「笑いたい - 芥川比呂志」日本の名随筆22笑 から

「笑いたい - 芥川比呂志」日本の名随筆22笑 から

何人か寄って、話をしていて、笑えないのは、つらい。まじめな話合いでも、一と区切りつけば、笑いたい。まるで笑わないのは、くそまじめというものだ。むろん、悲劇的な出来事の後とか、せっぱつまった相談事とかは、抜きにしての話である。
笑いは、話にちょっと添える薬味ではない。お上品な食卓を飾るしゃれた生花ではない。笑いは、話の味をよくする酒である。いや、笑いは話そのものであり、私たちは、笑いのために話することさえあるのだ。
-中略-
みなが談笑しているのに、一人だけ黙っている人があると、気づまりなものだ。そこで、みなサービスの限りをつくして、話の中へ引き入れようとする。
黙っている方にも、事情はある。ちょっとした引け目とか、気おくれとかで、つい、黙りがちだったのを、まわりが気を遣いすぎるものだから、かえって気持が屈折して、ますます無口になる。機嫌がわるくて黙っているわけではない。しかし黙りつづけている内に、不機嫌になってくる。 
そうなると、みな興醒めて、何となく静かになるが、やがて面倒くさくなり、口をきかぬ奴を無視してあれこれ話合うにつれ、また油がのってきて、ついに笑いの飽和状態に達してしまうことがある。誰かが一言いうとみながどっと笑う、次の一言で哄笑、また一言、また爆笑、というあの状態である。まわりがそうなった時は、黙り屋はじつになさけない思いをする。
二十年の昔、私はそういう経験をしたことがある。
夜の座敷の客は、私のほかに数名、主人をかこんで話がはずみ、笑い声は間断なく、私一人が無言であった。まだ酒の味を知らず、無理にやっと飲んだ数杯のビールが、かえって憂鬱をつのらせた。私は頑[かたく]なに黙っていた。
ふと、卓の向うから、微笑して、主人が、私に声をかけた。
「きみ、靴下をぬいでごらん。楽になる」
虚をつかれた。半信半疑で、言われた通りにした。なるほど効果はてきめんであった。私は憑きものが落ちたようにしゃべり始めた。
隣から酒をすすめられる。断ろうとする私を制して、主人は卓ごしに自分の盃を差し出し、おどけた調子で言う。
「弱きを助けよ」
私は、はじめて、みなといっしょに哄笑した。
青森県金木町のその家の主人の名は、太宰治