(巻二十九)伏す鹿の耳怠らず紅葉山(小島健)

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(巻二十九)伏す鹿の耳怠らず紅葉山(小島健)

4月23日金曜日

朝、雀が賑やかである。ミカンの葉に小さなまだ黒い芋虫を2匹認めた。世の中に出て来てしまったのか。と云うか、そう云うことにされてしまった訳だ。

非常なる世に芋虫も生れあふ(百合山羽公)

散歩は高校コースで買い物は林檎。本日は四千歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。

「眠れぬ夜 - 大佛次郎」日本の名随筆34老 から

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「眠れぬ夜 - 大佛次郎」日本の名随筆34老 から

若い人達の一度横になったら醒めない深い睡眠は如何にも健康で頼もしいものである。私達の年齢になると、夜なかにふとした工合[ぐあい]で目が醒めて了い、睡たくても暫く睡れないことがある。
起きて、あかりをつけて本を読み始めればいよいよ目が冴えて睡れなくなるのだから、私は暗闇の中で、じっとしていることにする。何かを考えているのである。悪いことには、そう云う時は、自分がして来たことで、しまったなあと思った悪いことばかり泛[うか]んで来て、自分を責めることが多い。つくづくと自分が馬鹿に見えて来たり不勉強で出来の悪い人間に思われて来る。自分に在る欠点ばかりが見えて来るのである。そう云う眠れない晩は、つらい。五十何年も生きて来て見ると、実に数多くの失策や、しなくてもよかった軽率なことをしているものである。これは私だけのことだろうか。
ほかの時には、もう死んでしまった友人のことを考えることもある。二十年も前に別れた両親のことを思い出すこともある。また、自分のまだ小さかった頃のことを、記憶をたどって見ることもある。人間のさまざまの思い出は、年とともに遠ざかりがちのものだ。赤ん坊の時分は何もかも夢中で暮らしていたと見えて、記憶の痕跡が残っていない。私の思い出で一番古いものは、五歳ぐらいの時のものであろう。それも普通で平凡な日々のことは忘れて了って、特別な出来事のことだけを覚えている。躯が弱かったので健康法として無理に灸をすえられたことだの、使いに行く女中に附いて行って煉瓦の道で転んで、おでこを切って血が流れ、近くの八百屋の店で銅[あか]のかなだらいに水を貰って洗ったり冷したりして、無論、大泣きに泣いていたことだのである。怪我をしたと云うような特別な事件だったから、現在もよく覚えているのだろうが、その八百屋の店にあった人参や菜っ葉の色まで、はっきりと、頭に残っている。正月にすぐ上の兄が家の前で凧を揚げてくれたのが門松の竹にひっかかりそうに成るので、母親の口真似だったろう、思わず、南無阿弥陀仏と云ったら、馬鹿と云って兄に叱られて、子供ごころにひどく羞しかったことも覚えている。気が弱く生れていたせいか、稚ない日の記憶で今日まで残っているのも、自分を羞じたり泣いたりしたことばかりである。面白かったと云うことや楽しかったと云うことは、妙に、覚えていない。これは、その後についても同様である。暗闇にひとりで目醒めて起きていると、思想も夜の色に染って了うせいだろうか。悔やむことや羞じ入ることの代りに明るい記憶ばかり泛カんで来るのだったら、睡れぬ夜も如何に楽しいことだろうか。
自分の手がけている劇作の仕事や、勉強の計画のことだけを思い詰めて起きている晩もある。その時は、流石[さすが]、苦しいにしても気力が静かに湧いて来るのを覚えていられる。窓の外がいつか白み始め、近くの鶴岡八幡の暁の太鼓を打つのを聞くまで、目をあいていることもある。雀が喋[しやべ]り出で、朝日が、松の枝の高いものから順に照らし出す。新聞の配達らしい地面を走る足音が路地を入って来る。夜は立ちのいて行ったのである。しかし、仕事も勉強も、志[こころざ]すどおりに押しとおす為には怠りがちの自分に鞭打たねばならぬ。これは昼間のことである。睡れぬ夜を楽しくする為に光のある昼の間を悔いなく生きねばならぬ。そう思いながら私は怠けたり、ぼんやりと庭を見て坐っている。

