(巻三十三)過去よりも短かき未来春の雲(西田静子)

(巻三十三)過去よりも短かき未来春の雲(西田静子)

6月13日月曜日

今日は太宰治の桜桃忌だそうだ。

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2021/11/06/120315

がお人柄だったのだろう。

細君は眼鏡屋さん他に出かけて午前は独居。

午後2時前に散歩に出かけた。五月晴れはよいのだが汗をかいた。3丁目のバルを覗いたが混んでいたので通過。亀有銀座に出て少し迷ったが呑まずに帰ることにした。

暑さのためだろう、猫は全員不在。

願い事-電球が切れるが如くで、細君より先にお願い致します。

飲みたいとか食いたいと思ったときは躊躇なく飲み食いした方がよいようだ。したい、やりたいがない。生きたくもなし、死にたくもなし。

「いつもそばに本が - 島田雅彦朝日新聞読書欄-ワイズ出版 から

《これまで暮らしてきた家は皆ろくでもない家ばかりだった。これまで食べてきたものも、近頃の青少年の食生活を笑えない代物ばかりだった。ある日、自分の余命を考えて、愕然とし、慌てて居住空間と食生活の改善に努めることにした。金の価値は老いるほどに下がる。若者にとっての十万円と老人にとっての十万円は大いに違う。おのが快楽のために使うにしても、体力の衰えによって、老人は限られた使い道しかない。また老人は、未来の自分に投資しようにも、余命が限られている。》

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2020/09/18/083841

(巻三十三)ため息が曲がってばかり五月闇(峠谷清広)

(巻三十三)ため息が曲がってばかり五月闇(峠谷清広)

6月12日日曜日

作務・修行は洗濯だけ。

昨日、今日と比較的快眠できたのだが、顔本に出ていた「クリナ」という味の素の睡眠サプリの広告に眼が留まり、つい詳細情報を開いてしまった。すると顔本が「小林製薬-ナイトミン」「小野製薬-レムウェル」「キリン-オルチニン」「大正製薬-リポビタンDXα」「不詳-ぐっすりずむ」「桃屋-不詳」「不詳-GABA」といった睡眠サプリの広告ばかりになってしまった。

明易しねむる力の衰へて(鈴木基之)

https://www.bbc.co.uk/programmes/m001007z

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct1pqv

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2020/10/21/082540

曇り空に変わった午後2時過ぎに慌てて散歩に出かけた。ポツリポツリと落ちて来るなかを図書館まで行き、返して借りて生協へ回ったが、ちょっと寄り道して都住3を覗いてみた。一番手前の棟の階段でサンちゃんが黒猫と睨み合いをして双方唸り声を出している。猫の喧嘩の仲裁というのもなんだが、スナックの袋を出しながら近づくと黒猫が引いてどこかへ行ってしまった。残ったサンちゃんにスナックのあげて、来た道を戻ると階段の反対側にその黒猫がいた。こいつにもスナックをあげようと近づくとやや遠巻きにしてはいるが、逃げない。あとで食べなとスナックを置いて退去。猫の記憶は確かだから、覚えてくれただろう。今日の猫はこの2匹だけ。

生協に寄って、急ぎ戻り、洗濯物を取り込む。

取り込み終わった頃、空に陽が戻った。

願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。

Advice sought after:

 

Three dogs are waiting for their masters coming out from Kameari 2 Chome Co-op shop. They are uneasily looking up overcast sky of rainy season. Dog days are in one month's time.

 

Advice sought after:

I listen to and dictate BBC programs (podcasts) to deter and delay dementia. And oftentimes I come to words and phrases which I cannot catch. It would be appreciated if you can tell me what they are saying and also correct my incorrect catching in the attempted transcript.

Thanks in advance.

