巻三十一立読抜盗句歌集

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巻三十一立読抜盗句歌集

日の丸を掲げる勇気大旦(松岡耕作)

もはや子に歩を合せ得ぬ残暑かな(木村進)

洋梨の疵を向こうに向けて置く(池田澄子)

学友の頃なる夫の書を曝す(山田弘子)

熟柿皆承知年貢の納め時(高澤良一)

吊し柿こんな終りもあるかしら(恩田侑布子)

鰯雲昼のままなる月夜かな(鈴木花簑)

小説を書きたくなりぬ枯木宿(吉野佳一)

いいやうに顎でつかはれ年の暮(西村政弘)

はばからず絨毯踏んで値踏みせり(遠山保子)

目論見のはずれて海月浮きにけり(新井保)

大暑には頭使はぬコップ拭き(高澤良一)

落第ははじめて聞きし顔をする(吉本満里子)

月並の句をな恐れそ獺祭忌(だっさいき)(茨木和生)

なかなかの悪さをしたり源五郎(小島健)

襟巻の紅きをしたり美少年(尾崎紅葉)

がつくりと暇になる日の永さかな(嵐雪)

農はじめラジオに電池入れ替へて(松倉ゆずる)

本人が百も承知で落第す(三村純也)

朝顔の勝手許さぬ鉢仕立(高澤良一)

レールややはずれて生きておでん酒(古田保子)

月天心どこかできまりいる運命(岡本差知子)

悩みあり胃の腑騒がし夏蜜柑(丸丘遥)

目高来る驚きやすき影連れて(小澤克巳)

受験子の言葉少なに戻りけり(梅田實三郎)

志望校八つまで書ける受験絵馬(高澤良一)

冬萌や古地図にのこる船問屋(神尾久美子)

歩みゆく秋日ゆたけき武蔵野に朝黄斑蝶(あさぎまだら)の旅を見送る(上田国博)

書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎(篠弘)

水鳥のあそぶは水の湯気の奥(長谷川櫂)

マフラーに不実の口を埋めにけり(小坂明美)

分け合へば足りるはずで木の芽和(無着成恭)

昨日より今日は悲しく聞えけり明日また如何に入相の鐘(落合直文)

へらへらと生まれ胃薬風邪薬(瀬戸正洋)

乞ひに来ぬかけ乞ひこはし年のくれ(北枝)

お茶漬けの味の夫婦や冬ぬくし(細井新三郎)

福達磨買うて社長と呼ばれけり(山田圓子)

羊煮て兵を労ふ霜夜かな(召波)

セーターに齢は問はぬジャズ仲間(山田弘子)

ジーンズの立派な穴へ青嵐(櫂未知子)

瀧しぶきセーラー服の一団に(鈴木鷹夫)

紙袋より絢爛の水着出す(藤田湘子)

台風待つ声いきいきと予報官(片山由美子)

づぶ濡の大名を見る炬燵哉(一茶)

日盛りの都庁はやはり居丈高(大牧広)

水鳥の水より早く暮れにけり(紙田幻草)

小鳥来る時にピースと鳴きながら(赤松ともみ)

不用意の発言悔やむ会議後は足浸したし冬の潮に(長尾幹也)

爺さんとふいに呼ばれたその日から始まりました爺さんの日々(山崎波浪)

ここぢやあろ家あり梅も咲いて居る(正岡子規)

秋空や高圧線に技士九人富永琢司)

春寒く虚空に燃やす化学の火(西岡正保)

ものの芽や十指情濃きギタリスト(吉次薫)

大寒や見舞に行けば死んでおり(高浜虚子)

男根は落鮎のごと垂れにけり(金子兜太)

白金のご飯黄金の寒卵(日下光代)

葛飾や江戸をはなれぬ凧(いかのぼり)(宝井其角)

冷酒やすわりの悪い椅子である(小林実)

娼婦等は首から老ゆる春の午後(対馬康子)

鳥の名を少し覚ゆる年とせむ(高澤良一)

経験の多さうな白靴だこと(櫂未知子)

あんみつの餡たつぷりの場末かな(草間時彦)

見送るも糸は手にあり凧(いかのぼり)(横井也有)

葛飾はかはほりの町川の町(中嶋秀子)

メモになき物ひとつ買ふ春夕べ(宮田正和)

風流のはじめや奥の田植歌(芭蕉)

呼び出してくれる人あり翁の忌(青山丈)

引越の本意は言はず花貝母(芦刈晴子)