 

 

(巻二十九)初生りの蜜柑初生りらしきかな(梅村文子)

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(巻二十九)初生りの蜜柑初生りらしきかな(梅村文子)

4月22日木曜日

床屋に行く。安い床屋にした。さっさと刈って10分くらいで終わってしまう。帰りにサンドウィッチと食パンを買うためにコンビニと食品店に立ち寄った。サンドウィッチはコンビニの方がよろしく、食パンは食品店に分がある。最寄りの生協にサンドウィッチがないのでこういうことになる。手造りパン屋が距離的には最も便利だが、そこのサンドウィッチはかなり割高感があり、それほど旨いわけでもない。“高級食パン” sour dough breadとか云うものは家風に合わない。

昼飯どきの会話で昨晩のNHKラジオの上野千鶴子さんの対談番組が話題になった。女史はここのところ介護保険を利用した在宅介護関係の著作で注目を集めているとのことだ。細君から女史の話を伝え聞くに「ピンピンコロリはなかなか当たらない」そうだ。

散歩は図書館までと致した。午前中の床屋と合わせて四千八百歩となり階段は3回でした。

郵便受けを開けると振込の通知が来ていた。ありがたいことであります。

昨晩、上野千鶴子さんの対談を聴いた細君は今宵は“スピッツ”の二時間番組を傾聴・寝聴している。

願い事-叶えてください。ありがたいうちに、できれば当たりで、軽くおさらば致したい。

ラムネ玉ころんと死んでみたきもの(馬場龍吉)

(巻二十九)もったいないが今も信条終戦忌(深井怜)

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(巻二十九)もったいないが今も信条終戦忌(深井怜)

4月21日水曜日

細君は眼科へお出掛け致した。お出掛けに当たっては御召し物の取り合わせに時間がかかる。一度支度が調ったあと、“上から下まで水色系統でおかしいわね”と云って御召し換えしていた。しかし、“なんでもいいわ”と云うよりも身なりへの意識はあった方がよいのだろう。

常食となった非常食で昼飯を済ませた。2時近くなっても戻らないので「だいじょうぶですか?」とメールを入れたら直ぐにドアのベルが鳴り帰ってきた。

散歩には3時ころから出掛けた。先ず図書サービスカウンタ-で4冊受け取る。そこから駅下のマーケットに回り夕食の足しにする海苔巻き一本とお稲荷さんを2個買う。ついでに惣菜を見てきてくださいとのことだったので3軒ほど下見をした。野菜の炊き合わせのようなものが所望のようだが、どうしてもうま煮のようなコテコテした物になる。私としては中華弁当屋の惣菜など旨そうに見えるのだが細君の好みではなかろう。我が事を棚にあげて辺りを見れば、駅前の人出は多い。駅前の花壇を一撮しバスに乗って帰宅した。

本日は四千四百歩で階段は1回でした。

帰宅後、洗濯をした。

「眠れぬ夜 - 大佛次郎」日本の名随筆34老 から

を読んでいるが、

《私達の年齢になると、夜なかにふとした工合[ぐあい]で目が醒めて了い、睡たくても暫く睡れないことがある。

起きて、あかりをつけて本を読み始めればいよいよ目が冴えて睡れなくなるのだから、私は暗闇の中で、じっとしていることにする。何かを考えているのである。悪いことには、そう云う時は、自分がして来たことで、しまったなあと思った悪いことばかり★[うか]んで来て、自分を責めることが多い。つくづくと自分が馬鹿に見えて来たり不勉強で出来の悪い人間に思われて来る。自分に在る欠点ばかりが見えて来るのである。そう云う眠れない晩は、つらい。五十何年も生きて来て見ると、実に数多くの失策や、しなくてもよかった軽率なことをしているものである。これは私だけのことだろうか。》

を読み、とても同列には考えられない大家の述懐ではあるが、ホッとするところもある。

願い事-叶えてください。荷風の件の件を読み返して寝る。

(巻二十九)行き行きてたふれ伏すとも萩の原(河合曾良)

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(巻二十九)行き行きてたふれ伏すとも萩の原(河合曾良)

4月20日火曜日

朝一で、細君が“今日は穀雨”だと教えてくれた。

穀雨かな世の一隅に安らぎて(松本文子)