 

20220122
BBC Crowd Science: Are there downsides to deep cleaning?
https://www.bbc.co.uk/programmes/w3cszv6y

0406
We took a trip to English countryside to visit a hygiene expert Professor Sally Bloomfield.
0414
She runs the International Scientific Forum on Home Hygiene and she has spent decades studying how not to pick up infectious diseases. So I asked what she made of Doctor Strachan's idea.
0426
What he proposed was that it was possible that the children that were more exposed to infection were less likely to develop allergic diseases. And he was looking around for a name to call this hypothesis and decided to call it Hygiene Hypothesis, which is very unfortunate because it pre-judges what the cause was, you know, that it was hygiene.
It became clear very soon that the possible infections weren't the right words. And this led Professor Graham Rook to propose an alternative, more feasible hypothesis, and he called it the Old Friend Mechanism.
0504
The microorganism ???(1)??? not infections. They are these microbes that are everywhere in our environment and have been during the millennium when we were in hunter gatherer time, when we have been exposed to microbe that were around that time. And although scientists now understand the Old Friend Mechanism, public don't as long as scientists talk about this so called Hygiene Hypothesis. We'll never dislodge that misconception on a part of public.
0535
So we should do that now. Hygiene Hypothesis is out. Abandoned. And the Old Friend Hypothesis is in. What are the Old Friend?
0545
Well, think of your immune system like a computer program. You are born with a fully formed immune system, but it got no data. And for the moment you are passing down the mother's birth canal, you have been coddled by your mother. She is breast feeding you. You are then going on to touching your surroundings, you know, babies are soon they're touching anything and straight into their mouth.
They are gradually being exposed to microbes, lots and lots of microbes. Diversity is the key. Because it teaches the immune system what is dangerous and they need to combat. What is no harmful and need to be tolerated. There are lots of reasons why we become deprived of microbes. Cesarean section ???(2)??? natural child birth, too many anti biotics are disrupting our microbiome.
0630
And microbiome is the name for the kind of human microbiome.
0634
It's all microorganisms that set up in our body. So there is no evidence, direct evidence that home cleanliness is a significant factor in developing allergies.
0644

 

 

(巻三十三)短夜や旅の枕の頼りなく(横田青天子)

(巻三十三)短夜や旅の枕の頼りなく(横田青天子)

6月11日土曜日

作務・修行の少ない今日の朝であった。難行苦行でも何でもないが、ベランダの手すりについていた雀のフンを濡れティッシュで拭き取ったことくらいか。雀が訪れてくれているのだ。

一家なす雀の群れに飯撒いて家族の中に入れてもらひぬ(間渕昭次)

細君は級友に電話していたが、その方の母上が他界されたようだ。呆けて、寝たきりで、チューブで食事だったらしいが、娘三人と叔母一人が手を握って見送ったそうだ。故人には分からなかっただろうが、幸せな最期ということになるのだろう。

菊白し安らかな死は長寿のみ(飯田龍太)

午後の散歩は都住1、図書館、都住3、都住2、都住3、ウエルシア、と歩いた。図書館では3冊返して3冊借りた。買って読むならこんな読み方、とばし方はできない。

本日の猫たちは、都住2の花子、太郎は不在。都住3のサンちゃんとフジちゃん。フジちゃんが初めてスナックを見ている前で食べた。二匹の間に落ちたスナックがあったが奪い合いはしない。

ウエルシアでは風呂掃除用スポンジブラシの交換ブラシを探した。見つからないので尋ねたところ、仕入れをしていないとのことだ。柄の先のスポンジブラシだけを交換して何回も使えることをウリにしていたのにだ。棚にはまだ柄とブラシ一体の品が売られていた。

願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。

「深川土産 - 三浦哲郎」日本の名随筆別巻48夫婦から

 