不可思議てふ数の単位や銀河濃し(笠ののか)

八卦見の含み笑ひやそぞろ寒(石川友之)

人の世話やかぬときめて春嵐(檜紀代)

不揃いのクッキーが好き小鳥来る(原田愛子)

秋の夜の漫才消えて拍手消ゆ(西東三鬼)

割り算の余りの始末きうりもみ(上野遊馬)

夕顔やろじそれぞれの物がたり(小沢昭一)

老いて尚芸人気質秋袷(高浜虚子)

背のびして羽ふるはせてうぐいすの(瀧井孝作)

天井扇ゆっくりリリー・マルレーン(花谷清)

掛乞は待つが仕事と煙草吸ふ(小西須麻)

間取図のコピーのコピー小鳥来る(岡田由季)

何事も筋を通して寒に入る(大久保白村)

箸で食ふ体育の日のパスタかな(田中喜翔)

書を読みて夫婦語らぬ夜長かな(大内純子)

方言の滑りよろしき新酒かな(中原伸二)

鳴きすぎて鈴虫外へ出されけり(宮澤眞砂美)

メール閉じ一日終る秋深し(吉住外茂夫)

梅雨寒や外に追はれて煙草吸ふ(加藤昌親)

間取図のコピーのコピー小鳥来る(岡田由季)

何事も筋を通して寒に入る(大久保白村)

箸で食ふ体育の日のパスタかな(田中喜翔)

書を読みて夫婦語らぬ夜長かな(大内純子)

方言の滑りよろしき新酒かな(中原伸二)

鳴きすぎて鈴虫外へ出されけり(宮澤眞砂美)

メール閉じ一日終る秋深し(吉住外茂夫)

梅雨寒や外に追はれて煙草吸ふ(加藤昌親)

鳥渡る歪む三角たてなほし(蓬田紀枝子)

チューリップ花びら外れかけてをり(波多野爽波)

旅にして戎祭と知る人出(高柳和弘)

前世には猫なりしかと思ふまで猫が好きにて猫に好かるる(坂本捷子)

箱根こす人も有るらし今朝の雪(芭蕉)

半夏生ピザの具手を替え品を替え(高澤良一)

己が傷を舐めて終りぬ猫の恋(清水基吉)

余りにも一所懸命みずずまし(橋本栄治)

夏の月あらしのあとの余り風(藤田あけ烏)

年立つて耳順ぞ何に殉ずべき(佐藤鬼房)

定期券齢いつはり四月馬鹿(加藤和子)

花の咲く木はいそがしき二月かな(各務支考)

晴耕雨読の鎌の錆びつく半夏雨(井上あい)

どちらかと言へば猫派の日向ぼこ(和田順子)

身の丈のカーテンを引く世紀末(摂津幸彦)

鳴くまでの手順を踏みて法師蝉(高澤良一)

下萌や警察犬は伏して待つ(岡野洞之)

(巻三十二)素袷やそのうちわかる人の味(加藤郁乎)

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(巻三十二)素袷やそのうちわかる人の味(加藤郁乎)

1月2日日曜日

健やかに安眠いたし、記憶に残るような夢は見ずに目覚めた。よかった、よかった。

初夢や金も拾わず死にもせず(漱石)

よい夢も悪い夢も要らない。「何事もないのに越したことはない。」というところまでに枯れてきたわけだ。

枯れどきが来て男枯る爪先まで(能村登四郎)

今日から巻三十二になりました。巻三十一は後ほど一挙掲載いたします。

午前は掃き掃除と洗濯をいたす。昨日は風が強く、今日は曇りで毛布が干せない。陽の温もりが残る毛布にすべり込むの嬉しいものだが、暫くは味わえないかも?

昼飯はきな粉餅とおせち。

午後散歩。風がなく寒さも少し和らいだと感じる。月初めでもあるので、蓮光寺さまに初詣いたす。御先祖さまの墓参りに訪れている家族が見受けられる。ご立派!

