(巻二十八)陰陽の岩ある山の旱かな(茨木和生)

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(巻二十八)陰陽の岩ある山の旱かな(茨木和生)

1月1日金曜日

“陰陽”の句であれば、目出度いとも云えるのではないでしょうか。

先ずは年頭一句、

患わず怪我せず逝かん仏の座(駄楽)

最期の時まで健康でいるわけですから、こんな目出度いことはありません。最期が何時かは神様仏様閻魔様地蔵様にお委せです。

冬ぬくし地蔵に尋ねる分かれ道(未詳)

元朝の目覚めは早く英語聴く(駄楽)

ということで四時半に目覚めてヌクヌクしながらBBCを聴いた。一年の計は元旦にありと言うことであれば出だし好調である。

かと言つて何事もなきお元日(谷川治)

であり、朝は洗濯から始めて掃除である。

雑煮は作ってくれた。餅を二つ食う。

働かぬ手にいただくや雑煮箸(西島麦南)

散歩:

好天無風。高校コースから桜通りを歩き、リハビリ病院を左に折れて亀中方向に歩き、新道を渡って連光寺に初詣し、曳舟川に出たところのローソンでチキンと箱酒で新年を祝った。

写真はリハビリ病院の窓の下である。面会が叶わず一族の孫たちまでが二階のガラス窓の際にいる患者の縁者に道路から手を振っていた。

しあはせは自給自足や初暦(長谷川瞳)

ということである。

本日は五千百歩で階段は2回でした。

そういうことで一年が始まった。このブログも八年目だろうか?まだ続けて参りたいので宜しくお願いいたします。

墨も濃くまず元日の日記かな(永井荷風)

願い事-叶えてください。願いは一つでございます。