羨ましい心境ですね。なかなか安らげない。

BBCで、

CrowdScience20200113 How can I beat pain

を聴いた。その終盤37分44秒あたりで“live in the moment”が心の健康、痛みの緩和によろしいと言っていた。その日その時を生きよと言うわけだ。

今日はトレーナーを着ないで散歩したが、それでも暑いくらいだ。コースはコンビニで珈琲、図書館で返却、生協で買い物である。このコースだと歩数が伸びないので所々で遠回りをしながら歩いた。

本日は四千三百歩で階段は2回でした。

「西瓜 - 永井荷風新潮文庫文人御馳走帖(嵐山光三郎編)から

を読み終えた。

《一たびは旅行免状をも受取り、汽船会社へも乗込の申込までしたことがあった。その頃は欧洲行の乗客が多いために三ヶ月位前から船室を取る申込をして置かねばならなかったのだ。わたくしは果してよくケーベル先生やハーン先生のように一生涯他郷に住み晏如[あんじよ]として其国の土になることができるであろうか。中途で帰りたくなりはしまいか。瀕死の境に至っておめおめ帰りたくなるような事が起るくらいならば、移住を思立つにも及ぶまい。どうにか我慢して余生を東京の町の路地裏に送った方がよいであろう。さまざま思悩んだ果は、去るとも留るとも、いずれとも決心することができず、遂に今日に至った。》

願い事-叶えてください。

(巻二十九)芋虫の逃げも隠れもせぬ太さ(本間羊山)

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(巻二十九)芋虫の逃げも隠れもせぬ太さ(本間羊山)

4月19日月曜日

鉢植えのミカンが満開です。ほのかに香っております。

家事は洗濯で、毛布も干した。礼服の風通しを予定していたが、やや風が強く、見送った。

散歩は小一時間ほど二丁目を歩き、生協で胡瓜、パン、牛乳などを買って帰った。煎餅を買おうか迷ったが、寝しなに煎餅などを食うと渇きで安眠に宜しくない。止めた。

本日は四千四百歩で階段は2回でした。

「西瓜 - 永井荷風新潮文庫文人御馳走帖(嵐山光三郎編)から

を読んでいるが、旧仮名ではないのでちょっとなんですな。

叶えてください。

(巻二十九)黴なんぞ一吹きで済む世代なり(原田達夫)

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(巻二十九)黴なんぞ一吹きで済む世代なり(原田達夫)

4月18日日曜日

4部屋の掃除機がけを済ませてから散歩に出かけた。午前中に散歩をすると午後は昼寝になってしまう。夜のことを考えるとあまりよろしくないのであるが、今日も午後は天気よくないらしい。

コンビニで珈琲を喫し、生協で米2キロを買って帰る。風が出てきた。

本日は四千歩で階段は2回でした。

朝日俳壇:

解る句は面白くない。解らないくは難しい。

諦めの早さが取得大朝寝(あらゐひとし)

を書き留めた。

持てあます西瓜ひとつやひとり者

で始まる、

「西瓜 - 永井荷風新潮文庫文人御馳走帖(嵐山光三郎編)から

を読み始めた。3分の1辺りに以下の一文がある。

《 大正十二年の秋東京の半[なかば]を灰にした震災の惨状と、また昭和以降の世態人情とは、わたくしのような東京に生れたものの心に、釈氏の謂[いわ]ゆる諸行無常の感を抱かせるに力のあった事は決して僅少[きんしよう]ではない。わたくしは人間の世の未来については何事を考えたくない。考えることはできない。考える事は徒労であるような気がしている。わたくしは老後の余生をぬす[難漢字]むについては、唯世の風潮に従って、其日其日を送りすごして行けばよい。雷同し謳歌して行くより外には安全なる処世の道はないよいに考えられている。この場合わが身一つの外に、三界[さんがい]の首枷[くびかせ]というもののないことは、誠にこの上もない幸福だと思わなければならない。》

諦観ですね。余計なことを考えずに日々を生きよということだ。愚考の渦を作らない心掛け、Ruminative thinkingを発生させない訓練だな。

叶えてください。安眠とその延長としての永眠を。