掲示板は一撮の通り。蓮光寺から曳舟川を遡って線路下まで歩き、Beansの中を通って北口へ抜けた。Beansの魚屋、八百屋など通常営業。和幸、上海灘、他のお弁当屋さんもやっていた。今日は日曜日でモツ吟が1時ころから店を開けている筈なので覗いてみた。やっていてそこそこ客が入っていた。

駅前の人出はそれほどてもないが、顔本によれば香取神社に参拝者が多く、列はアリオまで伸びているとか。

今日は新道を通って帰宅したが、途中のアパートの前にはゴミが出してあり、それをカラスが突っついて汚ならしく散らばしていたが、カラスが悪いとも云えまい。

夕食は牛肉を焼いたものを大根おろしで頂いた。

願い事-生死直結で叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。

新しき日記に先ずは記しておく

延命措置はしないでください(大見宜子)

耳学問

BBCのCrowdScience12月31日の放送は以下の番組で

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct1prk

“How do you like your egg in the morning”というタイトルだ。鶏の卵についての質問をまとめて取り扱っている(おまけにカッコーの卵の寄生的な産み付けのことが最後の方で扱われている)。例えば、卵は洗うべきか否か?米・加・日などが洗う派で英・欧・南米・アジアは洗わない派だそうだ。洗うことの利点、洗わないことの利点が科学的に語られているらしい。表現として書き留めたのは初めから50秒あたりの“chicken and egg problem - causality dilemma”である。いずれにしても聞きかじった段階でこれからしっかりと聞き取り、書き取りしていくことにする。

冬晴や醤油をはじく目玉焼(彌栄浩樹)

帳付:

記事に無難な物がなく読まず。政治・経済・社会などの苛々させられるものは蒙御免であります。

警句:

I like being at home in my own little worle. The real world has too many assholes.

Not taking things personally is a very important life skill.

の二点を書き留めた。特に後の警句は、その傾向があるので、刻んで措かねば。お寺の啓示にも通じているのかも?

(巻三十一)下萌や警察犬は伏して待つ(岡野洞之)

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(巻三十一)下萌や警察犬は伏して待つ(岡野洞之)

1月1日土曜日

目の覚めるところで覚めてお元日(鷹羽狩行)

ということで夜中に目覚めることもなく、滑り出しのよい元朝を迎えました。

いつものようにお越しにきた細君も特段グタグタ云わずに寝床に戻って行ったので平穏な元朝でありました。

顔本を開きますと、ドギー、アノタイ、アンドリューから年賀が入っていて、皆さんには“AKE OMEa happy new year[emoji:985][emoji:985][emoji:985]”と返しておいた。

ブログを開いて、「謹賀新年」を載せた。アクセスが1件あり、元日早々の坊主は免れた!

血圧は130-81。寒いから仕方がない。薬袋に1/1(土)と書き込み血圧と尿酸値の薬を飲む。

そろそろ年賀状が配達されたころよ?とのご示唆を受けて郵便受け行く。薄い一束を持ち帰りお渡しする。うち4枚が私への賀状で昨年同様の諸氏からである。こちらも差し上げているので慌てることもなし。

早昼にして、お雑煮を頂く。餅は二つ頂く。何があったのか判らないが消防車が1台前のマンションの前に静かに停まっている。二人して気を付けてお餅を食べようねと確認したあった!

働かぬ手にいただくや雑煮箸(西島麦南)

午後の散歩は砂原稲荷を目指した。元旦でもこのお稲荷さんは無愛想で社の扉は閉じたままで賽銭をお納めしたくとも賽銭箱が出ていない。

仕方がないか、と帰りかけたところに一人参拝者がやって来て、手を合わせたあと、扉の小さな小窓に手を差し入れて賽銭らしきを納めていた。そういうことかと、後に続いてお賽銭を投げ入れた。小窓から覗くと中には立派な賽銭箱がございました。

JR有楽町駅の大黒さまの賽銭箱も諸事情により撤去だった。賽銭泥棒なら昔からいただろう。ゴミ箱代わりにされるのだろうか?

賽銭の十円ほどのおらが春(松木きよし)

砂原稲荷から駅前に急ぐ。寒くて風が強く駅前公園の公衆トイレに急いだ。

ヨーカ堂もBeansも休み。やっているのはMacとKFCと串焼き本舗。で、本舗で一休み。

裏路地を伝って帰宅した。

私も顔本に年賀を貼り付けたが5人ほどの“友達”からお返事をいただいていた。

願い事-生死直結で叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。

生まるれば遂にも死ぬるものにあれば

この世なる間は楽しくをあらな(大伴旅人)

という心持で残る日々を過ごせたら!

