(巻二十八)大正のロマンが好きと色の足袋(尾畑悦子)

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(巻二十八)大正のロマンが好きと色の足袋(尾畑悦子)

12月31日木曜日

晦日につき、今年のうちに掲載致しました。

毎年大晦日はこの句にしている。

晦日定めなき世のさだめ哉(西鶴)

今年は本当にそんな大晦日になってしまった。この先どうなるのだろう?

晦日が木曜日だから4日は月曜日か。在宅が増えているとはいえ、4日月曜日から週末までというのは嫌なものだろうなあ。と最後までネガテイブにものを考えて一年の納めとなりました。

句集を掲載しました。まだまだ捨てなくてはいけませんが、取り敢えずこれだけは残してあります。振り返って見れば、やはり前半は暗い。秋口に入ってお話を頂いたあたりから、少し気分が楽になったように見えます。あのお話には今のところ精神的に助けられました。

ペイントを使って年賀をしたためた。グタグタと書き過ぎているが、読まれないから同じことだろう。

散歩:

2時半過ぎに生協に入り買い物をしたが、今年の商いは終った如くで肉も野菜も売れ残りがある程度だ。大晦日は午前中に買い物をしないとだめだと云うことだ。

これで足りないとか買い忘れだと文句を言われているのだから、長生きはするもんじゃない。

本日は三千九百歩で階段は2回でした。さすがに誰もピッチにいませんでした。

読書:

「単身者の文学 - 川本三郎岩波現代文庫 荷風と東京(上) から

を読んでいる。やはり荷風で納めたい。

以下のところを人生の前半で読んでおけばこう言う羽目には!

《「西瓜」のなかにいかにも単身者らしい一日が記されている。

「午後[ひるすぎ]も三時過ぎてから、ふらりと郊外へ散歩に出る。行先さだめず歩みつづけて、いつか名も知らず方角もわからぬ町のはづれや、寂しい川のほとりで日が暮れる。遠くにちらつく燈火を目当に夜道を歩み、空腹に堪えかねて、見あたり次第、酒売る家に入り、怪しげな飯盛の女に給仕をさせて夕飯を食ふ。電燈の薄暗さ。出入[ではいり]する客の野趣を帯びた様子などに、どうやら膝栗毛の世界に這入つたやうな、いかにも現代らしくない心持になる。これも吾家に妻孥[さいど]なく、夕飯の膳に人の帰るのを待つもののゐないがためである」》

願い事-叶えてください。今、病気なると手当してもらえず苦しみそうだから、即死でなければ暫くしてからにしてください。その暫くはどのくらい先なのだろうか?