「ドアマン 皆川孝則 - 村松友視」文春文庫 帝国ホテルの不思議 から

f:id:nprtheeconomistworld:20191117080516j:plain


「ドアマン 皆川孝則 - 村松友視」文春文庫 帝国ホテルの不思議 から

両替用五千円札、千円札をポケットに用意

帝国ホテルをおとずれる人が、まず最初に出会うのはドアマンだ。このドアマンの“ドア”は、帝国ホテルでは玄関に着けられた車のドアのことであり、玄関のドアのことではない。私などは、玄関のドアをうやうやしく開けてくれる役をドアマンと呼ぶのだろうと、ずっと思い込んでいた。もっとも、一般的なドアマンの解釈は、ドアの開閉や車への送迎を行なう男性.....ということになっているから、あながちまちがいでもなかったということだろう。
かつての自動扉でないドアの時代には、ドアマンが入口ドアの開閉の役目をになっていた。その頃の帝国ホテルのドアマンは帽子と肩章が目立ついささか大袈裟な制服で、ホテルの門衛といったおごそかなイメージの服装だった。だが、近頃は帽子はかぶらずユニフォームも変化している。これも、時代の空気に呼応した対応なのだろう。
帽子や肩章はどこか軍隊のイメージが出てしまうので、そのようないかめしさから脱し、ウエルカムを表現しようとの方針から、二〇〇七年にユニフォームのデザインを変えている。このユニフォームの変更が、私のようなホテルにおじけづきやすい者が、親近感を抱くための要素のひとつとなったのはたしかだ。また、現代において軍隊的美学を踏襲するのは、いささか時代おくれの観が否めぬばかりか、そこにある種のコスプレ的雰囲気が生じ、フィクションめいた滑稽さがあらわれてしまう可能性もある。帝国ホテルのドアマンのユニフォーム・スタイルの切りかえは、時宜にかなった選択であると言えるだろう。
ところで、一日に四千台の車が行き交う帝国ホテルにとって、玄関における車の流れをスムーズにするドアマンの任務は、他のホテルとは一線を画するハードなものだ。帝国ホテルには十八人のドアマンが存在し、正面玄関と宴会場玄関の二つの職場に配置されるのだが、皆川孝則さんはそれを束ねるドアマン支配人である。
ドアマンには冬、夏、間服[あいふく]の三種類のユニフォームがあり、季節ごとに変えるのだという。室内でない場所という職場の条件ゆえ、体力の消耗を強いられる仕事だ。基本的には四十五分仕事をして十五分休憩というくり返しのシステムをとっているが、休憩の十五分が極端に短く感じられるという。実際、手洗いに行き汗を拭いて職場にもどるだけで、十五分はすぎてしまうのだそうだ。冬は背中にカイロという手もあるが、暑い夏に屋外での制服姿はこたえる。しかし、躯に汗をかいても顔にはあまり汗が出ないようになってくるというから、まるで部厚い衣装を着て優雅な演技をこなす歌舞伎の女形の世界である。
また、正面玄関にはタクシーの乗降が多く、宴会場の玄関は社用車や公用車が多いので、同じドアマンでも職種がちがう感じさえある。宴会場玄関には、宴席に出席する会長、社長、相談役などが、高級車で続々と来館し、それに対応するサービスとなるから、正面玄関におけるタクシーで来館する人々へのサービスにくらべれば、やはりキャリアが必要となる。したがって、正面玄関である程度のキャリアを積み、ドアマンとしてのノウハウをつかんでから、宴会場玄関の仕事をまかされるのだという。
宴会場のドアマンは、お客の顔と車両番号、運転手さんの顔などの、おぼえておかねばならぬことの数が、正面玄関とは比較にならぬほど多い。それを認識していれば、この人はどの宴席に.....という見当がつけられて、それにそったサービスがしやすい。あるいは、VIPリストによって、非公式の会合がレストランで行なわれるといった情報を頭に入れながら、名前を呼んでよい人、いけない人、声をかけてよい人いけない人を見きわめ、通常のドアマンの役目をもこなしていくなど.....それにはやはりキャリアを必要とする仕事にちがいない。
皆川さんの頭に入っているゲストの顔は千人ほどだという。新聞や雑誌に載ったゲストの写真を切り抜き、控え室で回覧し、情報を行きわたらせる。それにはすぐれた暗記力が必要とされるのだが、書いておぼえたり、お経のように声に出しておぼえたり、ドアマンそれぞれが工夫している。
皆川さんは、部厚いファイルを見せてくれたが、そこには玄関へ到着するお客の名前と顔写真、車両番号が記されているようだった。当人の顔はともかく、車両番号や運転手さんの顔などフロントでさえ関知せぬことであり、ドアマンはやはり特殊な仕事だ。
正面玄関でも、さまざまな場所の道案内が必要であり、都心の主な会社の所在地やビルの名前などもすべて書き記してある。激変する街の最新情報を把握するのは容易ではないが、カーナビの普及が大いに力強い味方となっているという。
皆川さんは、休勤の日に地図を片手に街を歩き、目印の建物などの様変わりをチェックしていて、後輩にもそれをすすめている。無関係なビルの名前まで頭に入れ、アンテナを張りめぐらせ、お客の要望に対応する。日々勉強です.....さりげなく言う皆川さんだが、そのように仕事を厚くしてゆけばお客との関係は濃くなり、濃くなればまたその先への期待が生まれて、それに応えることによって一歩先へすすむ。大規模なホテルだが、現場はつねに人間と人間の肌合いによって左右される、アナログの髄を極めるような場面に終始する。そこで一歩踏み込もうとするホテルマンの誇りをかけた現場の熱気が、帝国ホテルへの信用を生んでゆくという構造である。
アナログといえば、帝国ホテルのドアマンは、ポケットに千円札と五千円札を用意していて、一万円札を出したがタクシーの運転手さんに釣り銭の用意がないお客に、その一万円札を両替するのを習慣としている。これを当然のようにこなしている心根には、やはり帝国ホテルのドアマンとしての誇りがしみこんでいるはずだ。
さらに、車のトランクから荷物を出すときにはかならず両手で行なうことの徹底さは、数かぎりない体験から学んだあげくのプロとしての教訓だ。重い荷物を片手で持ち上げてしまうと、かならず背中や腰を痛めるし、把手が壊れることがある。直前までは機能していた把手が、“万年目の亀”みたいに急に壊れてしまうケースがあるという。とくに外国人客の荷物は重いものが多いのだが、そこで把手が切れればもちろんホテル側が修繕を請け負うことになる。
それに、片手で引きずったため車のマットにすり傷がつけば、強いクレームを受けることになる。あわてて絨毯補修の専門家に修繕してもらい、結果的にはお客に納得してもらったという経緯が、入社後三十年という皆川さん個人の体験としても残っているという。「荷物を両手で持つ」ことをはじめとするドアマンのいくつかの心構えは、過去におけるそのような苦い体験のつみかさねによってつくり上げられている。この行動もまた、お客の荷物や車を傷つけぬよう配慮することによって、ホテル側のリスクを未然に防ぐこともふくめた、ドアマン独特のプロ意識によるものにちがいない。
さて、そんな現場を仕事場とする皆川さんは、仕事にからむストレスのガス抜きを何によってこなしているのか、それを聞いてみると、“ゴルフ”という答えが返ってきた。実際、かなりの腕前であるらしい。ところが、そのふつうの答えのあとの会話に、皆川さんの人柄がにじみ出ていた。