耳学問

BBC Radio 4 - Money Box, Relationships and Money

のディクテーションを始める。手強い。

帳付

parse=文章の分析、解析、

subtext=言外の意

本文=I understand different work and social cultures have different communication norms, yet part of my brain is working double-time to parse the subtext of that great job, minus punctuation.

https://www.bbc.com/worklife/article/20211213-why-tiny-words-like-yup-can-send-you-into-a-tailspin?ocid=liwl

で全文が読めます。メールなどのメッセージで言わんとするところが判然とせず、苛々することがある。特にsure. OK. Yesなどの短い詞が詮索の対象になると云う。短い詞は詞だけでなく表情や音の響きなどを伴ってその意が通じる詞であり、そのような並行するコミュニケーションがない場合は理解がむずかしい。そこのところを補完する道具として、絵文字は有効だ。

などということが書いてあるようです。

和文読解

「「半七捕物帳」の思い出-岡本綺堂河出文庫綺堂随筆江戸のことば から

〈初めて「半七捕物帳」を書こうと思い付いたのは、大正五(一九一六)年の四月頃とおぼえています。その頃わたしはコナン・ドイルのシャアロック・ホームズを飛びとびに読んでいたが、全部を通読したことが無いので、丸善へ行ったついでに、シャアロック・ホームズのアドヴェンチュアとメモヤーとレターンの三種を買って来て、一気に引きつづいて三冊を読み終えると、探偵物語に対する興味が油然[ゆうぜん]と湧き起って、自分もなにか探偵物語を書いてみようという気になったのです。〉

文末の註に拠れば、「三冊」とは、

〈*1 『シャーロック・ホームズの回想』(一八九二)、『シャーロック・ホームズの思い出』(一八九四)、『シャーロック・ホームズの帰還』(一九〇五)の三つの短篇集のこと。ホームズの短篇集は他に二冊あるが、大正五年の時点ではまだ刊行されていない。〉