「深川土産 - 三浦哲郎」日本の名随筆別巻48夫婦から

茶箪笥の棚をガラス越しに覗いてみると、津軽塗の菓子鉢に、深川から買ってきた茶菓子がいくつか残っている。
きんつばと、まんじゅうと、素甘がそれぞれ二つずつ。五人家族が、どの菓子も一つずつ味わえるように、全部で十五個買ってきたのか、いまはそれだけ残っている。
深川へいってきたのは、この前の日曜日だったから、もう四日目になる。早く食べてしまわないと、だんだん乾いてまずくなる。残っているのは誰の分だろう。素甘の一つは私の分だが、あとは誰のかわからない。妻は、甘いものには目がなくて、四日も我慢できるわけがないから、多分、子供たちの誰かが食べずにいるのだ。
子供は三人とも女の子だが(といって、もう上はもう二十になる)、どういうものか甘いものはあまり欲しがらない。とりわけ餡の入ったものなどはむしろ苦手にしているといっていい。妻は、酒好きの私に似たのだというが、その私は近頃めっきり酒量が落ちて、以前は見向きもしなかった甘いものにもたまには手をだすようになっている。
きんつばと、まんじゅうとは、買ってきた日の晩のうちに食べた。素甘というのは、あまり馴染みのない菓子だが、柔かすぎて歯にくっつきそうだから、すこし固くなるまでと思ってわざと残しておいたのである。けれども、きんつばやまんじゅうは、なるべく早く、固くならないうちに食べた方がいい。
妻はどこにいるのか、姿が見えない。おいと呼んでみても、返事がない。さっき郵便物を取りに降りてきたとき洗濯機の唸りがきこえていたから、裏屋根の物干しにでもいるのだろうか。
茶箪笥のガラス戸を開けて、菓子鉢の素甘の一つをちょっと指で突っついてみる。やはり、前よりいくらか固くなっている。ついでに、そいつを指で摘んで、ほんのひとくち、と思ったが、歯形をつけただけでやめてしまった。素甘は、程よく固まった代わりに、随分腰が強くなっている。こんなものをうっかり深く噛んだら、そのまま、にっちもさっちもいかなくなる。もはや、なんでも思うさまに食える時代は過ぎ去ったのだ。歯のうちの何本かが、いまは義歯だということを忘れてはいけない。

この前の日曜日に、夫婦で深川まで出かけたのは、べつに用事があってのことではなかった。実は先週の金曜日からその日曜日にかけて、私たちは郷里で寝たきりになっている老母を見舞ってくることにしていたのだが、折悪しく台風がきて帰郷を見合わせなければならなくなった。仕事と時間のやりくりをして拵えた日程だから、急に取り止めということになったりすると、そこだけぽっかり穴が開いたようになる。旅が中止になればなったで、しなければならないことはあるのだが、拍子抜けしてなにも手につかない。しかも、台風一過の日曜日は、家にじっとしているのが勿体ないほどの秋晴れになった。
「なんだか落ち着かないから、どこかをあるきましょうか。」
妻がそういうので、どこか歩いてみたいところがあるかと訊くと、妻は即座に、
「深川」。
といった。
私は、なるほどと思った。妻は深川の洲崎の生まれで、戦争末期に父親の郷里の栃木へ疎開するまでそこで育った。また、私にも、戦後初めて東京へ出てきたばかりのころに、木場の木材会社にいた次兄を頻繁に訪ねた一時期がある。そんなことで、私がまだ学生のころ、寮の近くのちいさな料理屋で働いていた妻と二人で、いちどお互いに思い出のある深川を歩きに出かけたことがあった。
「あれ以来、いちども深川を見てないでしょう。もう何年になるかしら。」
妻は指折り数えて、二十五年にもなるといった。すると、あのとき妻は二十で、私は二十三だったわけだ。私はその後、その初めての深川歩きから結婚するまでのいきさつを『忍ぶ川』という小説に書いたが、それからでさえ、もう十八年が過ぎ去っている。
以前は、東京駅から錦糸町へ通う都電があって、それに乗って東陽公園前という停留所で降りればよかったが、もうその都電はなくなっている。それで子供に調べて貰うと、東西線という地下鉄に東陽町という駅があることがわかった。その地下鉄東西線の最寄りの駅が高田馬場だということもわかった。私たちは、高田馬場で地下鉄へ乗り換えることにして、子供たちに留守を頼んで出かけていった。

 

