。

 

生きている限り、お金は大切だ。

 

緑なす松や金欲し命欲し(石橋秀野)

 

(読書)

 

「後家 - 別役実ちくま文庫 思いちがい辞典 から

 

《後家というのは、一種の社会的な身分のことである。そして、あからさまにそうは言われていないものの、当の女性にとっては、かなり理想的な身分と考えられている。女性にはすべて、「結婚願望」というものが潜在していると言われているが、実はそれ以前に「後家願望」があることが、今日社会学者の調査によって明らかになりつつある。つまり、彼女たちの「結婚願望」は本来「後家願望」なのであり、ものの道理として「結婚」しなければ「後家」になれないから、それがたまたま「結婚願望」として表明されているにすぎないのだ。

従っておおむねの女性は、早いものでは結婚した翌日から、「いつ後家になれるかしら」と考えはじめる。もっと人生に対して積極的で、計画的な女性は、「いつ後家になろうかしら」と考えはじめる、とまで言われているのだ。それほど、「後家はいい」のである。ただし、時々酒場の片隅などで、決して紳士とは言えないような中年男性が、「後家はいいよ」と言っているのを聞くことがあるが、これは意味が違う。この場合は、それら中年男性の性的対象として「後家は味わい深い」ということを言っているのであって、当の「後家」にとっての身分のことを言っているのではないからである。そして、当の「後家」にとっての「後家はいい」という意味など、中年男性には想像もつかない。つまり、それほど「いい」のだ。》

 

後家はいいんですか?後家は知らずに終わりそうです。

 

終わりたいわけではないけれど、死ぬときは苦しまないようにして貰えませんでしょうか?

 

思い残すことは今のところございません。最後の半年近くを世間との係わりを持たずに静かに過ごせたことは幸せでした。最期に食いたいものもこれといってございません。

 

麗や女々を顧る(青木月斗)

2/2「ポスト大衆社会論の構図 - 上野千鶴子」ちくま学芸文庫 〈私〉探しゲーム(欲望私民社会論) から

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2/2「ポスト大衆社会論の構図 - 上野千鶴子ちくま学芸文庫 〈私〉探しゲーム(欲望私民社会論) から
 
第三は、「大衆社会」はほんとうに変わった、とするものである。そのうちの一つが一種の発展段階説だ。高度成長期までは消費のレベルが低く、人々は「人なみ化」をめざして消費財のスタンダード・パッケージをそろえるのにせいいっぱいだった。「三種の神器」から三Cという言葉は、誰もか「隣と同じ」ものを欲しがった時代を象徴している。ところが基礎消費財がひととおり行きわたったあと消費が高度化してくると「隣とちがう」ものに対する差別化要求が生まれてくる。したがって、「消費者の多様化」は付加価値の高いぜいたく品や「余裕財」のレベルで生じ、必需品や基本財ではあいかわらずマス・マーケットは健在であるという説が出てくる。この議論だと、消費のレベルさえずらせば、「大衆・小衆」ともに健在である、という何となくケンカ両成敗みたいな意見になる。
消費の高級化にともなう差別化の進行、という考え方は、一種の大衆社会論の発展段階説である。この考え方では、基本的に「大衆社会は終わって」いない。それはただ、新しい水準に到達しただけである。その中で「消費者」はたしかに「変貌」している。つまり「個性化」「多様化」しているのである。
平準化の中の差異化、横ナラビ差別化の中のさまざまな「差異の戯れ」 - ポストモダニストが聞いたらいかにも喜びそうなこの爛熟大衆消費社会論を、私も一時支持していた。
ところが小沢雅子さんは『新「階層消費」の時代』(日本経済新聞社、一九八五年)の中で、この「横ナラビ差別化」説に挑戦する。
「個性的高級化説の方が強力であれば.....依然として大衆消費時代が続き、そのなかでライフ・スタイルが多様化している、と説明できる。.....一方、階層分化説の方が強力であれば、大衆消費時代は終了し、.....一種の階層消費時代に転換しつつある、という解釈が成立する。」(小沢、前掲書、二一一頁)
小沢さんは「消費者は変わった」という事実を綿密なデータによってあとづけながら「個性化」説を否定し、「階層分化」説を支持する。つまり、大衆社会はたしかに変わった、が、それは平準化の時代が終わったことを意味する。「大衆」に代わって登場したのは、たんなる「小衆」ではなく、実は「階層」だった、と彼女はいうのである。
そう言えば、渡辺和博さんとタラコプロダクションの『金魂巻』(主婦の友社、一九八四年)がひきおこした丸金、丸ビブームや、森伸之さんの『東京女子高制服図鑑』(弓立社、一九八五年)への関心、昨今の「お嬢さま」ブームなどは、「身分ちがい」への社会的関心の高まりを表わしているように見える。田中康夫さんは、みんながリッチになったから「お嬢さま」ごっこなどやって差異を戯れてるだけさ、と言うが、ほんとにそうだろうか。
たとえば制服は、ファッションのタコツボ化現象とはちがう。コムデの服なら誰でもお金さえ出せば買える(商品の前の万人の平等!)が、制服はその気になりさえすれば誰にでも着れる、という手合いのものではない。家柄、教育歴、親の経済力やポリシーなどがあいまって、あの子はフェリスに、この子は東洋英和に送りこまれる。「お嬢さま」もそうだ。誰でもインゲボルグの服を着れば一見「お嬢さま」風には見えるが、ほんものの「お嬢さま」には、本人の意志と能力でなれたりはしない。「お嬢さま」にはどうしたらなれるか? - 「お嬢さま」になるには丸金の家に生まれてくるしかない。つまり差はオヤの代からついている、のである。
小沢さんの説は、これまでの資産形成の差が現在の可処分所得に響いてくるというものだが、この差は親の代から子の代になってますます開いてくる。「大衆社会」というのは「大衆民主主義社会」であって、誰でもその気になれば隣の人と同じになれます、という平準化の原理が、競争社会をあおってきた。一九世紀のトックヴィルの洞察以来、民主主義というものは不可避的に敗者のルサンチマンを生むと相場が決まっているが、しかし現代の競争社会は、ほんとうにルサンチマンを生んでいるだろうか。
人は、自分が到達できるものしかうらやまない。差が開きすぎると、もはや羨望の対象にもならない。身分制社会の中では、百姓は武士を羨んだりしなかったものだ。逆に言えば、百姓が武士をうらやみ始めた時から「近代」は始まった。しかし、現在、民主的な競争社会の典型であるはずの学校を支配しているのは、偏差値身分制の中の「分相応」意識だ。子どもたちは小さい時から序列に慣らされているように見える。上を見れば何人、下を見れば何人、全体の中に置かれた自分の相対的な位置を、くり返しくり返し思い知らされる。彼らは自分より序列の低い者をバカにするが、だからと言って、自分より序列の上の者を必ずしもうらやまない。「あいつトーダイだって。トーゼンだよな。オレたちとはちがうもんな」と納得する学生の心理には、背伸びしてもしょせんは手の届かないものは、はなから望まないという「分相応」意識がある。しかも教育はこれまで大衆社会の平準化リクルート機関だったが、今日では偏差値序列と教育投資のかけ方とが相関していることぐらい、誰でも知っている事実だ。
ダニエル・ベルは今から十年以上も前に『脱工業社会の到来』(内田忠夫訳、ダイヤモンド社、一九七五年)の中で、ポスト産業社会は「新しい階級社会」だと予言している。「大衆社会の変貌」は、近代=産業社会という時代が終わったことを示しているのだろうか。だとしたら、「みんな一緒」になれるという平準化の夢を見た「大衆の時代」とは、つかのまの歴史のうたかただったということになる。情報や空間のような公開性や公共性が前提されてきた資源についてさえ、今井賢一さんの言う「クラブ財」(特定の閉じられたサークルの人々にだけ開かれた財)という概念が成り立つ時代である。このままで行くと、カルチャー、テイスト、交際圏、通婚圏等々がまったく重なり合わない集団が、いくつもセグメントされてくる可能性がある。
ところでこの「ポスト大衆社会」はいい時代なのであろうか?ある意味では、攻撃性と競争の少ない「平和な時代」だとは言える。今西錦司さんの言う「棲み分け」型共存社会に似ている。この「平和」が、安定か抑圧かはべつ問題だ。
いずれにしても大衆社会の変貌に直面して、社会科学者にはその変容をとらえる有効な枠組が要請されているし、他方で「大衆」には、「どの大衆」になるのかを選ばなければならない、分解と再編の時代が訪れているのだ。