とある。岡本綺堂は原書でホームズを読まれたわけだ。英国大使館とは、厳父以来、所縁があったようですし、綺堂の英語力は凄かったのでしょう。知りませんでした。

「動物園物語(抜書) - 丸谷才一」男もの女もの から

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「動物園物語(抜書) - 丸谷才一」男もの女もの から

句集を出す話は前まへからあつた。宗田安正さんは立風書房の編集者で、山口誓子系の俳人で、大岡信さんの『折々のうた』にも一度か二度、句が出てゐる。この人はわたしとはずいぶん古いつきあひで、ときどき現れては四方山話をして引上げるのだが、その四方山話のなかには発句のことも当然まじる。たまにわたしの近作を披露することもあって、宗田さんはあれこれ批評してくれた。さうかうしてゐるうちに、一つ句集を出しませんか、とすすめてくれるやうになつたのである。わたしはもちろん固辞した。何しろ立風書房から出てゐる句集のなかには、森澄雄さんのものや飯田龍太さんのものもまじるほどで、格式の高い出版社である。わたしごときが出してもらふのは僭越だし、それに第一、一冊にするほど数が揃はない。光栄な話ではあるが、と言つて丁重に辞退した。
ところが人間の心理は複雑なもので、そのうちに何となく、句集が出したいやうな気持になつて来た。これを単に、わたしがづうづうしくて恥しらずだからと考へると間違ひなので、いや、必ずしも間違ひとは言ひ切れないが他の要因もすこしあるので、つまりそれくらゐ宗田さんはすすめ上手であつたし、簡単には諦めなかつた。たぶん、すすめ上手で、かつ不★[ぎよう]不屈でなければ編集者として失格なのであらう。わたしはいつの間にやら句集の件を引受け、ただし何年さきの話になるかわからないよ、何しろ小説を書くのだつて怠け者なんだから、などと予防線を張つた。さういふ具合にぐずぐず言ひながらも、しかし一方では、句数がうんとすくなくてもいいやうに『雀の泪』といふ句集の題を考へたりしたのだから、つまりわたしはやはり句集が出したかつたのである。
しかしさうは言つてもなかなか発句ができない。ときたま作ることはあつても、年に二句か三句、せいぜい五句か六句である。それも年賀状に書く句とか、ものをもらつたときのお礼の句とか、宗田さんは、催促するが、わたしは柳に風と受け流してゐた。そしてこれは、長篇小説を催促されたときと違つて非常に楽である。本職ではない、余技にすぎないといふ申し開きがあるから、ちつとも気持が咎めない。
そのうちに宗田さんは一計を案じた。これがなかなかの名案で、何年後かには七十になるわけですから古稀の祝ひに句集を出しませうやといふのである。幸か不幸かその何年後といふのはかなりさきだつた。あるいは、さきであるやうに感じられた。そこでわたしはついうつかり賛成した。これはわれわれ文筆業者の共通の癖であつて、締切りがかなりさきの話は引受けてしまふのである。もちろんてんから気の進まない話のときは別だが、ちよつと食指が動く話で、しかも締切りが遠い将来てなると快諾しがちである。このときもそれで安請合した。
そして奇妙なことに、わたしはこの安請合によつて気分が高揚したらしい。いや、待てよ、ちつとも奇妙ぢやないぞ。順序関係の言ひ方がをかしかつただけだ。一般に安請合は気分の高揚によつてなされるものなのである。
そこでわたしはこの句集についてやや具体的に考へるやうになつた。と言つても句作に励んだわけではなく、まづ、選句を誰に頼むか。装釘は誰に、などと計画を立てたのである。しかし本当のことを言ふと、これは恰好をつけてゐるだけで、心のなかではもう決つてゐるのである。装釘はいつもわたしの本を手がけてくれる和田誠さん、選句は歌仙のとき宗匠格である大岡信さん、それ以外にはあり得ない。
まづ和田さんに言ふと、さらりと引受けてくれた。大岡さんに言ふと、
「いいよ。古稀の句集なら題は『七十句』がいいでせう」
と題までつけてくれた。
なるほどこれはいいやとわたしは喜び、『雀の泪』よりはこつちのほうがずつと粋だし、それにわずか七十句ですむなら簡単だと安心したのである。
それに、この題は明らかに高浜虚子の『五百句』『五百五十句』『六百句』といふ自選句集を踏まへてゐる命名で、とすると、わたしの句の格が虚子の句に近づくみたいで嬉しい、などと思つたことも告白して置かう。虚子の自選句集三冊は、彼の主宰する「ホトトギス」が五百号、五百五十号、六百号になつたのをそれぞれ記念したもので近代の名句集である。『日本文学史早わかり』といふ私の本の巻末についてゐる文学史年表にも、個人句集の代表といふ格で載つてゐる。ところが向うが何百といふ句数なのにこちらはわずか七十。いつそう立派になるとわたしはほくそ笑んだのであつた。
さて一九九四年の春、宗田さんはふらりと現れて、来年の八月二十七日に満七十になるわけだから、発行日はその日にしようと言ふ。実はわたしはそのすこし前から気がついて、あわててゐたのだ。どうしてあわてたかといふと、句帖を読み返してみると駄目な句が多く、大岡さんに見てもらふ句の数が七十句に程遠い状態だつたからである。せめて倍の百四十句は揃へて、そのなかから選んでもらはう。さう思つて、この年は句作に励んだ。殊に十二月になると頑張つた。その結果、大晦日の夕方、百十句くらゐをファックスで大岡さんに送つたのである。
春の終り、校正刷りが出たころ、何といふことなしに虚子の自選三句集を読み返してみた。句がうまいのは当り前で、いまさら驚くことはないが、句集を出す身となると改めて感心する。たとへば『五百句』の
這入りたる虻にふくるる花擬宝珠[はなぎぼし]
蜘蛛打つて暫[しばらく]心静まらず
酒うすしせめては燗を熱うせよ
うまいなあ、やはり。ただただ脱帽するのみである。やはり素人とは違ふ。
ところが『五百五十句』の序に、
『五百五十句』といふ書物の名にしたけれど五百七八十句になつたかと思ふ。それも厳密に考へる必要はないのである。
とある。さらに『六百句』の序には、
「五百句」の時と同じく句数は厳格に六百句に限つたわけではなく多少超過してゐるかもしれぬ。
とある。わたしはこれを読んで、心のなかで、しまつた、とつぶやいた。といふのは、大岡さんは八十句近くを選んでくれたのに、わたしはきちんと勘定して七十句を残したのだから。あれは律儀と言へば律儀だが、まことに詰まらぬ話であつた。これはやはり虚子の流儀で無精をきめこみ、いい加減にすればよかつた。さうすればおのづから俳味があるし、それに何となく大人物めいて見えるのに。うーむ、残念なことをした。さう思つてわたしは、いかにも小人物にふさわしく、くよくよと後悔したのである。
(ここまで)

(巻三十一)鳴くまでの手順を踏みて法師蝉(高澤良一)

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(巻三十一)鳴くまでの手順を踏みて法師蝉(高澤良一)

12月31日金曜日

牛肉、刺し身、金柑を買いに駅下のBeansに出かけた。10時半くらいのマーケットはごった返していてレジへの誘導員が出ていた。肉屋ではすき焼き用の肉を300グラム強買ったが声を張り上げて注文を取ってもらう有り様である。