地下鉄の東陽町駅から地上へ出てみて、私たちはびっくりした。あれから二十五年にもなるのだから、かなり変わっただろうとは思っていたが、そのあたりの変り様は私たちの想像を遥かに上回っていた。見渡す限り草ぼうぼうの荒地だったところが小綺麗な街になり、どちらを向いても大きなビルや高層住宅が聳えていて、ひょっこり地上へ出てきた私たちにはなにやらエキゾチックな感じさえした。あのころ、あたりで最も大きな建物だった東陽小学校の校舎など、すっかり町並みのなかに埋もれてどこにあるのか見当もつかない。私たちは、街角に佇んでものの五分もあたりを見回してから、ようやく東陽公園のわずかばかりの緑を見つけて、そっちへ交差点を渡っていった。
公園の裏手の東陽小学校では、ちょうどその日が運動会で、鉄パイプの扉を閉めた裏門のむこうに、白シャツや赤鉢巻の群れが狭い校庭を揺れ動いているのが見えていた。妻は子供のころ、洲崎からこの小学校に通ったのである。
「ほら、運動会のとき、底の厚い足袋みたいなものを履いたでしょう。あれ、なんていいましたっけ。」
そういえば、私も子供のころにそんなものを履いた憶えがあるが、名前はもう思い出せない。妻は、戦争がだんだん激しくなるとその足袋も手に入らなくなって、しまいには裸足で運動会をしたといった。
「校庭はそのころからコンクリートだったけど、裸足でもちっとも痛くないの、薄いゴムでも敷いたみたいに。不思議な校庭だったわ。」
妻はそんなことをいって、しばらく門のところから運動会を見物していた。
公園を出てからは、どちらからともなく、初めて一緒に歩いたときとおなじ道順をたどった。二十五年前の二十の妻は、白っぽい麻の着物に橙色の夏帯を締めていた。七月の暑いさかりで、日ざしをさえぎるものは妻のパラソルだけだったが、いまは立ち並ぶビルやマンションが道に影を落している。おびただしい木材を浮かべていた貯木場など、もうどこにも見当らなかった。
次兄の会社があったあたりに、一つだけ製材工場が残っていた。日曜日のせいか、ひっそりとして人影もなかったが、それでも立ち止まると木の匂いがした。兄がここから突然行方知れずになってから、今年でもう三十年になる。私は、兄が工場の奥の暗がりから出てくるのを待っていたころのように、しばらく道端に佇んで木の匂いを嗅いでいた。
洲崎は、ざっと歩いてみたところ、もう娼婦の街だったころの翳はどこにもなくて、普通の明るい下町になっていた。妻が生まれた射的屋の跡はちいさな駐車場になっていて、路地に魚の干物を焼く匂いが漂っていた。私たちは、洲崎橋のたもとの蕎麦屋で一と休みして、私はざるでお銚子を一本だけ飲んだ。それから、妻は子供のころあんみつを食べたことがあるという和菓子屋で、きんつばと、まんじゅうと、素甘を土産に買ったのだが、それがまだ茶箪笥の菓子鉢にそれぞれ二つずつ残っている。
私は、妻が戻ってきたらお茶を淹れて貰おうと思って、鉢ごとテーブルに出しておいたが、なかなかあらわれない。妻にこの素甘をあげるといったら、どんなふうにして食べるだろう。妻にも何本か義歯があるー私は、自分の歯形のついた素甘を眺めて、ぼんやりとそんなことを考えていた。

(巻三十三)見ぬことにすれば済むこと鰯雲(柘植裕子)

(巻三十三)見ぬことにすれば済むこと鰯雲(柘植裕子)

 

6月10日金曜日

午前の作務・修行は水遣り、薬撒き、麦茶沸かし、蒲団片付け、結露点検、掃除機がけ、お湯沸かし、茹で玉子、オープントースト、洗濯物干し、をした。以前に比べれば嫌々ながらではなくなっている。

午後は軽く散歩。都住1、図書館で返して借りた。そこから笠間稲荷、二丁目裏通り、都住3、都住2と歩いた。

猫は、階段下のトイちゃん、都住1は不在、稲荷ではコンちゃんが飼い主から餌を貰っていた。都住3ではサンちゃん。フジちゃんは遠巻きにして鳴いているだけ。都住2では花太郎。