皆川 ええと、山の中にある本格的なコースならいいんですが、河川敷にあるゴルフ場などでプレーすると、まわりに車が見えるんです。そうすると、ゴルフやってる気分じゃないんです。

- あ、仕事の現場と同じ風景ということで.....。

皆川 車に敏感に反応するというのは、ドアマン特有の感覚ですね。私の先輩なんですが、会社が終って疲れ果てて、私服でふつうの一般道路の横断歩道で信号を待っていたら、その前にタクシーがやって来て止まった。そうしたら、思わずそのタクシーのドアに手がのびてしまったと。ONとOFFがこんぐらがっちゃったんですね。ま、職業病ということでしょうね。

ドアマンに、視野がせまい人は向かないと言う皆川さんだが、河川敷でゴルフを楽しめないという件に関しては、ドアマンにふさわしい視野の広さがネックになるらしい。帝国ホテルの中で唯一、“外の仕事”をこなしているホテルマンであるドアマンについての話を聞いて、さしたる用事もなく待合わせのたびに玄関をおとずれ、そのたびにタクシーのドアを開けてくれるドアマンに接していながら、その人の内側にある心のけしきを、何も想像していなかった自分に、私はあらためて気づかされた。ごくわずかな接触の中で、瞬時の判断と行動力を駆使しながら、ドアマンは帝国ホテルの外堀をかためているのである。