十二月肉屋に立ちて男の背(正木浩一)

目指した真鯛の刺し身は売れ行きがよかったようでもう残り3、4パックでそれもみな250グラム超えである。ちょっと多すぎだが仕方がない。やっと買って、列に並んで、支払って買い物を終えた。

亀有の駅下でこれなのだから、アメ横やデパ地下など凄い人出になっていることだろう。

人波が街を動かず師走かや(後藤菊子)

午後は寒くて散歩は止めた。部屋も寒いものだから、煎餅だの一口最中だのを間断なくつまんでいる。

願い事-生死直結で叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。が、とにもかくにも部屋の中で御馳走が戴けて一年が終ってくれるのだからありがたい。この先どんな苦難が待っているか分からないし、老いていくことは間違いない。今が逝き時だ。改めて生死直結をお願いいたします。

刺客待つゆとりのことし懐手(吉田未灰)

本日の耳学問

BBC Radio 4 - Money Box, Energy Prices

2032

Indeed, we had a number of questions around this on renewable energy deals, so called green energy. As go to Jane, she is on the line.

2042

Jane, what happened when your renewable deal came up for renewal?

2046

Good afternoon. Yes, we are currently on a twelve months fixed rate. A dual fuel tariff which ends this month. So both gas and electric, electric dual are 100% renewable. We are three-generation family, with one working from home at the moment. So we have ???(1)???. We recognize we are high users. So we are currently paying to 2,146 pounds a year. And when a renewal quote came in from the certain company, offering of only one tariff and this is exactly same as we already have, dual fuel twelve months fixed term. And but, unbelievable price was 4,518 pounds.

“That was more than double what you were paying.”

Yes. My question is, this is

???(2)??? 100% renewable gas and electricity. How do they justify such an increase in the cost?

2143

本日のテーク・ノート:

rage quittingに出会う。尻を捲ると訳せるのかもしれない。少なくとも円満退職ではない辞め方だ。

本文は、

Many of us have fantasised about leaving a bad job in a similarly fashion, yet far from throwing a temper tantrum, ‘rage quitting’ is a sign of serious flow in a workplace.

全文は以下で読めます。

https://www.bbc.com/worklife/article/20210903-why-rage-quitting-is-all-the-rage-this-year?ocid=liwl

本日の警句、

When you stop reacting to everything and everyone, peace finds its way to you.

を書き留めた。

今週のBBCは面白そうだ。以下の二つの番組を聴きながら年を越します。

https://www.bbc.co.uk/programmes/m0012rhp

BBC Radio 4 - Money Box, Relationships and Money

「死ぬべき存在としての自分の可能性 - 小浜逸郎」癒しとしての死の哲学 から

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「死ぬべき存在としての自分の可能性 - 小浜逸郎」癒しとしての死の哲学 から

たしかに、人は、無限定の「いつか」を想像力で設定することができる。この宇宙を「いつか」俺が征服してやると企てることや、一万年後の再会を約束することなどは、ことばの上では不可能ではない。しかしそれらは、妄想や冗談や情緒性の深さを印象づける手段としては承認されるとしても、いずれそのようなかたちでしか承認されない。まさにそのことによって、私たちの有限性の認識が共通了解としていかに徹底したものであるかを逆に証しているのである。
また逆に、「何年後にこうしようなどと人に夢を語るが、人間の一生など一寸先は闇だということを知らない愚かさの現われだ、明日にも死ぬかもしれないということから目を背けているから、そんな能天気なことが言っていられるのだ」といった不可知論者のシニシズムにも、すでに述べたような人間の生の意識の実態に即するかぎり、それほどの現実的な根拠があるわけではないということがわかる。彼はある瞬間にそんなシニシズムに浸りながら、別の瞬間には、平気で来週の約束のことを気にしたり、夏の旅行計画を立てたりしているものだからである。
人間が、自分を、いつかかならず死ぬべき存在であるということを自覚していることは、いつ何時偶発的に自分が死ぬかもしれないということを意識することと同じではない。何年か先の夢を語ることは、死すべき存在としての自分を自覚していることと、けっして矛盾しないのである。
むしろまったく逆に、そのような実現可能な夢を語りうるということ、そのこと自体のうちに、自分の有限性の認識は繰り込まれてある。なぜならば、こうした具体的な夢は、必ず、自分の一生ということを、その年齢とか、関係の変化の可能性とかをも含めて、全体として潜在的な視野に入れたうえで語られるからである。