何とか生きている猫たちにはパトロンがついている。

途中の7ELEVENで春巻で路酎。1本だが午後中効いてしまった。

願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。

夢見が悪かったのか、今朝の血圧は140-87と出た。自分の頭の中は自分では制御できないらしく“反応”してしまう。「見ぬことに」してもそれは一時的なことで逃れられないだろう。 

借りてきたうちの一冊は『死なないでいる理由-鷲田清一』だ。土屋賢二氏ほどくだけていなくていいが、もう少し解りやすく書いていただけないものだろうか。

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2021/09/26/124940

私の理由は手段が無いからだ。眠るが如くの手段が欲しい。

「小説におけるトポロジー(抜書) - 島田雅彦」小説作法ABC から

 

 

「小説におけるトポロジー(抜書) - 島田雅彦」小説作法ABC から

(A)ヨソモノの視点で場所を見ること
先の章で、描写する力を身につけるところで、つぎにその描写力をふんだんに発揮すべき項目について考えておきましょう。それは、物語の出来事が出来する場所=トポスについてです。
小説において、場所をどこまでつくりこむかが、その作品のリアリティを実質的に決定するといっても、過言ではありません。場所が上手に書けているかどうかが、その作品の評価を左右する場合もあるほどです。
日々、大量生産されている日本の現代小説の九割がたは、東京を舞台としています。本来、田舎でも外国でもいいはずの小説舞台ですが、文学マーケットで取引されているものの多くは、東京が舞台である。それも、長らく東京に暮らす人物にとっての「地元」としてではなく、移り住んで三年、せいぜい一〇年といった、いわば「ヨソモノ」の視点から見た東京が描かれることが多いようにも思います。
小説のトポロジーには様々なカテゴリーがありますが、数の上からすれば、東京を含むところの「都市」をおもな出来事の舞台とする作品が多く、その他のトポスとして、山や海といった「田舎」、特殊なところでは「宇宙」や「植民地」、またSF作品における「サイバー空間」なども、ひとつの小説のトポスとして捉えることができます。
そもそも小説は、都市と農村の位置エネルギー(=生産エネルギー)とでもいうのか、地域間の格差を埋めるようななかたちで発展してきた歴史をもっています。近代文学に限っていえば、都市が舞台になっている小説の主人公は、たいていが田舎者です。田舎から上京し、そこで近代産業社会の構成員たる資格を獲得していく。いわば、立身出世の道のりが描かれるわけです。立身出世のために田舎から出てきた若者の物語-これが長らくポピュラーなものでした。
たとえば、漱石の『三四郎』はその代表格です。三四郎の故郷は熊本、田舎のシンボルとしての熊本です。そんな地方出身の青年が、本郷を中心とした東大文化圏に所属する。つまり、立身出世コースに入って、近代日本を背負って立つのだという自負をもつ。これは、ヨソモノの視点から見た東京の姿ともいえ、東京にべったりはりついている地元民には見えない細部を、照らし出すことができるというメリットもありました。

 

三四郎が東京で驚いたものは沢山ある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。それからそのちんちん鳴る間に、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。次に丸の内で驚いた。尤も驚いたのは、何処まで行っても東京が無くならないと云う事であった。しかも何処をどう歩いても、材木が放り出してある。石が積んである、新しい家が往来から二三間引込んでいる。古い蔵が半分取崩されて心細く前の方に残っている。凡[すべ]ての物が破壊されつつある様に見える。そうして凡ての物が又同時に建設されつつある様に見える。大変な動き方である。
三四郎は全く驚いた。要するに普通の田舎者が始めて都の真中に立って驚くと同じ程度に、又同じ性質に於て大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防する上に於て、売薬程の効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きと共に四割方滅却した。不愉快でたまらない。》
(夏目漱石三四郎』)

