2/2「或る田舎町の魅力 - 吉田健一」中公文庫 汽車旅の酒 から

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2/2「或る田舎町の魅力 - 吉田健一」中公文庫 汽車旅の酒 から

児玉には宿屋は一つしかないが、これは田島旅館という。部屋は二、三十はある立派な旅館である。前の時は無理して日帰りにしたので、こんな旅館があることは知らなかった。三階建てで、三階の眺めのいい部屋に通され、それで又、児玉という町の懐かしさが戻って来た。百年はたっただろうと思われる銀杏の大木が目と鼻の先に聳[そび]え、見降ろす家並みのどの屋根も上質の瓦で葺いてあるのは、つまり、昔の東京もこういう町だったのである。その向うに緑を拡げているのが鎮守の森だった。遠くから豆腐屋が昔通りの節で喇叭[らっぱ]を吹いて廻るのが聞えて来そうで、部屋で飲んでいるうちに喇叭の音は聞こえて来たが、あの節だけはどこでも戦争中に忘れられてしまったらしい。
その眺めを前にした廊下と反対側の窓からは秩父山脈ではないかと思われるものが見えた。下を覗くと、家に挟まれた広い横丁で、だれも通らなかった。広い場所に人間が少くて、始めて文化と呼ぶに足るものが生れる。それはどうでもいいとして、こういう児玉のような町に来ると、やっと時計のカチカチ言うのが気にならなくなって、つまり、一人でゆっくり酒も飲める。思えば、漢詩などを読んでいると、ここにこそ文化の本質があるという感じがするものだが、洛陽の都に何十万、或は百何十万の人間が集っていたにしても、洛陽にはそれだけの広さがあり、支那はその何層倍も広かったということに対して、誰もが知らん顔をしているのは不思議である。
という風な優雅な考えに耽りながら、お風呂に入ってから宿屋の部屋で飲んだ。菊正の飲み残しがあったのでこれをお燗して貰い、それがなくなってから児玉で作っている千歳誉という酒を飲んだ。これは旨い酒である。例えば酒田の初孫や新潟の今代司[いまよつかさ]と同じく、これもこの地方の需要を満すだけで、余り沢山は作っていないようであるが、児玉に行ったらこの酒を頼むといい。尤も、この酒はその蔵元である児玉の町長さんのところへ行って、特別に譲って貰って来たのだという宿屋のおかみさんの話だったから、いつでもあるとは限らないのかも知れない。どうしておかみさんがそんなことをしてくれたのか、この前に来た時の飲み助としての評判がまだ児玉の町で忘れられずにいたのだとすれば、酒はなるべく飲んで置くものである。
児玉という静かな町に、何故こんな大きな旅館があるのかということも、この辺で説明しなければならない。おかみさんの話では、この辺は軍人に作戦の演習をさせるのに非常に適した地形なので、終戦までは将校演習に多勢の人間が児玉に来てここに泊り、その時は廊下にまで蒲団を敷き並べたものだということだった。序でに児玉の歴史に就てもう少し書くと、ここは昔、武蔵七党か何かの一つだった児玉党の本拠だったので、城跡の濠が池になっている傍を、この前に来たときに通った。後には秩父銘仙の集散地としても相当なものだったらしくて、信越線が開通してからその商売を本庄辺りに奪われたのではないだろうか。併しそのお蔭で、今は我々でもそこの旅館の一番眺めがいい部屋で、文化は人口が少い所に限るなどと太平楽を並べることが出来る。
第一、児玉の町は静かでも、一向に寂びれているといい感じはしない。この前来た時から映画館も増設されて三つになり、パチンコ屋も三軒あるということだった。郵便局の建築が洒落ていて近代的なのは、どこかの新聞に写真入りで出たそうである。それに、焼跡の拡張ではなしに、と言うのは、両側に落ち着いたたたずまいの家が並んでいて、道が広いのが気持がいい。並木などなくて雨模様の空の下を燕が飛んでいるのも、昔の東京を思い出させてくれる。これは併し、並木というものがいけないというのではなくて、町が焼けてぴかぴかの新しい建物ばかり建ち、道の幅が倍も拡げられたりすれば、並木も必要になって来るし、道も舗装されなければならなくなる。児玉という町は、何も舗装道路や、並木や、ジャズをやっている純喫茶だけが例の、文化とか何とかいうものではないことに気付かせてくれる点で、或はそこにいる間だけでも、そういう見方が横行していることを忘れさせてくれる意味で、珍しく豊かなものを持った町である。併しこれも、東京から来た通りすがりの人間の勝手な見方かも知れない。
児玉には何もないと言ったが、名所旧跡がどうしても欲しければ、この町には塙保己一の生家があって、行けば色々な宝物を見せてくれる。それから車で二十分ばかり行った所に金鑽[かなさな]神社があり、これは山が本殿になっている形式の、日本に三つしか残っていない神社の一つで、その境内は新緑でうっとりする位美しかった。神鹿が寄って来そうな別天地である。併しそれは児玉という町が別天地であるのとは意味が違う。最後に、東京からの往復の汽車賃を入れて、一泊して特級酒を一升ばかり飲んで三千円掛らなかったことを記して置く。