2/3「SMと米俵 - 鹿島茂」文春文庫 セーラー服とエッフェル塔 から

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2/3「SMと米俵 - 鹿島茂」文春文庫 セーラー服とエッフェル塔 から

ではあらためて問おう、欧米のSMと、日本のSMはいかなる精神の反映であるかと。
欧米のSMは、何を参照対象にしているのか?これは非常にはっきりしている。
Mは馬、Sは御者である。つまり馬具でギチギチに拘束されて自由を失った馬を、御者が革の鞭で思うさまにひっぱたくというあの絶対的支配・絶対的服従のイメージが、セックスのファンタスム(幻想)に投影されているのだ。Mの衣装が、どれをとっても馬の拘束具に似ている一方、Sの基本アイテムが鞭だけというのは、いかにも象徴的である。欧米SMではMになるとは馬になることを意味している。
では、日本SMの縄のファンタスムはいったいどこから出てきたのだろうか?
これが意外にわからなかった。というのは、家畜文化でない日本には馬と人間のような歴然とした支配・服従の関係を見いだすことができないからだ。それでも私はひそかぬ第三の仮説を立てていたのだが、それはあまりに突飛なものなので、公言するのが憚られた。
ところがあるとき意外なところにヒントを見いだした。コラムニストの中野翠さんが着付けをされたときの体験から女性のM感覚というものは、キモノを着たとき伊達巻きやら帯やらでギュウギュウに縛られることの快感に通じているのではと指摘していたのである。そうか、日本のSMというのは、キモノと帯に原点があったのか。私の考えていた仮説とは少しちがったが、どう見ても、こちらのほうが正しそうだ。
そこで、「月間プレイボーイ」で団鬼六さんと対談したときに、日本SMキモノ説をぶつけてみた。すると、予想通り、団さんのSM小説に関してはそれが正解ということがわかった。この対談から少し引用させていただく。
「鹿島 原点は帯と伊達巻きですか。
団 小町娘の腰紐をきゅっきゅっと雲助がひっぱって脱がしていく。あれに感じたものです。
団さんは、さらに、これを補足して、自分のSM美学は、亀甲縛りのようなガッチリと縛ってしまうタイプの縛りではなく、ソフトな縛りの落花狼藉の美学にあるという。
「団 おっしゃるように日本のSMは帯。豆絞りの猿ぐつわをしたところに黒髪がはらはらと流れるエロティシズムです。西洋の猿ぐつわはギャグといって、革でしかも玉がついているから声がでない。反対に声がでないような猿ぐつわをしたところで、何かの拍子でゆるんで『助けて-っ』と声が漏れるのが何ともいえん日本のエロティシズムやと思うんです」
団さんによれば、日本のSMの縛りを担当する緊縛師には二つの流れがあって、団さん好みの浪漫的でソフトな縛りをしたのは、大阪でSM雑誌の走りである「奇譚クラブ」を創刊し、東京では「裏窓」の編集長になった美濃村晃一氏であるという。美濃村晃一氏は責絵の絵師伊藤晴雨の弟子で、みずから喜多令子のペンネームで叙情的なSM画を描いていた。
これに対し、M女にキリキリと縄かけて亀甲型に緊縛してしまうタイプのハードな縄師は、大阪でその名を知られた辻村隆氏である。
「この両人の縛りには根本的な違いがある。一口にいうなれば辻村さんは縄のリアリストであり、美濃村さんは縄のロマンチストという事になる。辻村さんは客観的であり、美濃村さんは主観的であった。辻村さんは縄によって残酷さをひっぱり出そうとするが、美濃村さんは官能をひきずり出そうとする。
だから、緊縛構図でいえば辻村さんはハードの巨頭であり、美濃村さんはソフト派の巨頭であった」(団鬼六『蛇のみちは-団鬼六自伝』幻冬舎アウトロー文庫)
なるほど、これである程度は理解ができた。団=美濃村のソフト派のイメージの原点にはキモノの美学があるわけだ。
だが、それでは、ハード派の辻村隆氏の亀甲縛りの原点にあるものはなんなのか?
 
これが、私が最後に突き当たった大きな疑問であった。というのも、辻村的な亀甲縛りの縄は、あきらかにキモノの帯や伊達巻きとは出自を異にしているように思われたからだ。
このキモノ説の行き詰まりに遭遇したとき、私の脳裏に再び浮かんできたのは、いったんは撤回してしまったあの第三の仮説である。えぇい、笑われるのを覚悟で思い切って言ってしまおう。
「亀甲縛りの原イメージとは米俵である」
そう米俵である。いくらなんでもそんな色気のない、と言うなかれ、女体のような円筒形の物体を力学的かつ合理的に縛る縛り方といったら、あの米俵の縛り方しかないのではないか?それに米俵というのは、あれはあれでなかなかエロティックなものなのだ。どこにエロティシズムがあるかというと、縄でキリキリと締め上げられて、少し凹み、そのことで逆に丸みを帯びたあの部分である。江戸時代には、この米俵が貨幣単位となり、豊ギョウの象徴となっていたのである。
しかも、ここには馬と人間という支配・服従の関係とはまったく別の関係がある。それは、縛ることで、本来はアモルフ(不定型)な米(女体)にきっちりとしたかたちを与え、モノとして客体化するという関係にある。緊縛することで女性から個性を奪い、事物化、客体化するというのが日本的ハードSM、亀甲縛りの本質なのである......。
と、本当に埒もない、世にもくだらない仮説をもてあそんでいい気になっているとき、偶然、手にした下川??氏の『極楽商売-聞き書き戦後性相史』(筑摩書房)の一節をを読んで仰天した。私の「亀甲縛り=米俵」説はかなりいい線まで行っていたのである。
「当時『奇譚クラブ』関係者で女性を縛ることができるのは辻村さんと須磨(鹿島注:美濃村氏と同一人物。おそらく美濃村氏の本名)さんしかいなかった。陸軍の輜重兵[しちようへい]として武器や食糧などの運搬にあたっていた辻村さんは役目柄、物の縛り方のベテランとなり、女性の縛り方にも兵隊時代の技をいかした。一方の須磨さんは海軍の出身だが、こちらは甲板などに貨物を積んで縛っておく技術を応用した。陸軍流はガッチリと、決して物が動かないように縛り、海軍流は船が嵐や敵に遭遇しそうになった時を想定して、一ヵ所をポンとゆるめると、たちどころにほどけるようた結束法である。結びの思想が違うように結び目や結んだ形も違う。SMという性の夜明けは、旧陸軍と海軍の伝統によっていたのである。」
やはり、そうだったのか。辻村氏が陸軍輜重兵として扱っていた最大の品目はまちがいなく米俵だったろう。もしかすると、辻村氏は米俵を緊縛しながら、そこに女体の幻影を見ていたのかもしれない。亀甲縛りの原点が米俵にあるという私の仮説はまったくの見当はずれではなかったのだ。
時として、こういうことがあるから、仮説立ての遊びはいつになってもやめられないのである。