東京に出てきた田舎者というのは、たいてい田舎から出たくて仕方のなかった人物なので、もっと広い世界に飛び出したいとの欲求があります。だからこそ、東京に到着したとたん、羨望の眼差しですべてを観察しにかかるでしょう。都市住民には都市住民の言い分があるにせよ、ヨソモノの目には、そこは光り輝く都と映ります。最新の風俗の最前線も観察でき、外国からの情報もいちはやく消費される現場なのですから、田舎にいるときとはまったく異なる、広い視野が得られます。近代文学のトポスの中心、舞台の中心は、そうした人物のパースペクティヴによって捉えられた場所ということになります。
いまもこの傾向はつづいています。現在、活躍している現代作家の出身地を調べても、おそらく東京出身者はあまり多くないのではないでしょうか。関西、九州の出身がやたらと多い。たとえば九州出身の作家としては、リリー・フランキー吉田修一の名前を挙げることができます。彼らはその上京物語で、小説デビューを果たしました。

 

《東京に来てしばらく経っても、電車に乗るたび、違和感を抱いた。標準語というものを今までテレビの中でしか耳にしていなかったから、電車の中のブサイクなオバサンや、気味の悪いオジサンまでもが、そのテレビの中の言葉を使うことに馴染めなかった。
高校を卒業して一ヶ月しか経っていないのに、大学の中で煙草を吸っても酒を飲んでも誰かになにを言われるでもない。
なにを着ていようと授業をサボろうと何事も起きない。おかしな違和感とだらしのない自由。
ほとんどの同級生がボクより絵が上手い。ボクの知らない映画や音楽がたくさをあった。キレイな女がたくさんいる。驚くほどギターの上手い奴もいる。お嬢さんみたいな女やモヒカンの女。醤油味のラーメン。真っ黒なうどん。二十四時間営業のゲームセンター。オールナイトの映画館。乞食ではなく、ホームレス。その横を走る外車。青林堂のマンガ。牛丼。ディスコ。ビリヤード場。MTV。パンクのギグ。アイドルのコンサート。汚い海。サーファー。だだっ広い公園。高層ビル。チャラチャラした大人。オトナっぽい子供。人。人。人。人。人。人。人。物。物。物。物。物。ビル。ビル。ビル。ビル。ビル火災。》
(リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』)

《種明かしをされた今では、きのうの夜を引き摺っていたようなあの退廃も、実はその大学生とのセックスに疲れていただけだったのだし、あの執着心の無さについても、もう一つの世界では、人並みに愛されようとしていたわけで、神秘性など微塵もなかったということだ。
それでも朋子同様このぼくも、彼の存在には異常な興味を持っていた。
高校を卒業して一緒に上京してきた時、ぼくらは秘密を教え合った。
今思えば割の合わない取引だったような気もするが、あの頃のぼくにはそれほど重大なことだったのだろう。
ぼくは自分が真剣に詩を書いていることを右近に告白した。彼はそのお返しとして、自分が男しか愛せないのだと教えてくれた。
実際、種明かしをされてからも、ぼくはやっぱり自分が書く詩の行間に、右近が横たわっていてくれることを願った。しかし、どう足掻いても、ぼくの言葉が右近に変身することはなかった。
上京して一人暮らしをするようになって、ぼくは初めて自分の声を聞いたような気がする。ふと気づくと、一日中誰とも口をきいていない日がよくあった。静まり返った部屋の中で、ぼくは恐る恐る声を出してみた。何を言えばいいのか自分でも分からず、その時の正直な気持ち「腹が、減っています」と声に出して言ってみたのだ。初めて聞く自分の声は、思っていたほど孤独ではなかった。
そんな暮らしを続けているうち、右近につれられて、新宿で飲み歩くようになった。気にしたこともなかった他人の視線というものを、ぼくは気にするようになっていた。いつの間にかまた、必死に右近になろうとしていた。》(吉田修一最後の息子」)

生まれも育ちも東京という人間がただ東京を描いても差異は見えてこず、東京を他者のまなざしで浮き彫りにすることは難しい。そこで、私のような東京者は、都心からあえて離れようとします。しかし田舎暮らしもできないので、やむなく都市と田舎の中間に「郊外」という第三の場所を設定し、そこに立脚することによって、都市をヨソモノの視点から眺めようとします。短いかもしれないが、距離をつくろうとしているのです。