(巻二十六)去りがたし話題きりなし春炬燵(田原和之)

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(巻二十六)去りがたし話題きりなし春炬燵(田原和之)

7月30日木曜日

九時半ころ緊急地震速報が着信し、区の拡声器が“大地震、大地震”とわめいた。

ついに地震でとどめを刺されるのかと身構えたが、揺れを感じなかった。この場合はヒットするより空振りがよろしい。

テレビは視ない。ラジオもあまり聴かないがFM葛飾の鉄ちゃん番組(火曜日夜10時から一時間)はよく聴く。同局で金曜日の9時から一時間流している女医さんの駄弁り番組はたまに聴く。

鉄ちゃん番組は過去、現在、未来を貫く鉄路を軸に鉄ちゃん二人がマニアックな博識を開陳する番組である。オープニングとエンデイングにテーマ曲が流れるがあとは全て実に聞かせる語り芸である。

この番組を聞いていると世の中も鉄道と一緒に走り続けていくように思えてくる。2030年にはリニアが云々などと聞くと今のような世の中があと十年後も存在しているのかなと想う。

何があっても鉄道はダイヤグラムの通りに運行される超絶したシステムで、そのシステムが将来も機能していれば世の中もまた今の世の中の延長線上に存在しているのではないかと期待しまうのだ。

この想いは『時刻表2マンキロ-宮脇俊三』の以下の著述を読んだことも影響している。

《八月一五日に乗った米坂線は、時刻も概して正確で、混み具合も、四人向かい合わせの座席に父と私とほかに一人いたような気がする程度で、立っている人はいなかった。ただ石炭の質が悪いのか、熟練した機関士が兵隊にとられて釜焚きの腕が下ったのか、手ノ子[てノこ]の先きの上り坂のトンネルの中で力が尽きて停車し、機関の圧力を上げなおしたときは、車内に濃い煙が充満して手拭いで鼻をおさえていても噎せた。しかし下り坂になってからは遅れをとり戻し、終点の坂町にはほぼ定刻に着いたと記憶している。》

鉄ちゃん番組は鉄道各社各線の来歴、車両や運行システム、ダイヤグラムの変遷をテーマにしているが、女医さんの駄弁り番組は“その日暮らしの今だけ”が番組のテーマのようだ。今日(今週)何を食った、何を見た、何をした、何を着た、何処へ行った、何に喜び、何に怒り、である。

独身の女医さんだから金の使い方にやや世間離れが見られるが訓も垂れなければ、多分あるであろう教養もひけらかさない。ただただ今を駄弁り、たまに曲を流す番組なのだが、この番組が二十年以上も続いていると知り驚いた。私のような者には分からない才女の隠し味が人を惹き付けているのだろう。

この二つの時の掴み方がちがう番組を聴きながら、歴史に流されつつも人生は日々の積み重ねだなあ!と実に陳腐な結論に達するのである。

Time does not flow. It accumulates from moment to moment.

シェークスピアかと思ったら、91年のSUNTORYのCMだそうで、へぇ~である。

あちこちにふえし才女や葱坊主(藤田湘子)

*季語は春ですが他に在庫がございませんでした。

散歩と買い物:変形Hコースを取り土手まで行ってみた。買い物は米で、佐渡の米が売り切れだったので秋田の米にした。

本日は四千五百歩で階段二回でした。

願い事-叶えてください。