「お月見 - 小林秀雄」文春文庫 考えるヒント から

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「お月見 - 小林秀雄」文春文庫 考えるヒント から

知人からこんな話を聞いた。ある人が、京都の嵯峨で月見の宴をした。もっとも月見の宴というような大袈裟なものではなく、集って一杯やったのが、たまたま十五夜の夕であったといったような事だったらしい。平素、月見などには全く無関心な若い会社員たちが多く、そういう若い人らしく賑やかに酒盛りが始まったが、話の合い間に、誰かが山の方に目を向けると、これに釣られて誰かの目も山の方に向く。月を待つ想いの誰の心にもあるのが、いわず語らずのうちに通じ合っている。やがて、山の端に月が上ると、一座は、期せずしてお月見の気分に支配された。暫くの間、誰の目も月に吸寄せられ、誰も月の事しかいわない。
ここまでは、当り前な話である。ところが、この席に、たまたまスイスから来た客人が幾人かいた。彼等は驚いたのである。彼等には、一変したと見える一座の雰囲気が、どうしても理解出来なかった。そのうちに一人が、今夜の月には何か異変があるのか、と、茫然と月を眺めている隣りの日本人に、怪訝な顔附で質問したというのだが、その顔附が、いかにも面白かった、知人は話した。
スイスの人だって、無論、自然の美しさを知らぬわけではなかったろうし、日本にはお月見の習慣があると説明すれば、理解しないこともあるまい。しかし、そんな事は、みな大雑把な話であり、心の深みにはいって行くと、自然についての感じ方の、私たちとはどうしても違う質がある。これは口ではいえないものだし、またそれ故に、私たちは、いかにも日本人らしく自然を感じているについて平素は意識もしない。たまたまスイス人といっしょに月見をして、なるほどと自覚するが、この自覚もまた、一種の感じであって、はっきりした言葉にはならない。スイス人の怪訝な顔附が面白かったで済ますよりほかはない。
この日本人同士でなければ、容易に通じ難い、自然の感じ方のニュアンスは、在来の日本の文化の姿に、注意すればどこにでも感じられる。特に、文学なり美術なりは、この細かな感じ方が基礎となって育って来た、といえば、これはまず大概の人々が納得している事だろう。ところが、近代化し合理化した、現代の文化をいう場合、そんな話を持ち出すと、ひどく馬鹿げた恰好になる。何か全く見当が外れた風になるのはどうしたわけか。細かな感受性の質などには現代文化は本当に何の関係もないものになってしまったのか。それとも、そんな風な文化論ばかりが流行し、文化に関心を持つと称する人々が、そんな文化論ばかりを追っているという事なのか。
意識的なものの考え方が変っても、意識出来ぬものの感じ方は容易には変らない。いってしまえば簡単な事のようだが、年齢を重ねてみて、私には、やっとその事が合点出来たように思う。新しい考え方を学べば、古い考え方は侮蔑出来る、古い感じ方を侮蔑すれば、新しい感じ方が得られる、それは無理な事だ、感傷的な考えだ、とやっとはっきり合点出来た。何の事はない、私たちに、自分たちの感受性の質を変える自由のないのは、皮膚の色を変える自由のないのとよく似たところがあると合点するのに、随分手間がかかった事になる。妙な事だ。
お月見の晩に、伝統的な月の感じ方が、何処からともなく、ひょいと顔を出す。取るに足らぬ事ではない、私たちが確実に身体でつかんでいる文化とはそういうものだ。古いものから脱却する事はむずかしいなどと口走ってみたところで何がいえた事にもならない。文化という生き物が、生き育って行く深い理由のうちには、計画的な飛躍や変異には、決して堪えられない何かが在るに違いない。私は、自然とそんな事を考え込むようになった。年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。
(昭和三十七年十月)