(巻二十五)無駄足と云はず乏しき梅を見る(小路紫峡)

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(巻二十五)無駄足と云はず乏しき梅を見る(小路紫峡)

 

4月1日水曜日

 

(桜)

花は今日で見納めか?外出せず。

 

散らば散れ花こそ春の物狂(正岡子規)

 

宮藤官九郎氏も罹患したと報道されていた。記事によれば、同じような基礎疾患があるらしい。

 

誰もみなはじめは風邪と思ふらし(加藤静夫)

 

長生きをしたいわけではないが、苦しみたくはない。眠るが如くが願いだ。動向注視。

 

(食事)

今日は“プレ・コロッケ”というおかずで夕飯を戴いた。

一ト月に一二回出てくる料理ですが目先が変わるので嬉しい献立です。

コロッケの前にプレがついた料理ですから、コロッケの前、揚げていないコロッケの様な代物です。賽の目に茹でたジャガイモを軽く突き崩し、電子レンジでしなやかにしたキャベツの細切りの上に載せ、ジャガイモの上に炒めた挽き肉を載せた料理です。

コロッケを揚げないのですから、手抜き料理と云えば手抜き料理ですが、

 

https://s.recipe-blog.jp/search/?keyword=%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B1

 

と世間で認められているようです。

 

献立の手抜問はれし花疲れ(岡田順子)

 

(懐具合)

三月にいくら小遣いを遣ったか?一万八千円くらいであります。明らかに無駄使いというのは駄菓子と寝酒であります。飲食店での酒食は一切ありませんでした。スイカ五千円、電池五百円、床屋千円が目立ったところですが、必要な支出でしょう。電池はICレコダー用ですので文化・教養費ですね。

予算をかなり下回った健全な懐具合ですが、旨いものが分からないがと云う貧相なあたしを浮き彫りにしているとも云えますな!

 

(顔本)

政党所属の知人から振り込まれて顔友に承認したが、政治的なメッセージばかりが送り付けられてくる。ご本人は好人物なのだが、メッセージは不愉快なのでフォローを止めた。顔本の嫌なところである。

そこへ行くとブログは罪が少ないのではなかろうか。少なくとも貼り出してはいるが押し付けはしていないと思う。